第11話 魔王、グレイの視点1

 退屈で、いずれ世界を破綻させる存在だと自分で理解して、その役割を全うする気もなく、ダラダラと世界に居座った。

 神々にせめてもの抵抗がしたかっただけなのかもしれない。

 あの頃のエリオットは、自分が主人格なくせに泣いてばかりだった。アイリと出会って声をあげて泣くのとは違う。

 悲しいのに、それが理解できないで、涙だけが止めどなく流れる感じだ。


 俺は早い段階で人格を持っていたし、スレイは敵に対してすぐに攻撃するので、常に何かに敵意と殺意を向けていたと思う。

 スレイは何もかもが疎ましくて、妬ましくて、腹立たしくて、全てが敵だったのだろう。俺もこのクソッタレな神々が作り出した舞台に、うんざりしていた頃。

 師匠が訪れた。



 ***



 歌劇場に似た円状の絢爛豪華な舞台に相応しい白亜の衣服を纏った大魔導士。聖職者に似た服装に、金の刺繍がふんだんに使われていた。

 最初は男かと思ったが、違った。


「うわあ。ノープランで戦おうなんて、さてはお前、死にたがりなのかい?」


 それが最初の言葉。

 苛立たしくも、対話など不要だと空間魔法で、この場の一部を切り取り、別次元に吹き飛ばす。これで大抵の──いや普通の人間なら終わりなのだが、来訪者は違った。


 シャラン、と錫杖を鳴らして消し去ったのだ。


「は? 何で……消えない?」

「へえ。空間を切り取る魔法か。複雑な術式を応用すれば」

「!?」


 シャラン、と音の直後――玉座の傍にある柱の一部が削り取られた。

 規模は俺に比べれば小さな範囲だ。だが、人間が、いや一度見ただけで真似ることができるだろうか。


「お、やっぱりできた。……にしても《厄災の獣》だって言うから、重い腰をあげてきてみたのに、人型だなんてガッカリだ」

「下等な人間のくせに」

「下等、ね」


 手を翳して、この区画ごと空間を切り取って捨てた。もちろん絢爛豪華な舞台は音を建てて崩れ去り、月明かりが舞台を照らした。

 神々の作り出した舞台に爪を立てたつもりだったが、すぐに舞台は元に戻る。

 逆再生しているかのように、建物が元に戻っていく。


 繰り返される挑戦者■■との戦い。一瞬で終わる戦い、世界に呪われた存在だろうが知ったことか。


 生き続けてやる。

 世界に傷跡を残しまくって、神々に殺してみろと唾を吐く。

 そうやって──。


「わわっ、危なかった。まったく対話もなしに殺しにかかるとか、結局にところお前も人間と変わらないってことか」

「は?」


 はあ、と深いため息を吐いて、女は戻ってきた。あまりにもあっさりと。

 その事実に少しだけ認識を変える。この女は今まで奴らとは違う、と。


 女は自分と同じ背丈のある錫杖に似た杖を持つ。白銀で煌めいて、それは美しいと思った。

 シャランと、心地よい音を奏でた。


「さて、対話をするためにはある程度、私がどんな人間か──あ、いやどれくらい強いのか示せばいいのかな。獣って弱肉強食だって言うし」

「――な?」


 いちいち勘に障る。

 それからこちらが攻撃するたびに難なく回避して、錫杖の音色を響かせた。

 触れた瞬間に吹き飛ぶ爆破魔法も、広範囲による氷結魔法も、鉄を切り裂く風の刃も難なく回避する。


 腹が立つのは、一切反撃してこないことだ。

 コイツは本当に人間なのかって思った。苛立ちが募ったせいか、スレイが表に出てさらに過激で苛烈な攻撃を繰り出す。


(少しだけ会話してみたいと思ったが、スレイが出てきた以上、無理だな。いつも通り周囲をめちゃくちゃにして終わり。まあ、自分が死ぬよりはいいが──?)


 ふと気づくと俺に切り替わっていた。

 いつもよりも早い。いや早すぎる。

 スレイが暴れ回って、自爆しそうになったところを俺が押せて、エリオットが表に出る。そうやって溜まり続ける殺意と悪意を小出しに放出して、自爆を避けてきた。だがこれはそれとも違う。


 慌てて周囲を見回すと乱雑な歌劇場の舞台は変わっていない。

 スレイが出てきたら確実に周辺は何も残らないのに。


「いったいどうなった──は?」

「モフモフ♪」


 エリオットが本来の獣の姿に戻っていることにも驚いたが、何よりもあの女があの巨体に顔を埋めて抱きついている状況に困惑した。


「え──は? な?」

「あぐっ、うぅ……?」


 唸り声と言うよりも現状をどう受け入れていいかわからないと言った顔で、俺を見てきた。

 尻尾の蛇が俺本来の姿になっているのにも衝撃だった。


「うんうん、獣って言うだけあってモフモフ、ふわふわ。いい匂いがする」

「え、あ、は? ──とりあえず、エリオットから離れろ!」

「ん? その低めな声は、魔王?」

「グレイだ。グレイリーフ。それが俺の名前だ」


 思えば俺は自分の本当の名を名乗ったのは、後にも先にも師匠だけだった。

 スレイを力技で引っ込めた師匠は、世界一の大魔導士であり、■■だ。《■の■■》。

 その強さにエリオットはいつしか『お師匠様』と呼ぶようになった。

 でも俺は──。


「俺はお前のことを師と仰ぎたくない。だから名前を教えろ」

「ふうん。私に名前を聞くなら──そうだな。モフモフの姿になるなら考えなくもない」

「お前の基準は、それで良いのか……」

「それ以外の基準なんて奈落に捨ててしまえばいい」


 人間嫌いの大魔導士。

 可愛いものや小動物系が好きで、馬鹿みたいま魔力量を持ち、天賦の才能に運を全て割り振ったせいか、運は絶望的にない。

 明るく、サバサバして、大胆不敵なことをしでかす。誰よりもこの世界のカラクリを理解して、微妙な均衡を保ち続けた稀代の愚か者。


 


「アリーナ」


 彼女の名を教えてもらった時、飛び上がるほど嬉しかったのに、「ふーん」と一蹴した。

 アリーナが好きそうなモフモフに姿を変えた時に、イヤイヤだった風だけど本当は人の姿で抱きしめたかった。


 ずっと「好き」だと言いたくて、でも人間の姿ではダメだと何となくわかっていて、それでも、今以上の関係を望む自分に──気づいて行動していれば、俺はお前を殺さずに済んだのだろうか。


「グレイ。私もお師匠が気に入ったから、彼女を助けたい」


 そう切り出したのは、ガス抜きだと言ってアリーナが始めたスレイとの戦いだ。

 月に一度スレイの魔力の昂ぶりを抑えるために本気の殺し合いをする。それはスレイの魔力が一定数削り切るまで終わらない。


 だからアリーナは月に一度、怪我を負う。エリオットには心配をかけたくないから、と転んだとか魔法錬成に失敗したとか理由を並べた。


「は? 師匠が傷つかずに済む方法なんてあるのかよ?」


 スレイはエリオットの影だ。

 だから形はないけれど何にでも姿を作り変えられる。


「ああ。私の有り余る魔力を、お師匠に分けてあげるんだ。確か本に魔力供給って書いてあったかな? そうすればずっと一緒にいられる。老いることも、傷ついても私の魔力ですぐに修復する」

「ふーん」


 この時の俺はスレイの言う「魔力供給」の目的と「ずっと一緒」の意味を履き違えていた。

 俺がバカで浮かれていたんだ。

 アリーナともっと一緒にいられる──と信じて疑わなかった。


 だから俺の影にスレイを受け入れた。そうして滅多にモフモフにならないのに、その日は浮かれていて、アリーナに抱っこを望んだ。

 モフモフのエリオットに愛とは何か語っていた。



 ***



 昼下がりの木漏れ日が差し込む良い日だった。

 あの日からこのハリボテの空中城は図書館へ改築されて、生活感も出てきていたし、中庭なんかも作った。

 穏やかな──時間。

 これからも続くと信じて疑わなかった。


「あ……師匠、ん」


 抱っこしろと強請ると「しょうがないな」と顔を綻ばせる。それが人の姿だったら、俺は恥ずかしくて言えなかっただろうし、アリーナは「何言ってんだ、コイツ」ってなっただろう。


 だから俺が好きだと言う気持ちはもう少し先、もっと一緒にいる時間が当たり前になったら、言おうと思っていた。

 そう言うのを先延ばしって言うんだけどな。


(ああ。この温もりも、花のような匂いも……全部好きだ)


 幸福だ。

 そう思った直後だった。


 ドッ、とかドス、なんて音が聞こえ、アリーナの体が大きく揺らいだ。


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