凡才少女は勇者の夢を見るか(二)

 それから数日。理由を告げぬまま勇者『銀狼エルプス』が去ったロッドベリー砦は、次第に戦況が悪くなっていた。


 この砦は今、全ての能力において私達人間ファールスを大きく凌駕りょうがするという魔軍将アーク・レムレス級の妖魔が率いる軍勢にあい対している。砦自体は高い城壁と十分な兵に守られて無事だけれど、敵が兵力を分散して城塞群の隙間を抜け、周囲の町や村を襲うようになってきたのだ。


 魔獣や魔蟲や野良の妖魔などとは違い、彼らはある程度組織化された妖魔で、『魔軍モンストル』と呼ばれている。

 最下級の妖魔である『魔兵レム』を束ねる『魔兵長レムス』、その上位者である『魔軍長レムレス』、さらに上位には『魔軍将アーク・レムレス』が存在する。上位の者の中には私達人間ファールスの言葉を理解し、固有の名を与えられている者もいるという。過去には『魔王レムレス・ロード』という存在もいたと聞くけれど、その姿が確認されなくなって三百年が経つ……




飲んだくれエブリウスさん、あなたは勇者様でしょう? 村を助けに行かないんですか?」


「うるせえな、俺の勝手だろ」


 私を助けてくれた勇者様はといえば昼過ぎまで砦で寝て過ごし、かと思うとふらりと姿を消し、夕方になると食堂に現れ、勝手に食糧庫を漁っては朝方まで飲んだくれるという、まさに『飲んだくれ』以外の何物でもない生活をしている。

 私達のような砦の兵士とは違い、有力者から支援を受けているだけの『勇者』は独自の行動をとって構わない。それは理解しているのだけれど、いくら何でもこれは酷すぎるのではないだろうか。


 おまけにこうして話しかけても相手にされず、外に出ると不規則な動きで行き先が読めず、下手をすると見失ってしまう。そしてこの日は……

 砦の中央、司令部施設の門番さんに何かを手渡した様子。しばらくして現れた妙齢の女性、その顔を見た私は腰を抜かしてしまった。


「リットリア副司令!」


 軍人と民間人を合わせて一千人余りが起居するこのロッドベリー砦の副司令官、というだけではない。私腹を肥やすだけで役に立たない司令官に代わってほぼ全ての責務を果たす才女であり、年齢不詳の美女であり、いずれはこのイスマール侯国において位人臣くらいじんしんを極めるであろうともくされる女傑。慌てて敬礼する私など目に入らないかのように、二人は事務的な打ち合わせを始めてしまった。


「そろそろ始めるぞ、飲んだくれエブリウス。何人いればできる?」


「逃げ足の速ぇ奴だけ、十人もいりゃあ十分だ」


見繕みつくろっておく。そこの者は?」


「知らねえ、勝手について来ただけだ。おいガキ、お前はどうするよ?」


「ど、どうって……?」


 事情も知らず急遽きゅうきょ編成された飲んだくれエブリウス小隊に配属となった私は、今まで秘匿されていた作戦に同行することになった。そしてその夜……




 飲んだくれエブリウス小隊十名は、五十倍を優に上回るであろう魔軍モンストルに夜襲を仕掛けていた!


 夜陰に乗じて敵陣に迫り、粗末な天幕に油をかけて松明たいまつを投げつける、剣を振り回す、喊声を上げる。その中で私は頭を抱えて走り回る。いくら何でも無謀すぎる、やっぱりこの人おかしい!


「ひええええ……あ、あれは!?」


 魔軍モンストルの中央に大きな人影を見つけて冷汗が噴き出す。身長は私の二倍近くあるだろうか、頭から突き出た二本の角、逞しい四肢、その手に握られた大鎌サイス


上位悪魔グレーターデーモンだな、大物だ」


 上位悪魔グレーターデーモン。多くの妖魔を束ねる魔軍将アーク・レムレス級であり、単体で一軍を壊滅せしめるほどの化物だ。町を一つ破壊し尽くしたとか、百年に渡って迷宮の主であり続けたとか、その強大さを示す逸話がいくつも残っている。各国を代表する勇者でも一対一で挑んだりはしないだろう。


「よし! 逃げるぞ野郎ども!」


 小隊長の命令一下、私達は全力で逃げ出した。怒りの咆哮を上げて追ってくるのは豚鬼オークの集団、捕まればただでは済まない、どころかただでは死ねない。何しろ彼らは人間ファールスや亜人種の女性をさんざん玩具おもちゃにした挙句に惨殺するというのだから。絶対に追いつかれるわけには……


「あっ……!」


 最前線に立った緊張もあっただろう、敵陣を駆け回った疲労もあったかもしれない、自慢の足も精鋭部隊に比べればまだ少女のそれだ。地面のくぼみに足をとられて派手に転んでしまい、怒声を上げる豚鬼オークが間近に迫る。豚のような鼻、汚らしい牙、こんな妖魔に私は……と思った瞬間、その首が夜空に舞った。


「立て! 死にたくなけりゃ死ぬ気で走れ!」


飲んだくれエブリウスさん!」


 またこの人に助けられてしまった、足手まといの私を助けるためにわざわざ戻って来てくれたのか。

 もしかして昨日も私の様子を見ていてくれたのだろうか、「役立たずの飲んだくれ」という噂は事実と異なるのかもしれない……


総員突撃アッサート!!」


 その時、喊声とともに地鳴りが起こった。そうとしか思えない音はロッドベリー砦の切り札、六十騎の騎兵部隊が轟かせる二百四十の馬蹄ばていの響き。

 彼らは逃げ惑う雑兵に構わず上位悪魔グレーターデーモンに殺到し、重量と速度を乗せた騎兵槍ランスをその身に突き立てる。苦痛のうめきとともに振り回された大鎌サイスが二騎の騎兵を斬り払ったが、第二波、第三波と立て続けの突撃チャージを受けて、恐るべき魔軍将アーク・レムレスは大地に沈んだ。




 これがリットリア副司令と飲んだくれエブリウス小隊長が計画していた作戦だった。敵が兵力を分散するのを待ち、夜陰に乗じて飲んだくれエブリウス小隊が派手な陽動を仕掛け、逆方向から主力軍の総攻撃。


魔軍将アーク・レムレスフォルスタインを討ち取りました!」


「よし、掃討戦に移る! 一匹も逃がすな!」


 主力軍を自ら率いたリットリア副司令が命じると、我らが小隊長は戦場に背を向けた。


「終わったな。さ、帰るべ帰るべ」


 淡々と帰途につく勇者『飲んだくれエブリウス』。炎に照らされたその背中に、私は汗だくのまま声を投げかけた。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


「あん?」


 魔軍将アーク・レムレス級、力も知識も生命力も私達人間ファールスとは比べ物にならないはずのその存在を出し抜き、大した損害もなく討ち取るなど私の想像を超えている。飲んだくれの皮をかぶったこの人は、一体何だというのか。


「……あなたは何者なんですか?」


「知ってんだろ、『飲んだくれエブリウス』だよ」

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