第35話 海愛の奥多摩日帰り旅行②
奥多摩駅に戻ってきた海愛は、この後どうするかを考え始めた。
そろそろ昼時だが、なぜかあまり空腹を感じない。無理して昼食をとる必要はないだろう。
何気なくスマホを取り出し、周辺の観光地を調べてみる。
自然豊かな場所だけあって、観光地も自然を楽しめるスポットが多い。
その中でとある場所が海愛の目に留まった。
「
駅からは少し離れているが、東京都と埼玉県の県境近くに鍾乳洞があるらしい。それもちょっとした洞窟などではなく、かなり本格的な空洞のようだ。
そのためすでに観光地化されており、毎年多くの観光客が訪れているようだ。
「すごい……東京にこんな場所があったんだ……」
スマホに表示される画像を見て、目を輝かせる海愛。
画像はほんの一部分だろうが、鍾乳洞など入ったことのない海愛はそれらの画像だけで興味を惹かれた。
「行ってみようかな……」
今から気軽にアクセスできるなら行ってみたい。そんな欲求が湧いたので行き方を検索してみることにする。
すると、検索結果に日原鍾乳洞へ向かうバスの情報が表示された。
どうやら奥多摩駅からならバスだけでアクセスできるようだ。
「バス一本で行けるんだ……もうちょっとアクセスしづらい場所にあるのかと思ってたよ……」
鍾乳洞と言えば、雨水や地下水などが長い年月をかけ岩を浸食してできた天然の洞窟だ。
そのため規模にもよるが基本的には山奥にある場合が多く、アクセスは非常に困難だと思っていた。
しかし、この鍾乳洞は駅からバスが出ているらしい。
それなら海愛のように思いつきでここまでやって来た観光客も気軽に行くことができる。
さすが人気の観光スポットだ。
「せっかくだし行ってみよっと!」
アクセスが容易と判明するや否や、バス停に向かって歩き出した。
バス停は駅前にあるので迷うことはない。
日原鍾乳洞行きのバス停では、すでに複数の観光客が列を作り、雑談をしながらバスを待っていた。
その列の最後尾に並ぶ。
それからすぐにバスがやってきた。
そのバスに次々乗り込む観光客たち。
最後に海愛が乗車すると、ドアが閉まり、バスは発車した。
そうして奥多摩の豊かな自然の中を走ること約三十分ほど。
目的のバス停が見えてきた。
ここがこのバスの終点だ。
乗客たちが下車の準備を始める。
海愛もバスを降りる準備を始め、完全に停車すると、他の乗客たちに続いて最後に下車するのだった。
そのまま他の観光客たちについてゆく。
少し歩くと、鍾乳洞の入り口らしきものが視界に入った。
「あれが日原鍾乳洞かな……」
木々に囲まれた場所にある鍾乳洞。
入り口はイメージしていたものよりも小さかったので、少し拍子抜けだ。
だが、それでも天然の鍾乳洞であることに変わりはない。
早く中を見学したいという気持ちがより一層強くなった。
「向こうで料金を払えばいいのかな?」
入り口の近くには、観光客たちの集まっている場所があった。
どうやらそこで入洞料を払えば見学させてもらえるらしい。
一人で来ている人もあちこちに散見できるので、ここはソロでも楽しめるのだろう。
さっそく海愛もその列に並び、料金を支払う。
そして、期待に胸を膨らませながら入り口に向かい、入洞した。
その瞬間、ひんやりとした空気が海愛を襲う。
「……寒っ!!」
それが入洞して最初に覚えた感覚だった。
夏だというのに鍾乳洞の中は異常に寒い。
はっきり言って、これは完全に想定外だ。
しかも今日の海愛の服装は丈の短いワンピースなので、寒さには余計に鋭敏になっている。
まるで空調の効き過ぎた密室のように感じられた。
「外はあんなに暑いのに……」
屋外の気温は今日も三十度はあったはずだ。
だから露出の多い服装の方が適していたのだが、鍾乳洞の中の環境は完全に屋外とは真逆だ。
夏でももう少し厚着して来るべき場所だったと痛感する。
「よく見たら、他の観光客たちはほとんど長袖だ……もしかして鍾乳洞の中がこんなに寒いって知らなかったのは私だけかも……」
初めての鍾乳洞を全力で楽しみたくて、ここに到着するまでの間、あえてスマホは見ないようにしていた。事前に調べ過ぎると楽しみが半減してしまうと思ったからだ。
だが、それが仇になった。
鍾乳洞に入る時の適した服装なんて、ちょっと調べればわかっただろう。
気温が低いことを事前に知っていればどこかで羽織るものくらい調達したかもしれないが……今さらそれを嘆いてももう遅い。
入洞したばかりで引き返すのはもったいないので、このまま進むしかないだろう。
覚悟を決めて奥に進むことにする海愛。
まずは手すりに掴まり、階段を下りてゆく。
一応人が歩く場所は整備されているが、水で濡れていて滑りやすくなっているため、あまり歩きやすいとは言えない。
入り口付近は天井も低く、気をつけなければ鍾乳石に頭をぶつけて怪我をしてしまいそうだ。
それを防ぐためか、あちこちに『頭上注意』の看板が設置されている。
海愛は、頭をぶつけたり滑って転んだりしないよう注意しながら慎重に階段を下りていった。
そうして奥へと進んでいくと、少し開けた場所に出た。
ここに来るまでの通路はかなり狭く、人とすれ違う時はどちらかが譲らなければならない場所も多かったが、これだけ開けていれば誰かとぶつかる心配はなさそうだ。
「すごい……これが鍾乳洞……」
ライトで照らされた周囲を見回して、ようやく鍾乳洞の内部を知れたような気がしてくる。
天井から氷柱のように伸びた鍾乳石に、床からタケノコのように伸びている石筍。
鍾乳石からは水滴が滴り落ちて床を濡らし、結果として湿度の高い環境を作り上げている。
そんな初めて体験する鍾乳洞の環境に、海愛のテンションは上がりっぱなしだ。
興奮しているためか、寒さもそこまで気にならなくなってきた。
「まさか東京都にこんな場所があるなんて知らなかったなぁ……」
十五年以上も暮らしたのに、少し西に移動するだけでこんなに見事な自然を感じることができるなんて思わなかった。
やはり人間は一カ所に留まっていてはいけないのだ。
いろいろな場所を訪れて、実際に景色を見たり現地の空気を肌で感じることでしか学べないこともたくさんある。
そうやって学んだことは、いつか必ずその人だけの宝物になるだろう。
天然の鍾乳洞を前に、ふとそんなことを考える海愛だった。
「さてと……ここが見学できる最深部みたいだから、あとは引き返すだけか……」
入洞してからおよそ二十分。そろそろ体も冷えてきたし充分に堪能できたので、入り口まで戻ることにする。
この環境に少しだけ慣れてきたので、帰りは行きよりも早く進むことができた。
そうして入り口に戻ってきた海愛は、多少の名残惜しさを感じつつも外に出る。
相変わらず外の気温は高かった。
「うわ……やっぱり外は暑いな……」
その極端な気温差を改めて体感する。
しかし、鍾乳洞の内部を見学して冷えきった今の体には、外の暑さはむしろちょうど良いくらいだった。
夏の日光が心地よいと感じたのは初めてだ。
体が完全に温まるまで、しばらく日光浴を続けるのだった。
そうしているうちに帰りのバスの発車時刻が近づいてきた。
「あ……そろそろ時間だ……もう行かなくちゃ」
スマホで時間を確認し、つぶやく。
スマホをポケットにしまい、鍾乳洞を見納めると、バス停に向かって歩き出した。
バス停に着くとほぼ同時に、バスも到着する。
並んでいた観光客たちがそのバスに乗車し始めた。
海愛もその後に続いて乗り込む。
全員が乗り込み、発車時刻になったことを確認すると、奥多摩駅行きのバスは動き出した。
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