第44話 湯郷温泉③
日帰り入浴を受け入れている施設にやって来た三人は、さっそく入浴料と貸しバスタオルの代金を払い、脱衣所へと移動した。
脱衣所には他にも日帰り入浴の女性客が大勢いて、みな楽しそうに会話をしている。
美肌効果のある温泉だから、女性客に人気なのだろう。
真穂乃たちは手早く服を脱ぐと、浴室に向かった。
内風呂と露天風呂があるが、まず向かったのは内風呂の方だ。
「とりあえずシャワーで体を洗いましょうか」
三人ともだいぶ汗をかいているので、湯船に浸かる前に備え付けのシャワーで体を洗うことにする。
「さてと……いよいよ温泉だね」
体の隅々まで洗い終えた芹奈が湯船に向かった。
その後に真穂乃と風音もついてゆく。
桶で湯船のお湯をすくってかけ湯をしてから、三人はゆっくりと湯船に浸かった。
「気持ちいいね〜。疲れた体が癒やされてくみたいだよ……」
芹奈が両手両足を伸ばし、首から下の部分をすべて湯に浸けた状態で天井を仰ぐ。
締まりのない表情だ。それだけリラックスしているのだろうが、ここまでだらしないのも問題だろう。
何よりお湯は無色透明なので、湯船の中でも両手両足を伸ばせば全身丸見えだ。
さすがの真穂乃も注意せずにはいられなかった。
「ちょっと、芹奈! はしたないわよ! 少しはまわりの目も気にしなさいよ」
浴室はそこそこ混んでいるので、あまり大胆なことをすれば目立ってしまう。
事実、芹奈は他の入浴客の視線を集めてしまっていた。
しかし、本人はまったく気にしていない様子だった。
「え〜いいじゃん、女湯なんだから。広いお風呂では思いっきりくつろがないと損だよ。それに見られて恥ずかしい体でもないしね」
自慢気に言う芹奈。自分の体に相当の自信があるようだ。
「そんなこと自慢しないでよ……」
呆れ顔になる真穂乃だったが、確かに言うだけのことはある。
真穂乃ほどではないにしろ胸は大きいし、くびれもあるし、無駄な脂肪はほとんどついておらず引き締まった体をしている。
まさに出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる、女性らしい体型。
若い女子なら、芹奈の体型を羨んでしまうかもしれない。
それほどにグラマラスな体だった。
「うちの姉がごめんなさい……お姉ちゃんはあまり人の目を気にしないんです……」
姉の代わりに妹の風音が謝罪する。
「ええ、知ってるわ。小学校や中学校の修学旅行でも似たような感じだったし……」
真穂乃は中学まで芹奈と同じ学校に通っていたから、芹奈の性格はよく知っているのだ。
こういう時に何を言っても無駄だということもよく理解している。
だから、誰かにあからさまに迷惑をかけていない限りは強く言わないことにしていた。
「それより真穂乃さん。今日は付き合ってくれてありがとうございました。おかげで自由研究に取りかかれます!」
風音が唐突に礼を言ってくる。どうやら原爆資料館の見学に付き合ってくれたことに対して感謝しているようだ。
「お礼なんていいわよ。私も楽しかったからね。核兵器について知ることもできたし、お好み焼きも美味しかった。それに、昔からずっと興味があった湯郷温泉にもこうして立ち寄ることができたしね……全部風音ちゃんのおかげよ」
風音のおかげで有意義な一日なったというのは本心だ。
彼女が自由研究のために原爆資料館に行きたいと言い出さなければ、今日一日やることもなくだらだらと過ごしていたに違いない。
むしろ、真穂乃の方が感謝しているくらいだった。
「それならよかったです」
「風音ちゃんも自由研究、頑張ってね」
「はい! ありがとうございます!」
力強い返事だ。
風音なら立派に自由研究をやり遂げるだろうと真穂乃は感じたのだった。
「……じゃあ次は露天風呂に入ろうか」
内風呂を充分に堪能した芹奈が、突然立ち上がって露天風呂のある方向へと歩き始める。
「私たちも行きましょうか、風音ちゃん」
「はい!」
真穂乃たちも露天風呂へ向かい、かけ湯をしてから湯船に浸かった。
泉質は内風呂と同じだが、露天風呂の方がより温泉に浸かっている感覚を味わえるような気がする。
おそらく屋根がないおかげで、野湯に浸かっているような気分になれるからだろう。
空を見上げながら温泉に浸かる時間ほど贅沢なものはないのである。
「あ〜やっぱり露天風呂はいいね。ずっと入っていたくなるよ」
お湯が柔らかく内風呂に比べて温度も低いため、いくらでも長風呂ができそうな気がする。
だが、残念なことに長風呂するような時間は残っていなかった。
「リラックスしてるところ悪いけど、そろそろ上がるわよ。あんまり長居してると、今日中に帰れなくなっちゃうからね」
「え〜もう帰るの〜?」
芹奈は非常に不満そうだ。
「私だって物足りないけど、もともと時間がなかったんだから仕方ないわよ。気に入ったなら、また来ればいいじゃない!」
「……ま、確かに風音もいるし、これ以上遅くなるわけにはいかないか……わかったよ、そろそろ帰ろうか」
ようやく納得したようで、芹奈が湯船から立ち上がる。
真穂乃と風音も湯船から出て、三人で脱衣所に戻ることにした。
「いいお湯でしたね」
「ええ。今日の疲れが吹っ飛んだわ!」
「今日も朝から暑かったけど、最後に汗を流せたのはよかったかな」
脱衣所で濡れた体を拭きながら、そんな会話をする。
それからドライヤーで髪を乾かし、手早く服を着ると、三人は入浴施設を後にするのだった。
◇◇◇◇◇
夕方の涼しい風に吹かれながら、温泉地に佇む真穂乃たち。
その手には、近くの店で買ったソフトクリームが握られていた。
「二人とも、今タクシー呼んだよ。すぐに来てくれるって!」
スマホを手にした芹奈が、タクシーを呼んだことを報告する。
「じゃあ、それまでに食べちゃわないとね」
三人はしばしの間、ソフトクリームの味を堪能することにした。
「ん〜おいしいです!」
「味も濃厚だし、トッピングのフルーツも甘くておいしいし、最高ね! 湯上がりにピッタリのスイーツだわ!」
甘くて冷たいソフトクリームは、入浴後の火照った体には相性抜群だった。
温泉に浸かり、その後は冷たいスイーツを味わう。何でもないことのように見えて、それは最高に贅沢な行為なのかもしれない。
しばらく三人は、ソフトクリームを食べながら夕涼みの時間を楽しんだ。
そして、ちょうど食べ終わる頃にタクシーが到着した。
芹奈、風音、真穂乃の順で後部座席に乗り込む。
真穂乃が運転手に目的地を告げると、ドアが閉まり、タクシーは走り出した。
すると、どっと疲れが出たのか、風音が目をウトウトさせ始める。
「何だか眠くなってきちゃいました……」
一日中動き回ってお風呂にも入ったのだから、眠くなるのも当然だろう。
「風音ちゃん、すぐに着くから頑張って起きてようね」
真穂乃が眠そうな風音に話かけて、目を覚まさせる。
目的地はここから三キロほどしか離れていないので、タクシーならすぐに到着してしまうのだ。
「はい、大丈夫です。寝ないように頑張ります」
「……とはいえ、眠くなるのもわかるけどね。ウチも寝ちゃいそうだし……」
「私も眠いわよ。でも、十分もかからないと思うから……」
そんな風にタクシーの中で睡魔と格闘すること七、八分。
真穂乃の言う通り、十分とかからないうちに目的地である
すぐにタクシーから降り、三人は駅のホームに向かう。
ほとんど待つことなく電車がやって来たため、その電車に乗り込み、空いている席に座った。
電車はすぐに林野駅を発車し、三十五分ほどで終点の
そこからまた別の電車に乗り換えて、今度は姫路駅に向かった。
あたりはすでにだいぶ暗くなっており、姫路駅に着いた頃には真っ暗になっていた。
「ようやく姫路まで来たわね……ここまで来ればあとは新幹線で十五分くらいよ」
「でもその前に夕食を買わないとね」
「わたし、お腹ペコペコです……」
現在の時刻は二十時前。広島で昼食にお好み焼きを食べてからだいぶ時間が経っているので、そろそろ空腹を感じてもおかしくないだろう。
「じゃあ、コンビニで何か買いましょうか。八時過ぎの新幹線に乗りたいから、あんまり選んでる時間はないけど……」
「そうだね。おにぎりでも買って、新幹線で食べよっか!」
「賛成です!」
意見が一致したので、急いで近くのコンビニへ。
そこで夕食を買ってから、新幹線のホームへと向かう。
かなりギリギリだったが、何とか二十時過ぎの新幹線に乗ることができた。
そして、短い乗車時間で手早く夕食を済ませる。
食べ終わった後は、ゆっくりする間もなく新神戸駅に到着した。
新幹線を降りて、改札を通過し、駅の外に出る三人。
「戻ってきたわね……お母さんが車で迎えにきてくれてるはずだけど……」
「……あ! あれじゃないかな?」
芹奈が、駅前に停まっている一台の車を指差した。
そこには見慣れた車があり、その車の前には一人の女性が立っていた。
真穂乃の母親の
「本当だ、お母さんだわ! それじゃ、二人とも帰るわよ」
三人が真理乃の車に乗り込む。
まず向かったのは、芹奈たちの家だ。
二人を家に送り届けた後、真理乃は自宅の温泉旅館に帰宅するべく車を走らせる。
芹奈たちの家からは目と鼻の先なので、すぐに到着した。
こうして全員が家に着いたため、今回の広島日帰り旅行は完全に終了したのだった。
ちなみに余談だが、風音は帰宅後に原爆資料館で学んだことを自身の見解も交えつつ大きな画用紙にまとめて夏休み明けに提出することになる。
現地の写真などが貼り付けられたその画用紙は、文字と写真の配分が申し分なかったおかげで非常に見やすく、原爆に関する情報がしっかりとまとめられていたこともあって、小学生の自由研究とは思えないほどの出来映えだったらしい。
そのあまりの完成度に、教師たちは思わず目を見張ったという。
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