凡才少女は勇者の夢を見るか

田舎師

第一章 凡才少女と飲んだくれ

凡才少女は勇者の夢を見るか(一)

 このロッドベリー砦は私達人間ファールスの最前線拠点。

 魔軍モンストルの襲来をき止め、人々を守るための剣であり盾。……私はまだそのどちらでもないけれど。




 伝令兵クルソール! という大声に、はい! とそれを上回る大声で応えた。声の大きさと返事の良さには自信がある。


「ノリス小隊に伝令! 豚鬼オークを中心とした小隊規模の魔軍モンストルと遭遇、至急援護されたし!」


「復唱します! 豚鬼オークを中心とした小隊規模の魔軍モンストルと遭遇、至急援護されたし!」


「よし行け!」


 薄手の皮鎧に小剣、他の兵士さんに比べるとかなりの軽装。

 どこまでも青い空の下を駆け出す。亜麻色のセミロングが流れる。軽めに作られた軍靴が夏草を踏みつける。膝に力を溜め、風に乗って倒木を飛び越える。男の人どころか騎兵にだって負けない足の速さには、もっと自信がある。


 私はリナレスカ、未来の勇者。……今は日雇いの伝令兵だけれど、きっといつか。




伝令クルソール! 伝令クルソール! エルドレッド小隊より伝令! 魔軍モンストルと遭遇、至急援護されたし!」


「種族と数は!?」


「ええっと、小隊規模の豚鬼オークです!」


「よし、案内しろ」


 伝令先の小隊長さんにじろりとにらまれた。最も重要な情報である敵の種族と数を、気持ち良く走っているうちについ忘れかけてしまったのだ。

 まあ今日は怒られなかったから良しとしよう。そんな事より今、この小隊には勇者様がいる。




『勇者』という称号は各国、各地域、各町の代表者が誰にでも与えることができ、彼らはその範囲内で俸給の受領、宿泊や食事や装備品の割引、有力者への謁見、様々な恩恵を受けることができる。それは剣士であったり弓使いであったり魔術師であったり、とにかく妖魔や魔獣と戦う力と勇気がある者のことだ。


 そしてこの勇者様は、『銀狼エルプス』という通り名の魔術師。半分禿げ上がった中年のおじさんだけれど、それっぽい古木の杖といい、ゆったりとした外套ローブといい、只者ではないに違いない。そしてそれはすぐに証明された。


「内なる魔素マナよ、猛り狂う紅蓮の炎となりて渦巻け! 【火炎嵐ファイアーストーム】!」


 数秒の詠唱に続いて古木の杖を振りかざす。その先から巻き起こった巨大な炎の嵐が吹き荒れ、豚の頭に膨れたお腹、強烈な体臭、人間を襲い犯し喰らうという豚鬼オークが数匹まとめて火だるまになった。


「うわぁ……」


 私はその光景に感嘆の声を漏らし、間抜けにも口を半開きにした。私にとって勇者様とは特別な存在なのだ。




 私が子供の頃に住んでいた村はもう無い。ドラゴンに襲われて跡形も無くなってしまったからだ。


 突然空から現れたドラゴンは口から吐き出す炎で家を焼き、飛び出してきた村人を次々と食べてしまった。残されたのはことごとく壊され焼け尽くした家の残骸と、黒焦げの遺体だけ。

 お父さんもお母さんも食べられてしまったのか、それとも黒焦げの遺体のどれかだったのかわからない。もちろん悲しかったけれど、どこか諦めもあった。ドラゴンは天災のようなもので、私達人間ファールスは狩られ食べられる存在。子供ながらにそう理解していたから。


 それでも私を含めて十数人の村人が生き残ることができたのは、勇者様のおかげだ。


 偶然村に滞在していた勇者様は懸命に剣を振りかざしてドラゴンの気を引き、焼け落ちた家の下敷きになって体じゅう大火傷やけどをしてまで私をかばってくれた。私が今生きているのはあの人のおかげだ、あの勇者様に恥じない生き方をしなきゃいけない、そしてできれば……私もあんな勇者様になりたい。




「リナちゃん、次こっち!」


「はーい!」


 砦に帰ったら帰ったで、今度は革鎧をエプロンに取り換えて夕食の配膳。人手が足りないこのロッドベリー砦では一人で何役もこなしている人がおり、私も食事に洗濯に掃除、武器の手入れといった雑用係を兼務している。もちろんその分お給料がもらえるからだ。


「おう姉ちゃん、こっちに麦酒エールをくれ」


「あ、はい」


 そう声を掛けてきたのは無精髭ぶしょうひげに着崩した軍服、うらぶれた様子の男。この人も数日前から砦に滞在している勇者で、『飲んだくれエブリウス』という通り名そのままに食堂の隅でお酒ばかり飲んでいる。今日の戦いでもろくに戦果を挙げていないし、兵士さんからの印象も悪い。どうしてこんな人が勇者様なのだろうと不思議に思ってしまうほどだ。




 雑用係のみんなと夕食の後片付けをしていると、あの魔術師の勇者様、『銀狼エルプス』さんがやって来た。何事かと思いつつエプロン姿のままで敬礼したところ、私にお話があるから部屋まで来て欲しいという。

 勇者様が私にどんなご用だろう。もしかして勇者の資質を見出したとか魔術師の才能を感じたとか!? この時はそんな妄想を膨らませていたのだ。間抜けにも。


「リナちゃんっていうのかい? 歳はいくつだい?」


「リナレスカです、十五歳です。苗字みょうじはありません!」


「そうかい、可愛いね。どうしてこの砦で働いているんだい?」


「え、ええっと……」


 部屋に入ってすぐ、私は違和感を覚えていた。この時の勇者様の顔は助平すけべな中年男のそれで、お話の内容も私の年齢や容姿のことばかりだったから。いくら私が阿呆あほうでも、この状況でこの人が何を考えているかわからないはずはない。助平すけべ男が立ち上がり手を伸ばしてきたのを機に、私は後ろ手にドアの把手とってを回した。


「なんで!? どうして!? 開かない!」


 後ろから肩に手を掛けられ、振り払おうとしてまた愕然とした。全身が麻痺したように動かない、声も出ない。誰か助けて、という形に口を開いたのに、そこからは何も出て来ない。魔術師が扱う魔法の中には決して開かない鍵をかけたり相手の自由を奪ったりというものがあると聞いた、たぶんそれだ。


 体を掴まれ首筋に生温なまあたたかい息を吐きかけられて寒気がした。悪寒とともに悔しさが胸にせり上がってくる。その感触の気持ち悪さに、自分の迂闊うかつさに、この人の卑怯さに。

 でももっと悔しいのは、この人が『勇者』を名乗っていることだ。妖魔と戦うべき力、弱い人々を守るべき力をこんなことに使うなんて。身代わりになってくれたあの勇者様の記憶までけがされたようで、目に涙がたまってきた。




「邪魔するぜ」


 その涙が溢れる直前、無造作に扉を開けた人がいる。決して開かない魔法の鍵をかけられたはずの入口の扉をだ。


飲んだくれエブリウスさん!」


 現れたのは無精髭ぶしょうひげに着崩した軍服、うらぶれた風貌の三十路みそじ男。


「貴様、どうやってその扉を開けた!?」


「さあな」


 殺気もなく音もなく、するりと緩やかに間合いを詰める。でもそれはもう一人の勇者、魔術師『銀狼エルプス』さんの察するところとなった。何らかの魔法を使おうと杖を突き出し……


此処ここに在りし安らかなる闇よ、集いての者を……」


「おっと、そこまでだ」


 詠唱なかば。その杖を握る右手が後ろに回され、ひねり上げられた。たまらず取り落とした杖を蹴飛ばしたのは、魔法が解けて自由の身になった私。


「選べ、『銀狼エルプス』。このまま尻尾を巻いて消えるか、残り少ねえ髪の毛までむしられて叩き出されるか」


「くっ……」


 いましめを解かれた魔術師は廊下まで転がった杖を拾い上げ、ばたばたと乱れた足音を残して走り去った。


「ありがとうございます。あなたは『飲んだくれエブリウス』さん?」


「おいおい、助けてやったってのに失礼な奴だな」

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