第31話 一泊二日の小旅行 有馬温泉⑧夜景と星空
「ありがとね、真穂乃。夜の有馬温泉街、すっごく楽しかったよ!」
「私も楽しかった……ありがとう、誘ってくれて」
旅館に到着したので、二人が真穂乃に礼を言う。
「何言ってるの? 夜の散歩はまだ終わりじゃないわよ?」
しかし真穂乃はキョトンとした表情でそう言って、とある方向を指差した。
「「……え?」」
反射的に指差す方に顔を向ける二人。
その方向には、車に乗って運転席から顔を出す真理乃の姿があった。
「……真理乃さん? どこかに出かけるんですか?」
彩香が質問する。
車の運転席に座り、エンジンもかかっている状態なので、今から外出するつもりなのかと思ったのだ。
その疑問に答えたのは真理乃ではなく、娘の真穂乃だった。
「実はね……どうしても二人を連れていきたい場所がもう一カ所あるの。それでお母さんに車を出してもらったのよ」
「……連れていきたい場所って?」
真穂乃の言葉に海愛が興味を持つ。
「それは着いてからのお楽しみよ。さぁ車に乗って!」
「え~どこに連れていってくれるんだろう……楽しみだね、海愛」
「うん!」
真穂乃がここまで言うからにはきっと素敵な場所なのだろう。
どうやらこの街は、夜になっても観光客を全力で楽しませてくれるようだ。
「それじゃ真理乃さん、よろしくお願いします」
そうして三人は車に乗り込んだ。
席は昼間と同じで、真穂乃が助手席、海愛と彩香が後部座席だ。
「……では、出発しますね」
全員の着座を確認した真穂乃がアクセルを踏んだ。
車が夜の有馬温泉街を走り出す。
あっという間に温泉街は見えなくなった。
街中からも離れ、山道をひたすら登ってゆく。
そして約三十分かけて到着した場所は六甲山の掬星台だった。昼間、ケーブルカーとロープウェイに乗ってたどり着いた場所だ。
「ここ……掬星台……?」
車から降りた海愛があたりを見回す。昼間に一度来ているが、夜はまったく雰囲気が異なる気がした。
「真穂乃があたしたちを連れていきたかった場所ってここなの?」
「そうよ。二人ともついて来て」
真穂乃が先頭に立って歩き始めた。
海愛たちもその後を追う。
ちなみに真理乃は車内で待機することになっているのか、車から降りてくることはなかった。
「よく見たら、他にも観光客がたくさんいるね……」
真穂乃の後を追いながら、海愛がつぶやく。
もう夜の九時近いのに、これだけたくさんの観光客が集まっているのは不思議だ。
「そりゃあ集まるでしょうね。この時間帯にしか見られない素敵な光景があるんだから」
「素敵な光景……」
「ほら、見て!」
そう言って、真穂乃が前方を指差す。
その方向には……
「わぁ……きれい……」
とてつもなく美しい夜景があった。
ここは昼間、神戸の街を一望した展望台だ。
つまり、眼前に広がるのは神戸の街の夜景ということになる。
「昼に見た時と全然違うよ……」
同じ場所からの景色とは思えないほど煌びやかな街に目が離せなくなる。
もちろん昼間の景色も最高だったが、夜の景色はそれ以上だろう。
「もしかしてこれが有名な六甲山の夜景なのかな?」
彩香が隣に立っている真穂乃に訊ねる。
「そうよ。日本三大夜景の一つと言われるだけあるでしょ?」
「確かに……こんな夜景が見られるなら観光客が集まるのも納得だよ……来てよかったね、海愛」
素敵な夜景が見られたことでご満悦の彩香。
しかし、海愛の視線はすでに街ではなく星空に向けられていた。
「うん……夜景もいいけど、星空もきれいだよ」
天気がよく、雲もほとんどないため、夜空を見上げればたくさんの輝きを見ることができる。
先ほどまで夜景を楽しんでいた海愛だが、今は星を見るのに夢中になっていた。
「まぁ山だからね。地上より星はよく見えそうだけど……」
海愛につられて彩香も上空を見上げる。
「彩香といっしょに星を見るのって何だか久しぶりだね」
「あ~そういえばそうかも……いつぶりだっけ……?」
「見て、彩香! あれ、夏の大三角だよ!!」
久しぶりに二人で星空の観察ができたことが嬉しくて、少しだけテンションが上がる海愛。
北東の空を指差して、夏の大三角をきれいに見えていることを伝えるのだった。
「……え? どれ?」
だが、星に詳しくない彩香は夏の大三角を見つけられずにいる。
「も~あんなにはっきり見えてるのに……」
そんな幼馴染みに、星座の探し方を伝授し始めた。
「まず、あの明るい星がこと座のベガ。夏の大三角で一番明るい星だから、これはわかるよね? ……で、ベガの左下にあるのがわし座のアルタイル。そこから真上に移動して、ベガの左上にあるのがはくちょう座のデネブだよ。ベガもアルタイルもデネブも全部一等星だから見つけやすいと思うよ」
「ううん……全然わかんない……」
一つ一つ星を指差して丁寧に説明したつもりだが、それでも彩香は星座をひとつも見つけられないでいた。
しかし、彩香が星座を見つけられないのは昔から同じなので仕方ないのかもしれない。
「まったく彩香ってば、昔から成長してないんだから……まぁ、星座を探すにはある程度の知識と経験が必要なんだけど……」
「そうそう。初心者には難しいんだから、わからなくてもしょうがないって!」
こと座、わし座、はくちょう座のいずれも見つけられなかった彩香は、星座を探すのを諦めて再び夜景に視線を戻した。
一方の海愛はまだ星空を眺めていた。
『星を掬う台』という名称だけあって、掬星台からは本当によく星が見える。
海愛は次々に星座を見つけていくのだった。
「それにしても六甲山は星がよく見えるね。他にも星座がいっぱいだよ! 夏の大三角の内側にあるあの星座は矢座で、三角形からはちょっとはみ出てるけど矢座の右隣にあるのがこぎつね座。それからわし座の左上にいるか座が見えるね。あとは……」
「ちょ……ちょっと落ち着こうよ、海愛」
生き生きと話す海愛を制止する彩香。
「あ……ごめんね、つい……」
制止されたことで、しゃべり過ぎていたことに気がつき、反省する。
そんな海愛の姿を見ていた真穂乃が、意外なものを見たような表情でつぶやく。
「海愛って星が好きなの? ずいぶん熱心に説明してたけど……」
「そういえば真穂乃には言ってなかったね……そうだよ。海愛は子どもの頃から星が好きなんだ」
「そうだったのね。好きなことになると話が止まらなくなる人って多いけど、まさか海愛がそういうタイプだったなんてね……こんなに饒舌な海愛、初めて見たわ」
「う……できれば忘れてほしい……」
星のことになるとテンションが上がって口数が多くなりがちだということは自覚している。
あまり人には知られたくない一面なので、できるだけ早く忘れてくれることを願う海愛だった。
「……ま、とにかく楽しんでもらえたみたいで嬉しいわ。連れてきてよかった……」
「あたしたちもここに来られてよかったよ。これも神戸の街に詳しい真穂乃のおかげだね」
「うん! こんなに“光の芸術”を楽しめるなんて思わなかったよ。ありがとう、真穂乃」
有馬温泉街のライトアップといい、掬星台からの夜景といい、地上よりもきれいに見える星空といい、神戸の街はまさに“光の芸術”にあふれている街と言っても過言ではない。
昼だけでなく夜もこんなに観光客を楽しませてくれるなんて、本当にいい所だなと思う。
そんな素敵な場所をガイドしてくれた真穂乃には感謝してもしきれなかった。
「私は地元を案内しただけで、感謝されるほどのことはしてないけどね……それより、そろそろ戻りましょうか。長居すると遅くなっちゃうから……」
感謝されて照れくさかったのか、真穂乃がそっぽを向いて真理乃の待つ車へと歩き出した。
「確かにもう九時半だもんね。本当なら部屋にいなきゃいけない時間帯だよ……」
車に戻る真穂乃についていく彩香。
ビジネスホテルならともかく、旅館の場合は夜遅くの外出は原則禁止されていることも多い。
だから真穂乃の発言に従うことにしたのだろう。
「まだもうちょっと星を見ていたかったけど……しょうがないか……」
海愛も星空の観察を切り上げ、二人の後を追って歩き出した。
それから真理乃の車に乗り込み、来た時と同じ時間をかけて旅館に戻ったのだった。
「……はい、着きましたよ」
「「ありがとうございます、真理乃さん」」
旅館に到着すると、海愛と彩香は真理乃に礼を言って車から降りる。
そして、他の宿泊客に迷惑をかけないよう静かに客室に戻った。
すでに布団が敷かれている。きっと外出している間に仲居が敷いてくれたのだろう。
「布団が敷いてあるね……どうする? 海愛」
現在の時刻は二十二時過ぎ。普段ならまだ起きている時間だ。
しかし、海愛は就寝を提案した。
「そうだね……今日は疲れたからもう一度お風呂に入ったらもう寝よっか……確か二十四時まで入れたよね?」
初めて訪れた土地であれだけ動き回ったのだから、体はかなり疲弊している。
今日は早めに寝て体を休めた方がよいだろう。
「わかった……じゃあ急いでお風呂に入っちゃおう!」
その提案に彩香も賛成し、二人は大浴場へと向かう。
そして本日二度目の入浴を済ませると、部屋に戻り、寝る準備をしてから電気を消して布団に入った。
その途端、強烈な睡魔が襲ってくる。
六甲山を歩き、有馬温泉を堪能し、おいしい料理に舌鼓を打ち、夜の有馬温泉街を散策し、六甲山の掬星台で夜景と星空を楽しむ……なかなかに濃い一日だったと言えるだろう。
そんな充実した一日を過ごしたからこそ、ここまで強烈な睡魔が襲ってきたのだ。
隣の布団では彩香がすでに寝息をたてていた。
どうやら彩香も疲れていたらしい。
「お休み、彩香」
そうつぶやいて、海愛も目を閉じる。
段々と意識が遠のいてゆき、数分と経たないうちに海愛は深い眠りに誘われた。
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