第4話 初めての日帰り温泉旅行 草津温泉③露天風呂

「着いたよ、海愛」


目的の施設に到着すると、彩香は足を止めて海愛の方を振り返った。


「大きい施設だね」

「温泉も広いらしいよ」


二人は施設に入場し、カウンターで入浴料と貸しバスタオルの料金を払った。

そして、女湯の暖簾をくぐる。

脱衣所も広くて清潔だった。


貴重品を鍵付きロッカーの中に入れ、さっそく服を脱ぎ始める海愛。

そんな海愛を、彩香が意外そうな目で見つめる。


「……何?」

「いや……今さらだけど、海愛ってこういう場所での脱衣に抵抗がないんだなと思って。知らない人ばかりなのに……」


どうやら人見知りの海愛が抵抗なく脱衣していることに少なからず驚いたようだ。

しかし、幼い頃から彩香の実家の銭湯に通っている海愛にとって、公衆浴場の利用はそこまでハードルが高いわけではなかった。


「私だってまったく抵抗がないわけじゃないよ。でも、小さい頃から彩香の家の銭湯に通ってるから慣れちゃってるみたい……」

「そういえばそうだったね。昔はあたしと海愛となぎさちゃんの三人で一緒に入ったっけ……」


彩香が幼少時代を回顧する。


「なぎさちゃん……懐かしい! 確か小学二年生の頃まで近くに住んでたんだよね」


懐かしい名前が出たことで、海愛も昔の記憶が呼び起こされるのを感じた。


幼い頃いっしょに遊んだ友達。それがなぎさちゃんだ。

しかし、彼女は小学三年生に進級する年の春に引っ越してしまった。

まだ幼かったため、海愛も彩香もなぎさちゃんのことはあまり覚えていない。顔も苗字すらも思い出せないのだ。

それでも一緒に遊んだ記憶だけは鮮明に残っていた。


「今頃どこで何してるのかな……?」


急になぎさの現在の様子が気になってしまう。

しかし、住所もわからなければ連絡先も知らないので、彼女がどこで何をしているかを知る術はない。


「まぁどこかで元気にやってるんじゃない? それより今は温泉を楽しもうよ! 先に行ってるからね」


海愛が昔の友達を懐かしんでいる間に、彩香は脱衣を完了させていた。

そして、すっぽんぽんの状態でタオルも持たずに露天風呂へと向かう。


「ちょっと、彩香! バスタオル巻きなよ」


女湯とはいえ一糸まとわぬ姿で脱衣所を闊歩する幼馴染みに忠告するが、彩香は聞く耳を持たずに行ってしまうのだった。


「まったく……相変わらずなんだから……」


彩香が公衆浴場や更衣室などで体を隠そうとしないのは昔からずっとだ。他に入浴客がいようが、いつも堂々としている。

小学校や中学校の修学旅行の時も同様で、クラスメイトがいるのに浴室や脱衣所を裸でウロウロしていた。

そのため、タオルを巻くよう忠告しても聞かないだろうとは予想していた。


「まぁいっか……私も早く脱がないと……」


彩香が露天風呂に向かったのを見て、海愛も気持ちがはやり、急いで残りの衣服を脱ぎ始めた。

そうして着ていたものをすべて脱いだ海愛は、体にバスタオルを巻き、彩香を追いかけて露天風呂に向かったのだった。


「うわぁ……すごい……」


露天風呂へのドアを開けると、そこには想像以上に広く大きく開放的な温泉があった。

青い空から太陽の日差しが降り注いでおり、光がお湯に反射してキラキラと輝いている。

露天風呂のまわりは森になっていて、葉桜になりかけた桜の樹が風に揺れていた。

マイナスイオンが充満していてリフレッシュできそうな場所だなと思う海愛だった。


「うぅ……寒い……」


急に吹きつけた風に体を震わせる。

四月の草津は気温が低い。

バスタオル一枚の姿で屋外に立っているのはさすがに寒かった。


「早く入ろう……」


バスタオルを取り、かけ湯をして体を洗った後、足の先をゆっくりと草津の湯に浸けた。

お湯の温度はかなりぬるめだ。

完全に温泉に浸かると、全身にピリッとした刺激が走るのを感じた。


「……あ、海愛! こっちだよ~」


少し離れた場所から彩香が手を振っている。

海愛は湯の中を歩いて進み、彩香のいる場所へと向かった。


「気持ちいいね、彩香。天気もいいし自然もいっぱいだし、最高の温泉だよ!」

「だよね。ここは昔からずっと来てみたかった場所なんだよ。今日来れて本当によかった!」


彩香は草津温泉に来ることができてご満悦の様子だ。


「でも少し肌がピリピリするかな……」


入った直後から全身に刺激が走っていることを伝える。


「強酸性の温泉だからね。金属製のものを浸けると錆びるみたいだし……あんまり長湯はしない方がいいよ」

「長湯は厳禁かぁ……」


草津の湯は、金属を変色させてしまうほど強力な酸性の温泉で、殺菌効果も高い。

しかし、同時に肌への刺激も強いため長時間の入浴には向いていないのだ。


そんなふうに二人が強酸性の湯の特徴を全身で感じていると、


「お嬢さんたち、どこから来たの?」


背後から急に声をかけられたのだった。

振り向くと、初老の女性客と目が合った。優しそうな笑顔で海愛たちを見つめている。


「ひゃっ!!」


とたんに悲鳴を上げて彩香の背中に隠れる海愛。


「あらあら……」


女性は困り顔だ。

彩香が代わりに謝罪する。


「気を悪くしたらごめんなさい。この子、人見知りなんです」


子どもの頃から実家の銭湯で不特定多数の客の相手をしてきた彩香にとって、初対面の人と話すことなど訳も無いのだ。


「そうだったのね。こちらこそ急に話しかけたりしてごめんなさい」


女性も理解してくれたようだ。

少し打ち解けたところで、先ほどの海愛への質問に彩香が答える。


「あたしたち東京から来ました。草津温泉には前から一度来てみたかったんですよ」

「まぁ! 東京からわざわざ!? あなたたち、学生よね?」

「はい、高校一年生です。おばさんは地元の方ですか?」

「ええ。生まれも育ちも群馬なの。ここの温泉にはよく来るんだけど、東京の女子高生が入りに来るなんて珍しいわ」

「あたし、実家が銭湯を経営していてお風呂が好きなんです。それで温泉にも興味を持って、高校生になったらいろんな温泉地に行ってみたいと思ってたんですよ」

「実家が銭湯なの? いいわね、広いお風呂に入り放題じゃない!」

「強制的に仕事を手伝わされますけどね……」


いつの間にか二人は会話に花を咲かせていた。

そんな二人の邪魔をしないように、海愛は少し離れて景色を楽しむことにした。

空は雲ひとつない快晴で、遠くには山が見える。

桜の花びらが冷たい風に舞い、森の方から野鳥の鳴き声が聞こえてきた。

すべてが心地よい。

海愛は、とてもリラックスした状態で温泉に浸かることができたのだった。


しばらくして、ぼんやりと遠くの景色を眺めている海愛のそばに彩香がやって来た。どうやら女性との会話が終わったようだ。


「海愛、冷えてきたしそろそろ出ようか」


露天風呂から上がることを提案してくる。


「そうだね。出よう」


海愛も賛成し、湯船から上がった。

ぬるめのお湯に浸かっていたため、体は冷えてしまっていた。

その冷えた体に四月の風が吹きつけてくる。


「う……さっきより寒い!」


体が濡れているせいで、露天風呂に浸かる前より寒く感じる。

二人は寒さから逃げるように急いで内風呂に向かうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る