第43話 湯郷温泉②

 午後五時過ぎ。バスは湯郷温泉に到着した。

 バスが完全に停車してドアが開くのを待ってから、風音、芹奈、真穂乃の順で下車する。

 八月上旬なので、十七時過ぎでも空はまだ明るかった。


「ようやく着きましたね」

「ずっと座ってたから、ちょっと体が固まっちゃったよ」


 芹奈がその場で腕を伸ばしたり、屈伸したりして体をほぐしている。途中で乗り換えたものの、トータルで二時間ほどバスの座席に座っていたから体が固まったとしても仕方ないだろう。


「とりあえず近くに日帰り入浴を受け付けてるところがあるはずだから移動しましょうか」


 時間もないので、さっそく歩き出す真穂乃。

 だが少し歩いたところで、風音が興味を惹かれるものを見つけて駆け出してしまう。


「……あれ? 向こうにあるのってもしかして足湯じゃないですか?」

「ちょっと風音!?」


 姉が止めようとするも、風音が立ち止まることはなかった。


「岡山駅でも桃太郎の像を見つけて駆け出してたけど……風音ちゃんって意外と好奇心旺盛だったりするのかしら?」

「まぁ、昔からいろんなものに興味を持つ子だったけど……」

「とりあえず追いかけましょうか」


 仕方ないので、真穂乃たちも風音の向かった方へと歩き出す。

 その方向には、風音の言った通り足湯があった。


「何この足湯……変わった形してるけど……」


 芹奈がその珍しい形に言及する。

 

「誰かの足跡みたいですよね……」


 風音も、珍しいものを見たといったような表情で目の前の足湯を見つめている。

 だが、初めてここを訪れた観光客が興味を持つのも当然だろう。足湯の浴槽が人間の右足の形をしているのだから。

 こんな形の足湯は他ではまず見られない。

 記念に写真を撮りたくなるような場所だった。


 真穂乃が二人の疑問に答えるように足湯の説明を始めた。


「これは“さんぶ太郎”の右足を模して造られているのよ」


 それを聞いた風音がすかさず質問する。


「さんぶ太郎って何ですか?」

「この地方の伝説に登場する大男のことよ」

「どんな伝説なんですか?」

「ウチも知りたいかも……」


 二人が興味を持ったため、真穂乃は伝説について大まかに話すことにした。


「その昔、このあたりを治めていた領主がね、菩提寺に行く途中で一人の美女と出会ったみたいなの。……まぁ、その美女の正体は人間の女に化けた大蛇だったんだけどね。そうとも知らずに領主はその美女と結婚して、やがて男の子が産まれるんだけど……その子に“太郎”って名前をつけたのよ」


 そこまで聞いて、風音が口を挟んだ。


「じゃあその太郎って子は、人間と大蛇の間に産まれた子どもってことですか?」

「そうなるわね。その後いろいろあって、最終的に太郎は雲を突くほどの大男に育つの。あまりに巨大だったから、京都まで三歩で行くことができたなんて言われているわ」

「岡山から京都まで三歩って……巨大すぎるでしょ……」


 今度は芹奈が口を挟む。あまりにスケールが大きかったから、さすがに聞き流せなかったのだろう。


「そうね。想像を絶するほどの大男だったんでしょうね。とにかく太郎は京都まで三歩で行けたんだけど、そこから“三歩太郎”と呼ばれるようになり、それが少し訛って現代では“さんぶ太郎”と呼ばれるようになったみたいよ」

「そんな伝説があるんですね……」

「なかなか面白い伝説だね。ま、似たような伝承は他にもありそうだけど……」


 風音と芹奈が再び足湯をまじまじと見つめる。

 真穂乃もつられて視線を二人と同じ方向に向けた。

 無言で見つめていると、何だか本当に太郎の足跡のような気がしてくるから不思議だ。

 やはり知識があるのとないのとでは旅の楽しさが段違いなのかもしれない。

 湯郷温泉には昔から興味があったから、いつか行く時のためにいろいろと調べていたのだが、まさかその知識が今日役立つとは思っていなかった。

 これからも興味のある場所や旅行先のことは事前に調べておいた方がいいなと思う真穂乃だった。


「……さ、時間もないし今度こそ温泉に入りに行くわよ!」

「そうですね。行きましょう!」

「ようやく汗を流せるのか……」


 三人が日帰り入浴を受け付けている施設に向けて歩き出す。

 空はまだ明るいがもう夕方なので、町のあちこちでヒグラシが鳴いていた。

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