第五章 天《あま》を翔ける

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「早く言った方が身のためだぞ」

 少尉は何度目かもう数えないくらい叩いていた机を再びバン、と乱暴に叩いた。目の前の女は、びくりともしない。乱れた髪、腹をおさえ脂汗をにじませている。

「……」

「何度言ったらわかる」

 少尉は忌ま忌ましく思いながら女を睨んだ。

 ここは氷竜隊尋問室。先日のスィッテ会戦で戦勝した氷竜隊は最後まで帝国に反抗していた伯爵家の娘を捕らえた。彼らが屋敷に踏み込んだとき屋敷には彼女ひとりしかいなく、伯爵本人と夫人すら影もかたちも見えなかったという。その居場所をつきとめるために彼女を捕らえたというわけだ。女、名をシリィフェンという。少尉はシリィの髪をつかんで三本燭台の前に顔をさらした。熱い光、その熱にあたってシリィは低くうめく。

「……」

 脂汗がすごい。腹を相変わらず押さえている。途端、今までずっと耐えていてとうとう我慢が限界になったのか、シリィは高い悲鳴のような痛みの声を発し始めた。

「……ふ……ああああ……!」

「そんな仮病は誰だって使う。さあ答えろ!」

 少尉は髪を再びつかんで燭台に向けた。甲高い悲鳴、滴る脂汗、尋問室は恐怖の悲鳴で満たされた。



「愚か者!」

 イヴァンはびくりと肩をすくませた。アナスタシアが机をバン! と叩いたからだ。その振動が壁を伝って空気を震わせる。隣の少尉は、身も竦む思いのようだ。

「大切な人質を尋問の途中で失神させただと! 妊娠しておったそうではないか!」

「幸い流産だけは免れました」

 イヴァンが低く言うと、アナスタシアはじろりと尋問官の少尉を睨んだ。

「……貴様、尋問官になって何年になる」

「……申し訳もなく……」

「そんなことは聞いておらぬ。質問に答えろ。何年尋問官をやっておる」

 少尉はびくびくと顔をあげた。鬼のようなアナスタシアの顔があった。

「……六年になります、閣下」

「いくつだ」

「二十二になります」

「ふん、十六の頃からか。助手上がりのようだな」

 アナスタシアは立ち上がった。

「それだけの経験を重ねてなぜ人質の様子に気が付かなかった!?」

「恐れながら、仮病を使う者は何人でもいますので」

「それの見分けもつかんのか! このたわけが!」

 アナスタシアは机を乱暴に蹴った。

「相手が女だということを忘れていたのか。だいたい尋問は拷問ではない! 六年やってきて仮病か否かもわからんのか!」

「閣下、その辺にして頂きまして」

 アナスタシアはイヴァンをじろりと見た。が、あえて何も言いはしない。潮時だということは彼女にもわかっているのだ。しかしアナスタシアはまだ言い足りないようだった。 不機嫌そうに眉根を寄せている。

「もうよい下がれ。おって沙汰するまで謹慎しておれ」

「は……失礼致します」

 少尉が去ってからアナスタシアは椅子をキッ、と鳴らせてイヴァンを見上げた。

「向こう三年の賞罰取り消しとする」

「それだけで?」

「……」

 アナスタシアは椅子を窓の方に向けた。緑がまぶしくて光があふれている。イヴァンはアナスタシアが見ていないのをいいことに微笑んだ。普通なら禁固ものなのだが、たった三年の賞罰取り消しとは、アナスタシアも味のある真似をする。

「そういえばその伯爵の娘というのはどうした」

「はい。宮殿内の救護室で休んでおります。氷竜隊大尉以上の者が護衛にあたっていますのでご安心を」

 相変わらず手抜かりのないイヴァンの言葉にふっと口元を歪め、アナスタシアは立ち上がった。

「会おう」

「は……」

 頭を下げアナスタシアが通るのを待ち、イヴァンは彼女についていきながら説明を始めていた。

「人質はシリィフェン・ティエーヌ十八歳。伯爵家の一人娘で、捜索隊が踏み込んだとき一人きりだったそうです」

「屋敷は包囲していたのだろう」

「はい」

「……隠したのか」

「そう思われます。場所を聞くために尋問をしていたのですが」

「……子供は何か月だ」

「二か月です」

 アナスタシアはため息をついた。

「一番不安定な時期だ」

 顔を上げると氷竜隊の者が詰めているのが見えた。シリィとかいう娘は中にいるに違いない。兵士たちはアナスタシアの姿をみとめると敬礼の形をとった。

「ご苦労」

 言いぎわ彼女は扉を一回たたくと中に入った。

 娘は起きていた。起きて、顔を庭に向けて光を見つめていたが、何者かが入ってきたことにすぐに気づいて、怯えたように毛布をかき抱いた。

「動かない方がいい」

 アナスタシアは、手を払ってイヴァンに席をはずすよう示すと、側にあった椅子に座った。

「部下がすまないことをしたな」

「……」

 シリィは不思議なものを見るような面持ちでアナスタシアを凝視した。

「罰はもう与えたから許してやってくれ。それより……」

 シリィはびくりとした。アナスタシアの藍色の瞳で直視されたのだ。

「お主は未婚であろう……」

「---------」

 シリィはうつむいた。恐ろしいほどになにも言わない。

「貴族の娘がどうやって子供を宿すような真似を? 聞くところによると婚約もしていないようではないか。誰の子供だ」

「……」

 シリィは顔をそむけた。言いたくないのだろう。アナスタシアはしばらく彼女を見つめていたが、やがてため息をついて、

「……わかった」

 と呟いた。

「宮殿にいるかぎりは大丈夫だ。なにかあったら表の兵士を呼べ。たいていのことはしてくれるはずだから」

 アナスタシアは立ち上がりざま言い、とうとう最後まで口をきかなかったシリィに一瞥を与えると、さっさと出ていってしまった。彼女の背中を見つめていたシリィは、ベッドに映った自分の影を見つめると、そっとため息をついた。



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