第32話 一泊二日の小旅行 有馬温泉⑨昼の有馬温泉街

翌日。

朝食を済ませ、荷物をまとめた二人は午前十時前にチェックアウトした。


だが、まだ東京には戻らない。

これから真穂乃に昼の有馬温泉街を案内してもらうことになっているからだ。


大きな荷物をフロントで預かってもらい、旅館を出る二人。

旅館の前ではすでに真穂乃が待機していた。


「おはよう、二人とも。昨日はよく眠れたかしら?」

「あ、おはよ! うん、ぐっすり眠れたよ。ね? 海愛……」

「うん。こんなに寝たの久しぶりかも……」


昨夜の就寝時刻は二十三時頃。

そして、今朝の起床時刻は午前八時前。

つまり九時間近く寝たことになる。

普段は勉強やバイトで忙しくてこんなに睡眠時間を確保することはできない。

たくさん寝たおかげで昨日の疲労は完全に回復していた。


「ちゃんと眠れたみたいで何よりだわ。それじゃあ行きましょうか」

「「うん!!」」


こうして三人は昼の温泉街へと繰り出すのだった。


温泉街は観光客で賑わっており、とても活気がある。

今の時間帯はチェックアウトを済ませた客や日帰りの客であふれているため、夜の温泉街以上に人でごった返していた。


「夏休みだからやっぱり混んでるわね……二人とも、はぐれないように気をつけてね」


先頭を歩く真穂乃が土地勘のない二人に気を配るが、


「……あ! あっちに何かある!」


そんな気配りなどお構いなしといった様子で、彩香が駆け出してしまった。

おそらく何か気になるものでも見つけたのだろう。


「ちょっと、彩香! 私の話聞いてた!?」


真穂乃が慌てて彩香を追いかける。海愛もその後に続いた。


彩香の目的は、すぐ近くにある像だったらしい。

その像の前で足を止めてくれたため、見失うことなく追いつくことができた。


「秀吉の像だ……」


目の前にあるのは、太閤秀吉の像。

彩香は目を輝かせながら、スマホのレンズを像に向けていた。


「……これを見つけたから急に走り出したんだね」


秀吉の像を見て、幼馴染みが突然走り出した理由を理解する海愛。


「そういえば歴史好きだったわね……」


そもそも彩香が有馬温泉に興味を持ったのは、豊臣秀吉の愛した温泉だからだ。

秀吉に関係する何かを見つければ惹かれてしまうのは自明の理と言える。


とても立派な像だ。威風堂々と正座して虚空を見つめる姿は、威厳のようなものすら感じられた。


そんな立派な像を連写し、満足顔の彩香。

一方、海愛はなぜこのような像があるのか不思議だった。


「でも、なんで像が建てられてるんだろう……? 秀吉に縁のある温泉地ってことは知ってるけど、それだけの理由で像なんて建てるのかな……?」


その疑問に彩香が答えてくれる。


「それはね……秀吉が有馬温泉の英雄だからだよ」

「……英雄?」


彩香の言葉の一部を繰り返した。秀吉を“英雄”と呼ぶ理由がわからなかったからだ。


「有馬温泉があるのは秀吉のおかげってこと」

「……どういうこと?」


ますます意味がわからなくなる。


そんな海愛のために詳しい説明をする彩香。


「実は1596年に起きた慶長伏見大地震でここも甚大な被害を受けたんだけど、その翌年に秀吉の命令で改修工事が始まったの。工事には莫大なお金と時間がかかっただろうけど、そのおかげで有馬温泉は元通りになったってわけ。……もし秀吉が改修工事を命じなかったらどうなっていたかわからない……だから英雄なんだよ!」

「そうだったんだ……」


秀吉の像をじっと見つめる海愛。

非常に有名な人物だからある程度は知っているつもりだったが、地震の被害を受けた温泉地の復興に尽力していたとは初耳だ。

今こうして有馬温泉を楽しむことができるのは秀吉のおかげだと思うと、急に感謝の気持ちが芽生えた。


「秀吉公にお礼を言わないとね!」

「……え? あ……そうだね。え~と……秀吉様、有馬温泉を元通りにしてくれてありがとうございます」

「「ありがとうございます!!」」


海愛に続けて彩香と真穂乃も像に向かって手を合わせ、礼を言う。

これできっと感謝の気持ちは伝わっただろう。


「……じゃあ、そろそろ行こうか」

「うん!」


その後も三人は、観光客でごった返す温泉街をあちこち歩き回った。

有馬温泉街には秀吉の像だけでなく、秀吉の正妻であるねねの像まで建てられており、彩香は大はしゃぎだった。


夢中になって歩き回っているうちに昼時になったので、近くの店で軽く昼食を済ませる。


昼食後は、いくつかの立ち寄り湯をはしごすることになった。この温泉街には日帰り入浴を受け入れている旅館や施設が多数存在し、場所によって温泉に違いがあるからだ。

源泉かけ流しの場所もあれば、加温や加水をしている場所もある。

金泉しかない場所もあればその逆に銀泉しかない場所もあるし、真穂乃の実家の旅館のように両方を楽しめるところもある。

複数の旅館や施設の温泉を巡ってその違いを楽しむのも、温泉旅行の醍醐味なのだ。


三人は心ゆくまで有馬の湯を楽しんだ。


そうして日が沈みかけた頃。

海愛たちは夕方の有馬温泉街を並んで歩いていた。


「ふぅ~……どこもいいお湯だったね~」


歩きながら、彩香がつぶやく。


「でも昨日から温泉に入り過ぎてるせいで体がふやけてきちゃったよ……」


確かにどこも素晴らしかったが、昨日と今日の二日間で何度も入浴しているので、体はかなりふやけてしまった。入浴回数はもう少し減らすべきだったかもしれない。


「確かにちょっと入り過ぎちゃったわね……私ものぼせ気味よ。だけど他の旅館や施設のお風呂を知れて勉強になったわ!」


真穂乃は勉強も兼ねて立ち寄り湯をはしごしていたらしい。

温泉旅館の後継者としていろいろな浴場を知っておきたかったのだろう。


「……それでこの後はどうしようか?」


彩香が訊ねる。


「そろそろ帰る時間だけど……」


時刻はすでに十七時をまわっている。

そろそろ東京に戻る準備をしなければならない時間だ。


時間を気にする海愛に、真穂乃が話しかけてくる。


「ねぇ……もう一カ所だけ案内したい場所があるんだけどいいかしら?」

「……え? うん、まだもう少し大丈夫かな」


夏休みなので少しくらい帰宅が遅くなっても問題ない。

あまり遠くには行けないが、近場ならまだ観光する時間はあるだろう。


「どこに行くの?」


彩香が行き先を聞いた。


「すぐ近くよ。……でもちょっとここで待ってて! 買いたいものがあるから」


そう言って、真穂乃はすぐそばにある土産物屋に入っていった。



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