第37話 地元の友達とその妹と
有馬温泉街に建てられたとある老舗旅館。
夏休みシーズンの今は旅館にとってまさに書き入れ時の季節。
八月になったばかりの今日も旅館は大忙しだ。
そんな旅館で、高校一年生の高牧真穂乃は本日も労働に勤しんでいた。
……といっても、やることは基本的に客室や大浴場の清掃の手伝いだけだ。
あくまで勉強の合間に家業を手伝っているだけなので、業務内容は他の従業員とは少し異なるのだ。
任された業務が終了すると、真穂乃は自室へ戻り勉強を再開する。
帰省してからずっとそんな生活を続けていた。
「ふぅ~今日もよく頑張ったわ」
勉強が一段落ついたので、ノートを閉じて大きく伸びをする。
本日も勉強に家業の手伝いに大忙しだった。
そのため、体は程よく疲れている。
「シャワーでも浴びようかしら……」
部屋の時計で時間を確認し、つぶやく。
現在の時刻は18時過ぎ。夕食には少し早い時間だ。
客室や大浴場の清掃は昼間のうちに終わらせてしまったので、今日はもう仕事を手伝うように頼まれることはないだろう。
だから、夕食前にシャワーを浴びることにしたのだ。
室内は冷房が効いているとはいえ、蒸し暑い季節ゆえに多少は汗もかいてしまっている。
冷たいシャワーを浴びれば気分もリフレッシュできるだろう。
そう考えて浴室に向かうべく、真穂乃はイスから立ち上がった。
そして部屋を出ようとした瞬間、机の上に置いてあったスマホが震えたのだった。
机に戻り、スマホを手に取って画面を操作する。
スマホには一件のメッセージが届いていた。
「……何かしら? ……って、
メッセージの送信者は真穂乃のよく知る人物・
彼女のことを一言で言うなら、同い年の幼馴染みだ。
小学一年生の時に同じクラスになったことがきっかけで仲良くなり、高校生になって上京した現在も友人関係は続いている。
いわゆる地元の友達というやつだ。
真穂乃はさっそくメッセージを確認した。
内容は、明日一緒に出かけないかという遊びの誘い。
真穂乃が帰省中だということは芹奈も知っているので、東京に戻ってしまう前に思い出を作りたかったのかもしれない。
「明日か……ここ数日、勉強や仕事ばかりだったからありがたいかも……」
帰省初日に海愛や彩香と六甲山を歩いたり、その翌日に有馬温泉街を案内したりして楽しく過ごしたが、それ以降はずっと仕事や勉強漬けの毎日だった。
もちろんそんな生活も充実していたと言えるが、ずっと続けていたらさすがに疲れてしまうだろう。
たまには友達と遊んで羽を伸ばすのも悪くない。
それに、真穂乃自身も久しぶりに幼馴染みに会いたいという気持ちがあった。
だから、ほとんど二つ返事で遊びに行きたい旨のメッセージを送信した。
すると、すぐに既読がついて返事がくる。
『よかった。じゃあ明日は遠出するから、そのつもりで準備してね』
どうやら遠くに出かけるつもりらしい。
明日は一日遊ぶことになりそうだ。
『わかったわ。明日楽しみにしてるわね』
最後にメッセージを送信すると、スマホを机の上に置き、真穂乃は部屋を出て浴室に向かうのだった。
そして、翌日。
今日も朝から快晴で、気温も高い。絶好のお出かけ日和だ。
スマホのアラームとともに目を覚ました真穂乃は、朝食を済ませると、淡いライムグリーンのワンピースに着替えた。
それからピンクのポーチに財布やスマホなどを入れる。
これで準備は完璧だ。あとは幼馴染みが来るのを待つだけ。
現在の時刻は午前七時五十分。約束の時間は午前八時なので、そろそろやって来るだろう。
そんなことを考えていたら、室内にインターホンの音が響いた。
どうやら芹奈が来たようだ。
「は~い」
帽子をかぶり、ポーチを持って玄関へ。
玄関といっても、お客様が出入りする旅館のエントランスではない。
旅館の裏側にある小さな玄関だ。真穂乃たち家族が普段出入りするのに利用しており、インターホンもこちらに設置されている。
そんな家族専用の玄関にたどり着いた真穂乃は、外出用のグルカサンダルを穿き、ドアを開けた。
すると、昔からよく知る幼馴染みの笑顔が視界に飛び込んでくる。
日焼け対策なのか、今日の彼女は袖の長いシャツに長ズボンを着用していた。
「おはよ、真穂乃」
「おはよう、芹奈……ちょっと背伸びた?」
久しぶりに幼馴染みの姿を見た真穂乃は、まずその成長に驚いた。
中学の頃よりも背が伸びていて、胸なども成長しており、大人の女性らしい体つきになっているのがわかる。
しかし、その顔立ちにはまだ幼さが残っており、髪も昔と同じショートのままなので、完全に真穂乃の知らない芹奈になってしまったわけではない。
その点は少し安心だ。
幼馴染みの成長に目を見張る真穂乃だったが、それは相手も同じようだった。
芹奈もまったく同じ反応を見せてくる。
「それはこっちのセリフだよ。真穂乃こそ背が伸びてるし、雰囲気も変わってるから驚いちゃった」
「……え? そうかしら?」
真穂乃自身にその自覚はなかったが、どうやら幼馴染みには雰囲気が変わっているように見えるらしい。
自分の成長は自分ではなかなか気づかないものなので、自覚が持てないのは仕方ないだろう。
しかし、成長していると言われたことは素直に嬉しかった。
「まぁ四カ月以上会ってないわけだし、お互い成長しててもおかしくないかもね」
男子も女子も、この年頃は成長が早い。四カ月会わないだけで外見や雰囲気が変わったように見えるのは別に不思議なことではないのだ。
「そうね……でも性格はちゃんと芹奈のままで安心したわ。……それで今日はどこに行くの?」
お互いの変化を指摘し合ったところで、本日の目的地を訊ねる。
「あ、その前に妹にもあいさつさせないと……ほら、
芹那が後ろを振り向き、自身の妹にあいさつを促した。
姉の背中の隠れていた妹が、真穂乃の前に現れる。
「……あれ? 風音ちゃん?」
その人物は、芹奈の妹の
昔は姉の芹奈の背中をちょこちょこと追いかけていたからよく覚えている。
現在は小学五年生だったはずだ。
しかし、十一歳にしては身長が高めで顔立ちも大人びて見える。
髪はさらさらのロングで、手足は比較的長い。
さすがにスタイルはまだ子どもらしかったが、あと二、三年も経てば急激に成長しそうな気がする。そんなポテンシャルを秘めた女の子だった。
ちなみに服装は、やたらハートのマークの付いた可愛らしい半袖のシャツに、デニムの半ズボンという露出の多い格好だ。
姉と違って、あまり日焼けを気にしないのだろう。
そんな芹奈の妹が、真穂乃に向かって深々と頭を下げる。
「おはようございます、真穂乃さん。お久しぶりですね」
「うん、おはよう。風音ちゃんもだいぶ雰囲気変わったね」
「もう小学校高学年ですからね。いつまでも子どものままではいられません」
「あ……そうなんだ……」
ずいぶん大人びた発言をする風音に面食らってしまう。前に会った時はここまで大人っぽくはなかったはずだ。
まだ小学生なのだから子どもっぽくてもいいのにと思ったが、本人が大人のように振る舞いたいなら、それを否定してはいけないだろう。
真穂乃は、なるべく風音を子ども扱いしないようにしようと密かに誓うのだった。
「それはそうと、今日はよろしくお願いしますね」
「えっと……遠出するって聞いてたけど、風音ちゃんも一緒に来るの?」
「お邪魔でしたか?」
「ううん。また一緒に遊べるなんてすごく嬉しいわ」
「それならよかったです」
ほっと胸をなで下ろす風音。どうやら姉とその幼馴染みの四カ月振りの再会を邪魔してしまうのではないかと心配していたようだ。
しかし、風音の同行は邪魔どころかむしろ大歓迎だった。
風音と昔のように仲良くできるのは、真穂乃にとっても嬉しいことなのだ。
「……ま、今日は風音の自由研究を手伝うのが目的だし、ついてきてくれないと困るんだけど……」
妹と幼馴染みが互いにあいさつを交わしたところで、芹奈が口を開く。
「……自由研究ってどういうこと?」
その発言を聞いた真穂乃が、怪訝そうな顔で質問した。今の話は完全に初耳だったからだ。
「言わなかったっけ? 風音が夏休みの自由研究で行きたい場所があるっていうから真穂乃を誘ったんだよ。小学生を一人で遠出させるわけにもいかなかったからね」
「聞いてないわよ!!」
真穂乃が声を張り上げる。
昨日は風音の話題すら出なかったので、普通に幼馴染みから遊びに誘われただけだと思っていた。
それなのにまさか小学生の宿題の手伝いだったとは――予想外過ぎて困惑してしまう。
「あ~言ってなかったかも……」
当の本人は悪びれる様子もなく頭をかいていた。
その態度がなんだか腹立たしい。
「もう……そういうことはちゃんと事前に言ってよね」
「ごめんごめん」
一応謝罪はしてくれたが、あまり悪いとは思ってなさそうだ。
「まぁ、今日の予定を詳しく聞かなかった私にも非はあるけど……」
昨日のうちにちゃんと予定を聞いておくべきだったと反省する真穂乃。
今日の予定を知っていれば、こんなに取り乱すこともなかったからだ。
「ごめんなさい、真穂乃さん。姉がちゃんと説明してなかったみたいで……」
風音が頭を下げて謝罪する。
姉と違い、妹の方は本当に申し訳ないと思っているようだ。
「別に風音ちゃんが謝ることじゃないわよ。それに、私も風音ちゃんと遠出ができて嬉しいんだから、ぜひ自由研究を手伝わせて!」
「真穂乃さん……」
風音の表情が明るくなる。
「……じゃ、いつまでもここで話し込んでてもしょうがないし、そろそろ行こっか!」
話がまとまったので、さっそく出発しようと提案する芹奈。
「ちょっと待って! 結局どこに行くの?」
そんな幼馴染みに、真穂乃が目的地を訊ねる。
だが、その質問に反応したのは芹奈ではなかった。
「それはわたしが言いますね……」
目的地は、遠出をしようと提案した張本人が自分の口で伝えたいらしい。
風音が姉に代わって今日の目的地を口にした。
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