第46話 小江戸・川越
翌日も早朝から快晴で、気温も高かった。
早朝からこの気温なら、日中はもっと上がるだろう。
白い半袖のシャツにホットパンツというラフな服に着替えた彩香は、露出している部分に日焼け止めクリームを塗り、ツバのついた帽子をかぶると、昨夜のうちに準備しておいたリュックを背負って家を出た。
まだ午前八時前だというのに日差しはかなり強い。
「今日も暑いなぁ〜……水分多めに用意しておいて正解だったかも……」
リュックの中にはペットボトルが三本ほど入っている。
そのせいで少々重くなってしまっているが、熱中症対策のためには仕方ないだろう。途中で水がなくなってしまったら一大事だ。
「さてと……まずは池袋駅に行かないとね」
目的地である川越は、池袋駅から電車一本で行くことができる。
乗車時間も、急行なら三十分程度だし、各駅停車に乗ったとしても一時間もかからない。
都内からなら、本当に気軽に行ける距離なのだ。
最寄りの駅から電車に乗り、まずは池袋駅を目指す彩香。
池袋駅に到着すると、川越方面に向かう電車に乗り換えた。
タイミングよく急行に乗ることができたので、三十分ほどで目的地に到着する。
時刻はまだ午前九時前だった。
「着いた〜川越!」
目的の駅に着き、彩香はテンションが上がるのを自覚する。江戸時代のような町並みを見学できると思うと、どうしても興奮してしまうのだ。
「さっそく行きますか!」
川越は、駅のそばから数キロメートルにわたって観光地が密集している。
基本的には徒歩で観光できるが、しっかり見て回ろうと思えば二、三時間はかかるだろう。
この猛暑の中、それだけ歩けばさすがに消耗してしまう。
だから、こまめに休憩をとることを心がけつつ、できるだけ多くの場所を見学しようと決意する彩香だった。
◇◇◇◇◇
川越駅を出発し、歩くこと約十分。
前方に蔵造りの建物が立ち並ぶ通りが見えてきた。
「すごい……駅の近くにこんな町並みが広がってるなんて……」
駅周辺は現代的な建物がほとんどだったのに、ちょっと歩いただけで江戸時代を思わせる町並みが見えてくるのだから不思議だ。
何だかタイムスリップでもしたような感覚に陥ってしまいそうになる。それほどに小江戸・川越は魅力的だった。
「とりあえず写真を撮らないと……」
スマホを取り出し、蔵造りの建物を撮影し始める彩香。
あとで幼馴染みの海愛に送る予定なので、気に入った建物や映えそうな風景は片っ端から撮影することにした。
「それにしても、まだ九時だっていうのに観光客多いなぁ……」
撮影しながら進むにつれ、観光客らしき人が増えていることに彩香は気づく。
それだけ人気のある観光地なのだろう。夏休み真っただ中で、さらに都心から電車一本で気軽に行ける距離だということも要因のひとつかもしれない。
人が多いおかげで、通りは非常に活気づいていた。
だが、観光客が多いこと以上に気になることもあった。
「あと、何かのアニメキャラのパネルがあちこちに立ってるけど……何でなんだろう?」
町中には何かのアニメ作品に登場してそうな女の子キャラのパネルがいくつも設置されていたのだ。しかも、そのパネルの前で写真を撮っている人もたくさん存在する。
その光景が彩香には少し不思議だった。
「……ま、いっか。さっそく観光しよっと!」
アニメキャラのパネルのことはひとまず置いておくとして、歴史ある川越の道を散策することにした彩香。
この町は見どころがたくさんあるので、時間はいくらあっても足りない。
蔵造りの建物を見ながら散策するだけでも楽しいが、他にもいたるところに神社や博物館、美術館といった行くべきスポットや施設が点在しているのだ。
そういった場所をゆっくり見学すれば、どうしても時間はかかってしまう。
さすがにすべてを見て回る時間はないので、彩香は特に興味のある場所を優先的に回ることにした。
「どこに行っても楽しい……ここに来て正解だったよ……」
いくつか観光スポットを巡ったが、どこも歴史好きの彩香を満足させるには充分過ぎるほどに魅力的だ。
想像以上に楽しい旅になったため、時間があっという間に流れてゆく。
気がつけば、時刻は午前十時を過ぎていた。
「……ちょっと小腹がすいてきたかも。事前情報では食べ歩きができるって聞いたけど、何か買ってみようかな」
川越は歴史を感じられるだけではない。食べ歩きができることでも有名なのだ。実際、スイーツや軽食を販売している店が右に左に立ち並んでいた。
和菓子に洋菓子はもちろん駄菓子を取り扱っている店もあるし、パンやおにぎりなどを売る店も存在する。
これなら、小腹がすいたり口寂しくなった時でも心配無用だ。
町を散策しながらいろいろな味が楽しめることも川越観光の魅力のひとつなのだろう。
「とりあえず、あれを買ってみよう……」
さっそく目についた団子を買ってみることにする。
団子にかけられている芳ばしい醤油の香りが食欲をそそった。
片手で串を持ち、団子を口に運ぶ。
その瞬間、醤油ダレの甘じょっぱさと団子の甘さが口の中に広がった。
「う〜ん……おいしい!」
観光地で食べるスイーツはどうしてこんなにおいしく感じるのだろうか。
ここまで美味だと、普段は体重を気にしている人でも今だけはダイエットなど忘れて無限に食べてしまうかもしれない。
彩香も気づけば、いろいろなスイーツや軽食を味わっていた。
「全部すっごくおいしい……歴史の町ってイメージが強かったけど、食べ物もこんなに充実してたんだね」
パンにおにぎり。まんじゅうにソフトクリーム。他にも、一人では食べきれないほど魅力的な食べ物や飲み物がこの町にはあふれている。
食べ歩きのためだけでも来る価値のある場所のように感じる彩香だった。
「さてと……お腹もいっぱいになったし、最後にあれを見学しに行こうっと!」
様々な軽食やスイーツを味わって満足できたので、最後にとある場所に向かうことにする。
その場所とは、おそらく川越で最も有名であろう『時の鐘』だ。
彩香が最も楽しみにしていた場所でもある。
観光客でごった返している道を進み、目的の場所へ。
時の鐘は遠くからでも目立つので、迷うことなくたどり着くことができた。
「ネットの画像とかで見たことはあったけど……実際に現地まで来ると迫力が全然違うなぁ……」
圧倒的な存在感を放つ鐘に目を奪われる彩香。
人々に時刻を知らせる目的で寛永時代に建設され、明治二十六年に起きた川越大火で被害を受けるも、その翌年には再建されたと言われる鐘楼。
歴史を感じさせるその鐘は、まさに川越のシンボルと言っても過言ではないような気がした。
「あの鐘って今も鳴るのかな……?」
無意識にそんなことをつぶやく。
それを聞いていたのか、偶然近くを通りかかった初老の男性が穏やかな口調で話しかけてきた。
「今でもちゃんと鳴るよ。一日に四回だけなんだけどね」
「……え? そうなんですか?」
その男性の方へ視線を向ける。
杖をついた白髪の男性。おそらく地元民だろう。
「……お嬢さんは観光で来たのかな?」
「はい、東京から来ました。あたし、歴史が好きでここには一度来てみたかったんですよ」
「それはそれは……若いのに珍しい……」
男性が感心したように言う。
「それで、さっきの話ですけど……」
「ああ、時の鐘の話だったね。あの鐘は今は六時と十二時と十五時と十八時の合計四回鳴って、時刻を知らせてくれるんだよ」
「合計四回か……それじゃ残念だけど今回は聞けないかな」
現在の時刻は午前十時半過ぎ。次に鐘が鳴るまで九十分近く待たなければならないことになる。
さすがにそんなには待てないので、今回は諦めるしかないだろう。
「そう残念そうな顔をしなくても大丈夫だよ。そんなに特別な鐘でもない。神社の鐘の音とそこまで変わらんよ」
「あ……そうなんですね。でも、いつか聞いてみたいので絶対また来ます! 今度は友だちをつれて」
「そうか……その友だちも川越を気に入ってくれると嬉しいな……」
「素直な子ばかりなので気に入ると思いますよ。いろいろ教えてくれてありがとうございました」
「いやいや、ワシの方こそお嬢さんのような若者に、故郷の川越について知ってもらえてよかった。気をつけて帰りなさいよ」
「はい。おじいさんもお元気で!」
最後に簡単なあいさつを交わすと、彩香は男性と別れた。
そして、川越駅への道を引き返し始めるのだった。
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