第四章 冬籠もりの間に 11
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妖艶将軍セショア。しかし彼はそう呼ばれることを嫌う。まるで女のようだ、と。
そして自らの容姿に劣等感を抱いている彼にとってそんな不本意な呼び名はなかったが、しかしとにかく、実際それがぴったりなのだから、彼に世間に対して抗議する権利はないといっていい。濃い紫の瞳、雨の日の蜘蛛の巣のような美しい銀の髪、彼はその名の通り美しい。ラシェルと二人で侍女たちの人気を二分しているという事実も、彼にとっては皮肉なことだといわねばなるまい。そのくせ、二人ともついぞ浮いた噂ひとつ聞かれないのだから大したものだといえよう。セショアはその日、戦争先の王国で見事勝利をおさめ、帝国の博士達の到着を待つために、しばらく休暇を含めてそこに滞在することになった。 窓から庭を眺め、彼はぼうっと昔のことを考えていた。
(そういえば私は小さい頃はかなりやんちゃだったな)
まだ五つくらいの時からだろう、帰ってくるたび傷だらけになっている息子を見て、両親はかなり心配していたようだ。
「まあセショア様またケガをして!」
「またケンカか?」
「そうらしいですほんとに毎日毎日……」
乳母が必死に手当てをする後ろから父親が窺っている。
「あの子にも困ったものだ」
「どうしたんです」
その日、たまたま来ていたセショアの伯父、父の弟にあたる人が顔を上げて尋ねる。
「まだチビで弱虫のくせに正義感ばかり強くて毎日ケンカばかりしているんだ」
「男の子は元気な方がよろしいわ」
「大ケガでもしたらどうするつもりだ」
が、母は編み物をしながらも取り合わない。
「大丈夫あの子はいい子ですもの」
コロコロと笑いながら言う。後年のセショアの雄大さというか、独特ののんびりしたところは、この母の性質を濃く引いたものだといっていい。
「そうだ! おまえの道場でセショアを鍛えてやってくれんか」
この頃伯父は剣術その他武道の道場を開いている。
「だめですよこの前道場に連れてってみたんですけどね」
「お前に武術のなんたるかを教えてやる。相手をしてやれ」
武術に関しては厳しい伯父は、幼いセショアが見上げるほどの背丈の弟子を選んだ。
「構わん体に教え込んでやれ」
……とは言ったものの、右に左に、よけてばかりで、一向に成果が上がるといったものではない。
筋がいいといえばそういうことになる。
「小さい子は集中力がなくってだめなんですよ」
「うーむ」
翌日。
散歩に出たセショアは、猫の鳴き声を聞いた。
「おもしろいぞ」
「しっぽをちょん切っちゃえ」
セショアは、側にあった棒きれを掴んで、殴りかかった。
「わっ なんだこいつ!」
「いたい!」
「こいつー!」
たちまち大乱闘になるところを、その時、一人の女性が通りかかった。
「こら君たちやめなさい! ケンカなんかしちゃだめ!」
しかしどうやっても子供たちがやめようとしないので、彼女は側の大きな石を振り上げて、
「こらーっ!」
と怒鳴った。たちまちいじめっ子たちは悲鳴を上げて退散する。あとに残るは傷だらけのセショアのみ。
「大丈夫? まあひどいケガ」
彼女はハンカチをセショアの手に巻き付けながら言った。
「血が出てるわ。バカねあんな大勢に一人でむかっていくなんて」
ポッとセショアの顔が赤くなった。
「これでよし。家はどこ?」
と、わざわざセショアを送り届け、
「近所に住んでいる者ですが学校からの帰りにこの子を……」
「まあまあお世話になって」
乳母の後ろに隠れるセショアに、
「ぼっちゃまもお礼を」
「いえいいんです。それじゃ」
と言って、彼女は帰っていった。たまたま、それを家に来ていた伯父が見ていた。
二、三日してセショアが街を歩いていると、
「セショア?」
あの時の彼女が話し掛けてきた。再び顔が赤くなるセショア。二人で歩いているところを、
「あれーっ」
という悲鳴に近いものが聞こえてきた。
「すみませんすみません」
「人にぶつかっといてすみませんですむか!」
「やーねえ」
呟く彼女を尻目に、セショアは側に落ちていた拳大の石を拾って投げようとした。彼女は慌てて、
「ちょっとー!」
と止めに入る。
「およしなさいかなうわけがないでしょう! 無鉄砲な子ねー!」
こういう時は、彼女は言い、わざと大声で、
「警邏さーん!」
と叫んだ。二人の目の前で、因縁をつけていた男が
「やばい!」
と一目散に逃げだす。背後からセショアがすかさず石を投げたので、彼女は慌てて彼を連れて逃げだした。壁によりかかり、息を切らせながら、
「正義感が強いのはいいけど……君のは勇気じゃなくて無分別だわ。
弱い人を守ってあげたいのなら君がもっと強くならなくちゃ、弱いくせにあんな連中にかかっていってもケガ人が一人増えるだけだわ」
彼女はさらに言った。
「大きくなって好きな人ができた時、その人を守るためにも男の子は強くなくちゃ」
セショアは彼女を指差した。
「あたし? もちろん強い人が好きよ」
少年、なにか考えるところがあったようだ。
「練習したいって? 本気だろうな」
セショアは必死に頼んだ。小さい体で必死になってそれを表した。
「よしいいだろう。しかし修業の道は厳しいぞ」
伯父は彼を外に連れ出した。
「まず足腰を鍛えるために走り込み!」
伯父といっても二十代、しかも鍛え上げられていて速い。容赦は髪の毛一筋ほどすらもない。
「どうした早くついてこんか!」
野山を駆け、岩を越えて軽々と飛び回る伯父に、セショアはついていくのに精一杯だった。
「ぐずぐずするな!」
転んだ。涙が出てきた。その時頭に浮かんだのは彼女の顔だ。
それを思ってセショアは我慢した。伯父の訓練は厳しいの一言、彼は小さな崖を飛び越えると、
「ようし飛び越えろ!」
と向こう側のセショアに言った。セショアは崖の下と、向こう側の距離を見て、自分の顔を指差した。
「そうだ飛び越えるんだ! 落ちたら命はないぞ!」
慌てふためくセショアに、
「人間死に物狂いになればできないことはない! 飛べ! 強くなりたくないのか!」
恐怖で目を瞑ると彼女の顔が浮かび上がる。セショアは思い切って飛んだ。上に。
「上に飛び上がってどうする! 上に!」
伯父は慌てた。真逆様に落ちるセショア、伯父は目を瞑った。
「セショア……」
崖下を見ると、間一髪、鳥の巣にはまっている甥を見付ける。
「ひえええ」
さすがの伯父もこれには参ったようだ。
こんな修業を続ける内に、セショアは最初に相手をしていた弟子から三本中二本取れるようにまでなった。
「血は争えませんな。上達が早い」
弟子にすら言われたものだった。
そんなある日、セショアがいつもの通りに道場に行くと、あの彼女がいる。セショアは強くなった自分を見てもらおうと張り切って近くの花壇の花を摘み、うきうきして近寄っていった。
「あなたに頼まれた通り、セショアをうまくのせたでしょう?」
「おかげでケガをして帰ることもなくなったよ」
二人の会話が柱の影からセショアに聞こえてきた。
「最初君がセショアを連れてきてくれた時、どうやらセショアが君に好意をもったらしいのを見て」
「あたしに頼んだってわけね。甥っ子思いのやさしい伯父さまだこと」
と、その時、道場から弟子の呼ばわる声がする。
「先生!」
「おう!」
こたえ、彼女に、
「それじゃあ」
と背中を向ける伯父に、彼女は少し赤くなりながらも引き止めた。
「あん待ってよ、あたしセショアのケガを心配して引き受けたわけじゃないのよ!」
それから彼女はもじもじして言った。
「あたし……あの……あなたのことを……」
伯父もその様子に気が付く。
「おつきあいしてほしいの」
しかし伯父は即答した。
「女は好かん」
顔を上げる彼女に、
「いや君がどうことというわけじゃなくて、修業中の身に女は邪魔なんだ」
彼女の身体が震えているのに、セショアは気付いていた。彼女は必死に明るく振る舞っている。
「そ……そう……それじゃ……あの……練習は見にきてもいいでしょう?」
「邪魔にならんよう静かにしてるんならかまわんが……」
「先生!」
弟子が呼びに来た。
「じゃ」
「あ」
ひとり残されて彼女は、茫然自失の体だった。
「そんな……」
そして駆けて帰ろうとして振り向き、セショアがいることに気付いて、
「バ……バカあ! あんたなんかきらい!」
叫んで、今度こそ彼女は駆けていってしまった。
セショアはそのときとめどなく流れた涙を、よく覚えている。
「思えばあれが最初の失恋だった」
空を見ながらぼうっとそんなことを呟いて、彼は侍女が先程博士たちがやってきたという報告をしたことを思い出していた。将軍として博士たちを迎えると、一人見慣れた顔がいる。
「おおセショア。ご苦労だったな、快勝だったそうではないか」
武術顧問として博士たちと訪れたのは他ならぬ彼の伯父だ。セショアは彼に挨拶をしてから帝国に帰還する準備をした。
帰りがけ、馬上から空を見ながら、彼は昔のことを思い出していた。
「じぶんのせいで甥っ子が傷ついたのも知らないで……」
と愚痴ってみる。しかしその顔は致っておだやかだ。今の自分はあの日々があったからこそ。
ああそういえば、セショアはふとそんなことを思った。
(陛下があんなことをおっしゃったのも去年の今頃だったかな)
それは十二個師団が結成された二年目のことで、その夏、思いがけなく長引いた戦に、皇帝は避暑に行く間もなく戦い続けた。
夏に入ってやっと戦が終わった時、セショアは自分の璃紫隊と金鷲隊とで戦っていた。 凄まじい戦いだった。そして戦勝した王国の一室を使って皇帝が書類に目を通している時に、セショアは彼のもとへ最終の報告をしに行ったのだ。ずっと黙っていた皇帝は彼が報告を終えるといつものように質問をいくつか続け、そして本来休暇に入っているはずの夏に、璃紫隊とセショアにだけまだ戦わせていることをすまないと思っていると言い、それから沈黙のあと呟くように言った。
「……お前のその容姿は、ある女を思い出させる」
そして皇帝は退室を命じた。
セショアは自分の報告書を渡し、扉を閉める時に、正面の机から皇帝が、書類から目を離し、窓の彼方へ目をやっているのを見て、なにを思っているのかとちらりと思いながら扉を閉めた。今から思うと、あの方向はセレンティだったと思われる。
(あれはいったいなんだったんだろう)
彼は思いながら空を見た。鳥が一羽飛んでいる。
「閣下、そういえば最近、シェファンダに物凄く強い槍の使い手が現われたそうで。変わった名前だとかで、東、という意味の名前らしいですよ」
大将ルダス・シリュオンが横からそんなことを言ってきた。
「そうか」
彼は小さくこたえた。この頃シェファンダの跳梁はまだ要注意ということもなく、彼はそれきり、そんなことは忘れてしまった。紫の瞳に青い空が映った。銀の髪がそよとゆらめいている。
初夏の風が気持ちいい。
帝国---------。
その言葉から生み出される人々の恐怖、畏敬。それらの感情は何千年にも及ぶ帝国の歴史と、数々の経歴がそうさせているもの。
今帝国は今までとは違う、強烈に強い印象を人々に焼き付けている。
それは、今までとは違って、不正を許さず、弱き者の庇護を、強き者には敬意を、ただ人々の平和のために活動している世界最強の帝国に変わりつつあった。
そしてその裏で、その世界最強の帝国のために、日夜奮戦している者たちのことを、忘れてはならない。
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