第5話 少し前のお話2 Side.Z

 その日の夜は眠れなかった。詳しい事は割愛するが、全部兄貴のせいだ。相変わらず何を考えているのか分からない。あの人が次期国王で、この国は大丈夫だろうか。


(だからって、オレが跡を継ぎたいとも思わないんだけど)


 国王とか、絶対に面倒臭い。オレは兄貴を支える立場で十分だ。


 とにかく、こんな夜は体を動かすに限る。

 周りはオレを剣術の天才とか、神童とか言って持て囃しているが、オレだって特に何もしないで神童になったわけじゃない。

 もちろん生まれながらに持っていた才もあるのだろうが、オレだって割と努力してこうなったんだ。

 だからオレよりも剣の腕が立たず、「ちょっと顔がイイからって調子に乗りやがって」とか、「王子様は楽でイイですね」とか言って陰で妬んでいる騎士のヤツらは、その辺ちょっとは考えた方が良いと思う。


(……?)


 目的地であるバーチャルフィールドから感じた人の気配に、オレはふと足を止める。

 もう深夜にも近い時刻だと言うのに。まだ誰かが使っているのだろうか。


(誰だよ、こんな時間にこんなところを使っているヤツは)


 さっさと寝ろよ、なんて自分の事は棚に上げ、オレは一歩一歩バーチャルフィールドに歩み寄って行く。


 バーチャルフィールド。そこには最先端の技術を使った、城内でも一つしかない超ハイテクマシーン、架空戦闘機がある。


 仮想戦闘機とは、架空の敵をその場にあたかも存在しているように創り出し、その創り出した敵と実際に戦う事が出来る、疑似体験戦闘システムの事だ。

 架空の敵なのでこちらが攻撃を受けても痛みはないが、こちらが攻撃をすれば、敵は怪我を負って動きが鈍くなったり、絶命して消滅したりする。

 そして敵を倒した時に、自分がどの程度の怪我で敵を倒す事が出来たか、あるいは何回死んだかなどが判定され、それによって自分の実力がどの程度のモノなのかが分かる高性能機械なのだ。


 しかし最先端技術を搭載した超高額機械のため、架空の敵を生み出せる機械は一つしかないし、ゲーム感覚で訓練出来るために人気もある。

 王子である自分が使おうとすれば、他の者は遠慮し、自分に使用権を譲ってくれるだろう。

 しかしそれはさすがに申し訳ないから、日中は騎士や兵士達が気兼ねなく使えるようにと使用権を譲り、こうして誰もいなさそうな時間にたまに使用するようにしているのに。


 それなのに誰だ、オレの気遣いを無視して、こんな時間に使っている夜更かし野郎は。日中は譲っているんだ。夜中くらい王子に譲ってくれても良いじゃないか。


(久しぶりにドラゴンと戦おうと思ったのに)


 機械は使えずとも、せめてオレとドラゴンの邪魔をしたヤツの顔くらいは見てやろうと、オレはバーチャルフィールドで剣を振り回している男に近付いて行く。


(え……?)


 しかしそれを視界に入れたところで、オレはハッとしたように目を見開き、そして思わず見惚れてしまった。


 二本の剣で架空の敵と戦う彼が、まるで舞いを舞っているかのように美しかったからである。


「……」


 架空の敵は、こちらで自由に設定する事が出来る。彼が敵として選んだのは、甲冑を着た五人の兵士。その兵士達を、無駄のない動きで次々と斬り裂いて行く。


 その動きに合わせて踊るのは、一つに結い上げられた夜色の髪。

 闇に溶け込むようにして舞うそれが、やけに印象的だった。


(すごいな……)


 彼の双剣と、自分の片手剣。その違いはあるものの、同じ剣を扱う者として、彼の腕が相当のモノである事はよく分かる。そして天才と謳われるまで努力して来た自分だからこそ、彼がどれだけ努力をしてここまで来たのかもよく分かるのだ。

 こうして一人、夜な夜な訓練しているのが、彼が努力家である何よりの証だろう。


 彼と話がしてみたい。

 しかしそう思い、また一歩一歩と彼に近付いていた時、オレはようやくその事実に気が付いた。


 そこにいるのが『彼』ではなく、『彼女』であると言う事に。


(え、女……?)


 男にしては細いなーとか、髪キレイだなーとか、腰の括れエロイなーとか思っていたが、どうやら彼……いや、彼女は男ではなくて女だったらしい。


 架空の敵を全て倒し、ふう、と一息吐いていた彼女。

 オレが凝視していたせいだろう。その視線に気付き、ハッとして振り返る。

 その瞬間、オレは全身がカッと熱くなるのを感じた。


「……」


 オレの姿を捉えた途端、彼女は驚いたようにしてハッと目を見開き、そしてヒュウッと息を飲み込んだ。

 無理もない。だって振り返ったら王子がいたのだから。そりゃ驚くだろう。


「……」


 たぶんオレから話し掛けるべきなのだろうが、情けない事に、オレは彼女の夜色の瞳に魅入ったまま動けないでいる。


 ドキドキと、その存在を主張するかのように、大きく脈打つ心臓。


 こういう時、世間一般の人はどうするのだろうか。


「……」


 突然現れた王子に驚き、その上じっと見つめられている彼女もまた、オレと同じくしてどうしたら良いのか分からないでいるのだろう。

 彼女は困ったように視線を彷徨わせた後に下を向き、そしておずおずともう一度視線をこちらに戻す。

 先程の凛とした姿も美しかったが……でも、狼狽えている姿は狼狽えている姿で可愛いな。


「……っ!」


 そんな呑気な事を考えていた時、ゆるゆると彼女が動き出す。

 ゆっくりと歩み寄り、ニコリと微笑む彼女に、オレは更に緊張に体を強張らせた。


「あの、こんばんは、ジークエイト様」


 ジークエイト……っ!


 彼女の口から出た自分の名に、キュッと心が震える。

 ただ自分の名前を呼ばれただけなのに。

 それがこんなにも嬉しい事だなんて、思いもしなかった。


「今日はとても冷えますね」


 優しく微笑みながら話し掛けてくれる彼女の瞳を、食い入るようにしてじっと見つめる。

 その瞳に映るのは、彼女を見つめる自分の姿。

 今、そこに映っているのが自分だけであると言う事実に、妙な高揚感を覚えた。


「あの、ジークエイト様?」


 再度彼女に名を呼ばれた事に、オレはハッと我に返る。

 彼女の瞳に映るのは、自分の他に不安の色。

 その不安にさえも、嫉妬している自分がいた。


「何だ?」


 女子と話をするだけで、こんなに緊張したのは初めてかもしれない。

 緊張で声が上擦ってしまったが、変に思われなかっただろうか。


「もしかしてここ、お使いになるつもりでしたか?」

「ああ」


 下手に言葉を連ねれば、緊張のあまり変な事を口走ってしまうかもしれない。

 変な事を言って、変なヤツだ、なるべく関わらないようにしよう、と思われるのは嫌だ。

 だからオレは、簡潔且つ正直に彼女の問いに答えた。


「た……っ、大変申し訳ございませんでしたっ!」

「え?」

「まさかこんな時間に王子がここを使いに来るとは思わず、一人で好き勝手使っておりました! 訓練に集中していたとは言え、王子の気配にも気付けず、申し訳ございません!」

「いや、別に……」

「王子の気配にすぐに気付き、そして王子に譲るべきでした! 申し訳ございませんでした!」


 仮想戦闘機は、誰が優先と言うわけでもない。みんな平等で順番に使うべきモノであって、王子が来たからと言って譲る必要などないのだし、訓練に集中していたのだから、オレの気配に気付けなくても当然だ。

 だから彼女が謝る必要など全くないのだ。


 それなのに何故、彼女はこんなにも必死に謝っているのだろう。もしかしてオレは、このくらいでも激怒するような心の狭い男だと思われているのだろうか。


「心外だな」

「えっ」


 その言葉に、驚いた彼女が勢いよく顔を上げる。

 しまった。ついうっかり心の声が出てしまった。


「いや、違う。このくらいじゃ怒らないという意味だ」

「このくらいじゃ……?」


 悪い意味に捉えられたら困ると、オレは慌ててそう補足する。

 そう、オレはこのくらいで怒るような、器の小さい人間ではない。もっと心の広い、優しい人間なのだ。


「あ、あの、それはえっと、もしかして……」


 しかし何を思ったのか、彼女は気まずそうに視線を彷徨わせる。

 そしておそるおそるオレを見上げると、ぼそりと聞きにくそうに尋ねて来た。


「もしかしてジークエイト様、その……見ていましたか?」


 その問いに、オレはキョトンと目を丸くする。


 見ていた? ああ、彼女が仮想戦闘機を使って戦っていたところを、オレに見ていたのかと聞いているのか。


「ああ、見ていた。と言うよりはその……見惚れていた」

「えっ」


 戦っている姿が、そして強くあろうと努力する姿が美しかった。

 だからオレは見ていたと言うよりは見惚れてしまっていたのだと、正直に首を縦に振る。


 すると彼女は顔を赤らめ……る事はなく、何故か顔を真っ青に染めた。


「大っ変申し訳ございませんでした!」

「えっ?」


 そしてオレに向かって、再度勢いよく頭を下げた。


「以後気を付けます故、どうかお許し下さいっ!」

「え? え?」


 許す? 何を?


「この度は誠に申し訳ございませんでした!」

「あ、おい、ちょっと待て!」


 何度も頭を下げてから立ち去ろうとする彼女を、オレは慌てて呼び止める。


 王子の命令には背けず、彼女は大人しく足を止めるが、呼び止めたは良いものの、この後どうしたら良いのかが分からない。

 彼女は何か勘違いしているようだが……とりあえずどうしようか?


「名前は?」


 何か言わなければと思い、咄嗟に口から出たのがまさかのそれ。

 もっと気の利いた言葉はなかったのか、とは思うが名前は大事だ。どこの誰かが分かればこちらから会いに行く事も……あ、そうだ。所属先も聞いておこう。


「所属は?」


 更にそう問えば、彼女はビクリと肩を震わせた後、ゆっくりとこちらを振り返った。


「ロイヤルナイト所属、チェルシー・ヘンダーソンと申します」


 そう名乗り、深々と頭を下げると、彼女、チェルシーは足早にそこから立ち去って行った。


「ロイヤルナイト……?」


 彼女が口にしたその所属先に、オレは兄貴としたいつぞやの話を思い出す。

 屈強な男性騎士を下し、ロイヤルナイト入りを果たした女性騎士。そんな子、可愛いわけがない。きっとゴリラみたいな女なんだろうと、そう話していた。


「ゴリラじゃないじゃないか」


 オレ達がゴリラと称した、ロイヤルナイトの紅一点。

 その夜、オレは彼女に心を奪われた。

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