第13話 数年前からの計画

 木がクッションになったのか、草がクッションになったのか、それともぬかるんだ土がクッションになったのか。

 とにかく高いところから落ちたにも関わらず、チェルシーは無事だった。

体中に打ち身や痣、擦り傷、切り傷はあるが、それでも大した怪我はない。きっと日頃の行いが良かったんだな、うん。


「それにしても、ここはどこだろう……?」


 おそらく崖を登れば帰れるのだろうが、さすがにこの崖は登れない。

 どこかから回れば上に繋がる道に出られるのだろうが、どの道がそれに繋がっているのかも分からない。

 ここは下手に動かず、この場に待機し、助けが来るのを待つべきだろうか。


(キール達が助けを呼びに行ってくれているだろうから、救援は来てくれると思うけど……。ヤダなあ、これ、絶対に怒られるヤツだ)


 崖から落ちるなんて気の緩んでいる証拠、常にロイヤルナイトとしての自覚と誇りを胸に行動しなさい、くらいの事は、副隊長であるヤマトなら言って来る。

 そしてその後は、報告を受けたアーサーにも怒られるのだろうし、自分の事を良く思っていない騎士達には、「調子に乗っているからだろ、ざまあ(はーと)」とか言ってバカにされるんだろう。最悪だ。


(どこかに水場はないかしら?)


 憂鬱な気分を胸に、チェルシーは取り敢えず泥を落としたり、傷を洗ったりしようと、山の中を散策する。


 ところで自分は、どのくらい気を失っていたのだろうか。

 今は夕方のようだが、それが今日の夕方なのか、明日の夕方なのか、明後日以降の夕方なのかは分からない。出来れば崖から落ちた今日の夕方である事を願う。


(魔物が少ないのは救いよね。あとは雨が降ったり、雷が鳴ったりしなければ良いんだけれど)


 そんな心配をしながら、チェルシーは山中を歩く。念のため、どこか雨を凌げる場所も見付けておくべきだろうか。


「……?」


 どのくらい歩いた頃だろうか。何やら遠くから声が聞こえて来る。

 一瞬魔物の声かと警戒したが、どうやらそれは複数の人間の声のようだ。


(向こうにいるのが、私を探しに来てくれた仲間だと良いんだけれど……)


 ここは一般の人はあまり近付かない山だし、今は目立った抗争もない事から、そこに敵が潜んでいるとも考えにくい。となると、向こうにいるのはおそらく騎士の仲間だろう。

 良かった、雨が降る前に何とか帰れそうだ。


(うん……?)


 しかし声がする方へと近付くにつれて、何やら違和感を覚え始める。


 見えて来たのは、陣を囲うように張られた白い幕と、その向こうに見える、大声で何かを演説しているらしい人の影。パチパチと音を立てながら揺れているのは、篝火だろうか。


(何だか沢山人がいるみたいだけれど……何だろう? イベントでもやっているのかしら?)


 一般人が近寄らないような、こんな山の中で? とチェルシーはすぐにその可能性を否定する。


 幕の向こうにいるのが人間であるのは間違いないが、それでもヤバイ部類の人間だった場合、見付かったら面倒だ。ここは慎重に行動するべきだろう。


 そう考えたチェルシーは、そっと幕を捲り、その中の様子を窺い見る。


 そしてその演説している人物を見た瞬間、チェルシーは驚愕に目を見開いた。


(あれは、ハインブルク侯爵っ?)


 ハインブルク侯爵。それはクリスフレッドと結婚した、ロンブラントの父親である。

 ロンブラントがクリスフレッドと結婚する時、挨拶や手続きやらで、何度も城に出入りしていたから顔は覚えている。


 そのハインブルク侯爵が武装し、同じように武装している大勢の人間の前で演説をしているのだが、これは一体どういう事だろうか。


「今こそ政権を取り返す時! 我らが先祖に祝福を! 運でのし上がっただけの卑怯者共に制裁を!」

「おおおおおーっ!」

(こ、これは、一体……っ?)


 ハインブルクの掛け声に、武装した大勢の男達が、雄叫びを上げながら大きく拳を振り上げる。


 鎧からして騎士団ではもちろんないし……。

 一体何が起きているのだろうか。


「今宵、予定通りにロンブラントがクリスフレッドを殺す。その時に起きるだろう混乱に乗じて、我らは城に攻め入る!」

「おおおおおーっ!」

(えっ? ええ? えっ、何? どういう事?)


 今宵、ロンブラントがクリスフレッドを殺す? え、何で?


「国王も王子もバカで助かったわ。政権奪還のために王子に近付いた我が息子を、まさか娶る事によって懐に入れるとはな」

(な……っ?)


 その言葉に、チェルシーは全てを理解する。


 ロンブラントはクリスフレッドを愛していたから結婚したわけではない。

 父親であるハインブルク侯爵の指示の下、最初から政権奪還のためにクリスフレッドに近付き、そして結婚にまで漕ぎ付けたのだ。


(隊長の話では、クリスフレッド様はロンブラント様にベタ惚れだったハズ。まさか殺すために近付いたなんて誰も思っていないし、二人がいるのは人の少ない避暑地の上、付いて行った護衛の騎士は数人。マズイ、このままだとクリスフレッド様は高確率で殺される!)


 大変だ。これは呑気に救助を待っている場合ではない。今すぐにでも城に戻り、一刻も早くこの情報を伝えないと!


 しかしそう思ったチェエルシーが、急いでその場から立ち去ろうとした時だった。


「クリスフレッド殺害の知らせが城に届いたら、我らも城に突入する。そしたらまずは国王と第二王子を殺せ」

(え……?)


 第二王子を殺せ……?


「国王はもちろんの事、その血を引く第二王子も確実に殺す。現国王の血を引く者を生かしておくわけにはいかないからな。クリスフレッドを殺し、国王と第二王子をも殺す。それで我らの勝ちだ!」

(は……っ、嘘……っ?)


 ドクドクと、心臓が嫌な音を立てる。

 急いで情報を持って帰らなければ、ジークエイトが殺されてしまう。


(い、いえ、大丈夫よ。だって城には沢山の騎士がいるし、ジークエイト様だって、神童と言われる程にお強いんだもの。だからきっとジークエイト様は、そう簡単には殺されないわ)


 でもクリスフレッドが殺された事に、ジークエイトがショックを受けてしまったら?

 そして第一王子の殺害報告に、城中の者達が混乱してしまったら?

 そしたらジークエイトは、本当にその身を守る事が出来るのだろうか。


(あ、違う……ロイヤルナイトのみんなは私を探しに山に来ているハズだから、彼らは城にはいない。ロイヤルナイトがいなければ、ジークエイト様は守れないかもしれない。どうしよう、そしたら私のせいで、ジークエイト様が……っ!)


 特に優秀な人材の集まるロイヤルナイト。しかし彼らは今、クリスフレッドの護衛とチェルシーの捜索のために城にはいない。

 ロイヤルナイトがいなければ、ジークエイトが殺される可能性は尚更高くなってしまう。


 自分が崖から落ちたせいでジークエイトが殺される。

 そう考えると、ガクガクと足が震えた。


(違う、震えている場合じゃないっ!)


 そうだ、今はここで待機している場合でも、自分を責めて震えている場合でもない。

 殺す、殺されると言うが、それは未来の話であって、今はまだ誰も死んでいないのだ。

 ならばまだ未来は変えられる、そのために行動を起こさないと! 何が何でも城に帰らないと!


(急げ……っ!)


 幕から急いで離れたために、誰かに見られてしまったかもしれない。でもそんな事を気にしている余裕なんてない。日はもう傾き始めているのだ。急がなければ間に合わなくなってしまう。


 でもどこをどう行けば良い? 道なんて分からない。

 ああ、でもここに侯爵達がいるのなら、彼らがここまで来た道がどこかにあるハズ……あ、あそこに馬が繋がれている。侯爵達が乗って来た馬だろう。だったら馬が通れる道がどこかにあるハズだ。探さなければ……っ!


「っ!」


 連絡係が使っているのだろう。ぬかるんだ土に馬の足跡が残っている。

 これを辿れば、思ったよりも早く人のいるところに出られるかもしれない。急いで戻らないと……!


「あ……っ!」


 ぬかるんだ土と焦り、そして疲労に、チェルシーは勢いよくその場に転んでしまう。

 これで転んだのは何度目だろうか。今は転んでいる暇などないと言うのに!


「痛……っ」


 更に増えて行く擦り傷に表情を歪めながら、チェルシーは急いで起き上がる。


 と、その時だった。

 向こうの方で、ユラユラと揺れる小さな炎が目に入ったのは。


(あれは……?)


 おそらくは松明の灯だろう。そして聞こえて来るこの音は、馬の足音か。

 どうやら何者かが馬に乗ってこちらに近付いて来ているらしい。

 それが騎士の仲間であるのならさっさと合流したいところだが、ハインブルク侯爵の仲間である可能性もある。後者だった場合、見付かってしまうのは非常にマズイ。

 幸い、辺りは薄暗く、隠れる場所も沢山ある。ここは一度どこかに隠れ、様子を窺うのが得策だろう。


(でも、あれが侯爵の仲間だったら、何か情報を持って帰って来たって事よね? だったら襲い掛かって、そのまま捕え、その情報を吐かせるか、人質として利用した方が良いかしら?)


 木の陰に身を隠しながら、チェルシーはその人物が現れるのを待つ。


 足場が悪いせいか、馬が来るのがやけに遅い。

 こうして隠れているのも神経を使うのだ。早く来てくれないだろうか。


(とにかく、抜刀出来るようにはしておかないと)


 敵であった場合を考えて、チェルシーは腰の左右にある剣に手を掛ける。


 しかし、ようやく視界に捉えた人物を確認したその瞬間、チェルシーは我が目を疑った。


 軽く乱れた銀色の髪に、キョロキョロと忙しなく動く碧色の瞳。


 松明を片手に馬に乗って現れたのは他でもない、チェルシーが何がなんでも助けたかった人物、ジークエイト王子その人だったのである。

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