第五章 天《あま》を翔ける 1


「目を離すな」

 五人の大佐たちとイヴァンを見てアナスタシアは言下にそう言った。

「大切な人質だ。属国になった以上スィッテの者は庇護せねばならん」

「世話はいかが致しますか」

「私の馴染みの侍女をつける。悪いが手配しておいてくれ」

「はっ」

「閣下、行方不明の伯爵はいかがいたしますか」

「放っておけ。今はそれどころではない。あの娘が心を開かない限りはな」

 アナスタシアはため息まじりで言うと一同に解散を申し渡した。

 次の日の総報告の場---------つまり玉座の間で---------アナスタシアは依然行方不明の伯爵のことも含め自分の管轄区域のことを皇帝にへ報告した。

「アナスタシア、伯爵は未だ見つからないようだな」

「は……申し訳ありません。娘が一人、ただ今保護しておりますが、尋問できる状態ではないので、しばしお待ちを」

「尋問できない……? どういうことだ」

「---------」

「アナスタシア」

「申し上げられません」

 アナタスシアは低く、しかしきっぱりと言った。室内がしばしざわめく。皇帝が静かにため息ついたのに皇后マリオンが気づいて、くすりと小さく笑った。

 こういうときのアナスタシアは、頑固なまでに自分を守り通す。言いたくないと思えば貝のように口を閉ざしたままなのだ。

「アナスタシア殿、またご報告できないとはどういうことですかな」

 ヴィウェン将軍も心配そうに言う。が、アナスタシアは、

「---------伯爵の行方は必ず突き止めますゆえ……」

 としか言わない。彼女のように一度罰を味わうと、恐れ知らずになるようだ。アナスタシアは再び幽閉されようと、例え将軍の地位を奪われても、シリィの立場は守るつもりだった。今彼女に尋問できない理由を言えば、のちに必ず本国のスィッテでも人々の口にのぼることは間違いないのだ。ただでさえ伯爵が帝国を恐れて行方知れずだというので世間の風当たりが強いのに、貴族の未婚の娘が子供を宿しているなどということが知れ渡ったら、シリィは本国にはいられなくなってしまう。それを避けるためであった。またアナスタシアは、こんなことで皇帝が怒るとも思わなかったし、なんの失敗もしていない自分が罰を受けるとも考えていなかった。彼は自分の将軍としての立場、将軍としての考えを尊重してくれると信じていた。

「いいだろう。報告は以上で終わりだ」

 言い放ち、皇帝ヴィルヘルムは立ち上がった。



 それは夜中のことだった。外が騒がしいので不審に思い、またうるさくて眠れないこともあって、廊下に出たアナスタシアは、侍女・女官たちが慌ただしく駆け回っているのを見て、

「うるさいぞ。何時だと思っている」

 と叫んだ。睡眠を邪魔されるのが彼女にとっては一番不愉快なのだ。

「あ、閣下。それが……」

「それがなんだ」

「例のシリィフェン様が病室から逃げだそうとなさいまして……」

「何」

 アナスタシアは眠気も吹っ飛んだ。

「逃げた……?」

「はいお庭から……」

「ですが警備の方がすぐに保護なさいました」

 アナスタシアは侍女と共に病室に向かいながらそれを聞いていた。

「庭から……?」

 アナスタシアは誰にも聞こえないように呟いた。

 あの病室は四階に位置しているはずだ。ベランダと樹を伝ったとしても、流産を免れた娘がそんなことをして無事でいられるはずがない。アナスタシアがチッ、と舌打ちしたとき、病室から医者が出てくるのが見えた。

「先生」

「おお閣下」

「容体は……」

 医者はそっと首を横に振った。

「流産してしまいました。全力は尽くしたのですが……ベランダから樹を伝い飛び降りたそうで……」

「そうか……夜中に申し訳なかった」

「いえいえ。それより肋骨のほうはどうですかな」

「もうすっかり」

「それはなにより。ではこれで……」

 医者を見送って、それからアナスタシアは病室に入った。いつもと大して変わらない様子でシリィはそこにいた。茫然としているのも変わらない。流産したのならもっと悲しむべきなのに、それすら感じられなかった。

「逃げようとしたのか……」

 アナスタシアは茫然として呟いた。逃げようとした事実にではなく、その無感情さにである。

「どこへ逃げようとした? 伯爵に危険を伝えようとしたのか」

「……」

 シリィは何も言わなかった。アナスタシアはため息をつくと、

「……もうよい。夜も遅い。早く寝ろ」

 立ち上がりざま、

「身体を大事にしろ。私も眠いぞ」

 と言って出ていった。その言葉を聞いて、シリィはアナスタシアの背中を見つめていたが、とうとう何も言おうとはしなかった。

「なにか栄養のあるものを食べさせてやれ」

 侍女に言うとアナスタシアは部屋に戻った。廊下をばたばた走り回るのをやめるよう言うのも、忘れなかった。


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