第45話 彩香の埼玉一人旅

 夏休みも折り返しに近づいてきた八月中旬のある夜。

 吉宮彩香よしみやさやかは自室のベッドに寝転び、スマホの画面をじっと見つめながら悶々としていた。

 スマホの画面に表示されているのは、つい先日幼馴染みの海愛みあから送られてきた奥多摩の写真だ。

 奥多摩の美しい自然はもちろん、涼しそうな渓谷、画像からでも楽しそうな様子が伝わってくる管理釣り場、神秘的な雰囲気の漂う鍾乳洞などなど、どれも見ているだけで行ってみたくなる写真ばかりだ。

 だが、何より彩香が驚いているのは、あの海愛が日帰りとはいえ一人旅をしたという事実だ。

 極度の人見知りで初対面の人とまともに会話することすらできなかった海愛が、誰にも内緒で一人旅をする。

 そんなことができるくらい成長したという現実は嬉しくもあるのだが、同時に少しだけ悔しくもあった。

 

「一人旅なんてあたしもしたことないのに……」


 そう――彩香は一人で旅をしたことがないのだ。

 もちろん一人で出かけたことくらいはあるが、ほとんどただの散歩や買い物で、『旅』と呼べるような特別なことは何もしていない。

 それなのに、この夏休みに海愛は一人で奥多摩まで行って旅を楽しんできてしまった。

 何となく先を越されたみたいで悔しい。

 それが、先ほどからベッドの上で悶々と悩んでいる理由だった。


「……あたしも一人旅してみようかな」


 ふと、そんなことを思う。

 一人で旅をすることに不安がないわけではないが、海愛にできたのだから自分にだってできるに決まっている。

 むしろ自分自身の成長のためにも、今のうちに経験しておいた方がいいような気がした。 


「……よし!」


 ベッドから起き上がり、本棚に向かう。

 そして地図帳を手に取ると、適当にパラパラとページをめくり始めた。行き先を決めるためだ。

 初めての一人旅だし、目的地は遠くない方がいいだろう。

 しかし、近すぎても旅に出た感じがしない。日帰りで行って帰ってこられる距離がベストだ。


 近すぎず遠すぎず、半日くらいで帰ってこられて観光もできる場所を地図帳で探す彩香。

 関東だけでも条件に合致しそうな場所はたくさん見つかった。


「東京から近いのに、行ったことのない観光地って結構あるなぁ……」


 近場にも面白そうな観光地がたくさんあったので、どこに行こうか迷ってしまう。


「でも、行くならやっぱりここかな」


 しばらく悩んだ後、たくさん存在する候補地の中から彩香はとある場所を選んだ。

 その場所とは、埼玉県にある川越だ。

 川越は江戸時代を思わせるような町並みが残っているため、昔から『小江戸』などとも呼ばれている人気の観光地だ。

 歴史好きの彩香もずっと興味はあったのだが、なかなか行く機会に恵まれないまま今日まで過ごしていた。

 だから、一人旅をしようと思い立った今がチャンスかもしれない。

 川越なら日帰りで行って帰ってこられるし、江戸時代にタイムスリップしたかのような気分も味わえる。

 そして観光地した後、温泉にでも浸かってから帰ってくれば、それは立派な『旅』と言えるだろう。


「決めた! 明日、川越に行こう!」


 こうして旅の目的地が決定した。

 そうと決まれば、旅の準備をしなければならない。準備と言っても、近場なので荷物は少なめで大丈夫だろう。

 彩香は小さめのリュックを用意すると、財布やタオルなどを中にしまい始めた。

 そして最低限必要になりそうなものを詰め込んだら、リュックを閉じて部屋の隅に置く。これで明日の準備はばっちりだ。


「それじゃあ明日に備えて、今日は早めに寝ることにしよっと」


 そう考えた彩香は、急いで寝る準備に取りかかると、いつもより早めに就寝するのだった。

 

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