第38話 広島へ

 真穂乃、芹奈、風音の三人は午前十一時前に広島駅に到着した。

 

「さすが広島……混雑してるわね〜」


 夏休みということもあって、駅構内は大勢の人でごった返している。

 地元民だけでなく、観光客と思しき人も多い。

 大都会・広島は人気の観光地が多く、食べ物も美味なので長期休暇の旅行先に選ばれやすいのだろう。


「それで目的地は原爆資料館でよかったのよね?」

「はい。広島駅からは少し距離があるので、路面電車で行こうと思います。……まぁ歩けない距離でもないんですけどね」


 広島駅から原爆資料館までは片道およそ三キロほど。徒歩圏内と言えなくもないので歩いて向かってもよいのだが、徒歩だと片道だけでニ、三十分はかかってしまう。

 この炎天下の中それだけ歩いたら汗だくになってしまうし、場合によっては熱中症になる可能性も捨てきれないので、今回は路面電車で向かうことにしたのだ。


「え〜と……路面電車乗り場は向こうね。思ったより混雑してないみたい……行きましょうか」


 真穂乃が先頭に立って歩き始める。

 芹奈と風音もその後に続いた。


 駅構内の人混みの中を歩き、やがて外に出る。

 すると、真夏の直射日光とうだるような熱気が容赦なく襲ってきた。

 雲が少ないせいで日陰になるような場所もほとんどなく、建物から離れたら基本的に日向を歩かなければならない。

 これは徒歩で向かわなくて正解だろう。


 駅前にある路面電車乗り場へ向かう三人。

 乗り場に到着するとほぼ同時に電車がやって来る。

 夏休みシーズンだというのに車内は思った以上に空いていた。


「はぁ〜冷房が効いてて快適ね」


乗車するとすぐに真穂乃が座席に腰を下ろす。

その隣に風音が座り、風音の隣の席に芹奈が腰を下ろした。


 それからすぐに路面電車が動き出す。

 真穂乃たちの視線は、車窓の景色に釘付けになった。


「私、路面電車って初めて乗ったけどすごいわね。電車で車道の真ん中を走るなんてちょっと不思議な気分だわ」


 路面電車はその名の通り、道路の真ん中に敷かれたレールの上を走る電車だ。

 そのため常に車道の自動車と並走しながら街中を走ることになり、赤信号では自動車と同じように停車する。

 ただし、信号機には黄色で表示される矢印が存在し、路面電車だけは赤信号の時もその黄色の矢印の方向に進めたりするので何となく面白い。

 普段利用する電車とは違った感覚が味わえるような気がした。


「わたしも初めてだからちょっとワクワクしてます。歩行者や自動車と同じ道を電車で走れるって何だか不思議ですよね」

「ウチも初めて乗ったよ。まぁウチらの住んでる兵庫県には路面電車なんてないからちょっと新鮮だよね」


 現在日本で路面電車が走っているエリアはかなり限られている。

 三人の住む兵庫県には路面電車自体が存在しない。

 一応、真穂乃が現在暮らしている東京には都電荒川線という路面電車が存在するが、区間が短く生活圏からも離れているため、真穂乃は利用したことがない。

 だから三人とも、路面電車に乗るのは今日が初めてなのだ。

 多少テンションが上がってしまうのも無理はないだろう。


「ところで風音ちゃん……」


 車窓の風景を充分に楽しんだ後、真穂乃が隣に座る風音に話しかけた。


「はい。何でしょうか?」

「目的地って、本当に原爆資料館でよかったの? 自由研究って聞いた気がするけど……」


 それは移動中ずっと気になっていたことだった。

 確かに原爆資料館は世界的にも有名で一度は訪れるべき場所かもしれないが、小学生が自分から行きたいと言い出すような場所ではない気がする。

 広島城や尾道、宮島などなど、広島には他にも魅力的な観光地がたくさんあるのに、あえて原爆資料館を選んだ理由が知りたかったのだ。


 その疑問に風音が答える。


「実はわたし、世界平和に興味がありまして……」

「……はい?」


 まったく想定していなかった返答に声が裏返ってしまうが、風音は気にせずに続けた。


「ほら……日本って世界で唯一の被爆国じゃないですか? だから一度、核兵器について学んでみたかったんです。恒久平和を願う者としては当然のことなんですけどね」

「まさか小学生の口から恒久平和なんて言葉が聞けるとは……」

「それで、まずは原爆資料館に行こうと思ったんです。原爆のことをいろいろと調べて自分なりの見解を交えながら資料を作成する……それがわたしの選んだ自由研究です」

「風音ちゃん、本当に小学生!?」


 ここまで真摯に核兵器と向き合い、恒久平和を願う大人が果たしてどれだけ存在するだろうか。

 ましてや十一歳の子どもがこんなに真剣に平和を願うなんて非常に珍しいことだろう。

 その辺の成人よりもずっと大人っぽい気がした。


「どう? ウチの妹、しっかりしてるでしょ?」

「なんで芹奈が威張るのよ……」


 なぜか胸を張る芹奈に、真穂乃がツッコミを入れる。

 だが、十一歳とは思えないくらいしっかりしていることは認めざるを得ないだろう。


「……でも、どうしてそんなに平和に興味があるの?」


 真穂乃が再び質問する。 

 風音は顔を曇らせながらも、その質問に答えた。


「実はわたしたちのお祖父ちゃん、戦争で亡くなったみたいなんです。両親からそれを聞いた時にすごく悲しい気持ちになって……戦争なんかなくなればいいのにって思ったんです。だって、戦争さえなければ、わたしもお姉ちゃんもお祖父ちゃんに会えたわけですから……」

「そうだったのね……でも、やっぱり偉いわ。本気で平和を願って行動できる人なんて、大人でもそうそういないわよ」

「そうでしょうか? 日本人としてはむしろ当然のことだと思いますが……」

「風音ちゃん……本当に立派ね……」


 誰もが平和な世の中を願うべきというのは正論かもしれないが、それがわかっていても平和を祈って行動するのは難しい。

 だから風音は本当に立派な子どもと言えるだろう。


「……あ、目的の停留場が見えてきたよ」


 外の景色を見ていた芹奈が、もうすぐ到着することを伝える。


「本当だわ。意外と早かったわね……」


 時間にして十五分ほど。初めて路面電車に乗った三人には、あっという間に感じられた。


「まぁ三キロですからね。乗車時間も短いんですよ」


 風音が荷物を持ち、降りる準備を始める。

 真穂乃と芹奈も荷物を持って座席から立ち上がった。


 やがて電車が、原爆ドーム前に停車する。

 そしてドアが開くと、三人はこの停留場で下車した。


「……さぁ、目的地はすぐそこですよ。行きましょうか!」


 こうして三人は、真夏のアスファルトの上を目的地に向かって歩き出すのだった。

 

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