第四章 冬籠もりの間に 7

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 第六個師団緑咲隊将軍フリックセン・ディーヴェンドは、鷹将軍の異名の他に、密かに隊の者に大木将軍と呼ばれている。百八十八センチの長身にダークグリーンの瞳、ダークブラウンの髪という常緑樹を思わせるその容姿も然りながら、いつどんなときでも冷静に事を判断し的確な判断を下していくその頼りがいのある背中が、部下たちにそう呼ばせているのかもしれない。しかしそんな彼も、昔は唯一弱いものがあった。

 細君である。

 フリックセンと妻のローザは幼い頃からのいわゆる幼なじみというやつで、会えばいつも喧嘩することでは有名だった。フリックセンは今四十一だから、あれはもう二十年以上前のことになる。そうあれは、フリックセンが入隊した十五歳の時のことだ。

「フリック! フリック」

 鞍の支度をしていたフリックセンは背後からの高い声にやれやれと思ってため息をついた。

「なんだよローザ」

「軍隊に入隊するってほんと?」

「なんだよそのことか」

 フリックセンはため息まじりで言った。小さい頃からずっと幼なじみのこのローザは、なにかと自分に口うるさい。昔はもっと、かわいかったものだが。最近は母親より口やかましくて、うっとうしいくらいだ。

「ほんとだよ。伍長扱いで入隊できたんだ。これから手続きだよ」

 そう言って彼は馬に乗った。

「だって軍隊って戦争するんでしょ」

「当たり前だろ」

 どうしてそういうことを聞くかという表情で彼はこたえた。

「そんな……」

 ローザの顔がちょっと沈んだのでフリックセンはどきりとした。

「戦争なんか行ったら死んじゃうじゃない」

「勝手に殺すなよ」

 フリックセンは苦笑いした。こういうところはかわいいんだけどな。

「大丈夫だよ。じゃ」

 言うとフリックセンはさっさと行ってしまった。後ろからローザの罵倒が延々と聞こえてきた。

「フリックのバカ! この大バカ! フリックなんて大っ嫌い! さっさと戦争行って死んじゃえ!」

「やれやれ」

 フリックセンは街の人間の注目を浴びながら馬上で苦笑いした。

 二人のこういう関係は別に今に始まったことではなった。いつもこんな風なのだ。なのに、仲のいいときには本当によくて、二人をよく知らない者には、仲がいいのか悪いのか皆目見当つかず、混乱してしまうということが珍しくない。

 あんなことを言ってはいてもローザは自分のことを心配しているのだ。休暇などにはよく宿舎へ来て差し入れを持ってきてくれたり、服を縫ってくれたりとまめまめしくやってくれた。しかしそれで喧嘩しないときはなかった。

「だからなんでそうなんだよ!」

「そんなこともわかんないの!? 鈍感! にぶちん! バカ! 大バカ! バカバカバカバカッ!」

「バカバカ言うなって」

「知らないっ!」

 毎週のようにそんな言い合いをする二人だから、当然宿舎では有名人であった。

 その日も隣の部屋に住んでいる軍曹が開けっぱなしの扉をトントンと叩いてフリックにくすくす笑いを浮かべながら言った。

「やれやれまたかい。お前らは仲がいいんだか悪いんだか」

「軍曹殿」

 フリックは顔を上げた。窓から、凄まじい足取りで帰っていくローザを見ていたのだ。「申し訳ありません、うるさくって……」

「いやいやいいさ。なかなか最近は楽しみのひとつさな」

「……」

 恐縮するフリックセンに、軍曹は言った。

「しかしなあ、お前、彼女のことどう思ってるんだ?」

「え……どう……って……」

「好きなのかって聞いてるんだよ。ほんと彼女の言う通りお前はにぶちんだな」

「---------」

 好き? ローザを? そんなことは考えたこともない。ただいつも口やかましくて、い

つも一緒で、妹みたいで……---------妹? 本当にそう思っているのか……それは

自分でもわからない。次の週ローザは来なかった。

 事件はフリックセンが二十歳の時、彼が淮尉の頃に起こった。彼が戦で負傷したのだ。 報せを受けて飛んできたローザが見たものは、美しい女性将校と真剣に話し合う、幼なじみの姿だった。彼が自分以外の女性と話しているところなんて、見たこともなかった。

「---------」

 胸を衝かれた。

(ど……どうして?)

 訳がわからない……やきもち? まさか!

 その内扉の近くで立ち尽くすローザに気が付いたのか、フリックセンが顔を上げて話し掛けてきた。

「ローザ。来てたのか」

「それじゃあディーヴェンド淮尉。そういうことで」

「あ、はい、ご苦労様でした大尉殿」

 フリックセンは足に負傷していた。ローザは去っていく背の高い大尉を見送って、それからベッドに腰掛けるフリックセンを見た。

「……」

「どうした? 立ち尽くしちゃって」

「……きれいなひとね」

 ローザは恐い顔で言った。放心状態だったといってもいい。

「え? ---------ああ、大尉殿か。そうだね」

「…………」

 ローザはずっとフリックセンを見つめていた。

 ---------まるであたしの知らないフリックだった。

 突然どこにいても近しく感じていた幼なじみを遠くに感じた。ローザはあんなに背も高くなく、美しくもなく、ただの街娘の自分に強烈に劣等感を抱いた。

「---------」

「ローザ?」

「ふ……ん……いいじゃない。きれいなひととお仕事できてさ」

「……ローザ?」

「何よ鼻の下のばしちゃって。あたしなんか来なくてもよかったみたいね。せいぜいあの大尉殿と仲良くしてなさいよ!」

「ローザ!」

 怒鳴ったもののしかし、フリックセンはすぐに投げられた何かで視界を遮られた。それは彼の好きな実家の手作りの料理だった。ローザの作った料理と見受けられるものもあった。簡素に包まれていて、まだ微かに暖かい。顔を上げると、ローザの涙ぐんだ顔がそこにあった。

「---------」

「バカ……あんたなんて知らない。勝手に戦争でも行って死んじゃえ」

「ロ……」

 駆け出すローザを、生憎足に負傷した彼は追うことができなかった。追えたとして一体、なにをしようとしていたのだろうか。

 二人はそれから疎遠になった。ローザは宿舎に来なかったし、フリックセンも忙しくて帰省することがなかなかできないでいるまま、三年が経った。彼は少尉になっていた。  ある非番の日、買物から帰ってきた彼は、宿舎の入り口にたたずむ一人の女性を見つけた。

 誰だろうと思って目をこらすと、それは美しく成長したローザだった。ウェーブした茶色の髪が見事に白い肌を縁取っている。顔を上げた、その瞳の純粋すぎる光。思わず足を止めた。ひどく胸が鳴った。

「---------ローザ?」

 彼女は顔を上げてフリックセンを見ると、無表情に、少し寂しげに言った。

「フリックあたしね、お見合いするのよ」

「---------え?」

「ティラエ豪族の息子と。すごいお金持ちなんだって」

「……」

 後ろに手をやって空を見上げる彼女の美しさ、フリックセンは放心した。それは、彼女の美しさになのか、それとも今聞いた事実に対してなのか、それは今でもわからない。

「そ、そう……」

 それしか言えなかった。自分にはなにも言う権利などないと、思った。本当は口出ししたかった。ティラエの息子といったら相当な放蕩息子で有名だ。そんな男のところに彼女を嫁かせるなんて。しかし、思いとは裏腹に言葉が出た。

「それはよかったね。おめでとう」

「まだ婚約もしてないのに?」

 ローザは小さく鼻で笑った。

「わかったわ。あなたの気持ちが。もう来ないから。さよなら」

「あ……」

 止めようとして、やはり今度も止められなかった。

 駆け出すローザの背中は久しぶりで、そしてひどく美しかった。

 それから数日の間を悶々として過ごしたフリックセンだったが、同僚で住宅街の警備についていた友に見合いの日取りが今日だと聞くと、いきなり宿舎を飛び出して見合いの場所まで急いだ。

「ローザ!」

 大きなホールの奥の席で、彼女の両親とティラエの息子、両親がいた。

「ローザ!」

「フリック」

 彼女は驚いて立ち上がった。

「どうしたの急に」

「結婚してくれ」

「---------え?」

「お互い素直になれなかったから邪推もしたしすれ違いもあった。こんなんじゃだめだ。 結婚しよう」

「……」

 ローザはうつむいた。

「返事は? ローザ」

 息を切らして彼は尋ねた。ローザは顔を上げて恥ずかしげに微笑む、

「……いいわ」

 フリックセンは立ち上がった彼女の両親の方を向いた。

「おじさん彼女を僕に下さい」

「ななななななにを言ってるんだようこいつは」

 ティラエの息子が慌てて口をはさんだ。が、フリックは彼など見えていない。

「僕は今少尉ですけど、でもきっと、いえ絶対、もっと昇格して、絶対彼女を幸せにしてみせます。絶対に泣かせません。悲しませないと約束します」

「うむ」

 ローザの父は強くうなづいた。

「フリック、君がそう言うのを待っていたぞ」

「お父さま……?」

「娘はずっと君が好きだったからな。よしよし、二人の結婚を認めよう。そういうわけでティラエ殿、この話はなかったということで」

「なななななな」

 息子は口角に泡を浮かべて興奮している。また父親も血相を変えて立ち上がった。

「それは随分と……」

「嫌ならば今後の取引きはいっさいなしということで」

 ティラエの父親の顔が一瞬青くなった。

「わ、……わかりました。ではこれで」

「そんなあ……」

 ティラエ親子を完全に無視して、ローザの父親はフリックの手をとった。

「さっきの言葉、是非真実にしてくれ給え。君はいつかきっと大きな器になる」

 ---------そんなわけで、フリックセンとローザはやっと結ばれることになった。

 戦の遠征のたび彼女を心配させては、フリックセンは確実に昇格していった。

 最初は苦しかった生活も、そのたびに少しずつ楽になった。苦労をさせないと誓ったものの、かなり彼女にも負担をかけてしまっていることを、彼はひどく辛く思っていたが、ローザはそんなことちっとも気にならない様子で、日々が楽しそうだった。子供も生まれ、小さいが自分たちの家をもち、やがてフリックセンが三十七、大佐になった頃のことだ。 彼のもとへディドーンの庵で大量に人が死んでいるとの報せが入った。

「ディドーンというと有名な槍師だが……確か今年亡くなったはずだ」

「はい。それが大佐殿、死んでいるのはみなディドーンの弟子たちだったとか」

「何……」

 訝しげに呟いた彼は、とにかく現場に行くことにした。この地域が彼の当時の管轄だったのだ。そして庵に着いて、現場のあまりの凄惨さに、彼は思わず顔を顰めた。

 辺り一面の血の海。倒れ伏すまだ少年といっていいほどの弟子たち。

「死因は刀のようなものの傷によるものです。何度も急所をはずしては苦痛を長引かせていたようで」

「これで全部か」

「今近隣の住民に話を聞いています」

 彼はむっとする血のにおいに鼻を押さえながら言った。

「連れてきてくれ」

 近隣の住民の話によると、これらの死体はみんなディドーンの弟子たちで、顔をきれいに拭って一人一人確かめさせた。おそらく盗賊の仕業とみて間違いはなかった。

「おや、ひとりいない」

「一人……?」

「そう。すごくきれいな男の子でね、一番新しく来た弟子だったとか」

「確かにいないのか」

「あんなきれいな子は見逃しませんよ」

「大佐殿」

「しかし一年やそこらの修業でこれだけの人数を殺せるとは思えない。それにこの切り口はかなり熟練している。一人だけ逃げたのかもしれん」

 フリックセンはすべての処理を部下にまかせると帝国に帰還した。なんでもディドーン師は死の間際、新しい後継者を弟子たちに伝えたらしいが、それが誰かは、彼にも、それから近隣の住民の誰にもわからなかった。おそらくあの死体のなかの誰かだろう。

 雪の降る中、彼はまだ来ぬ遅い春を思って微かに震えた。足元を見ると、美しい白い花が咲いている。それを手にとると、フリックセンは帝国で自分を待つローザのことを想った。きっと自分を待っているに違いない。

 彼は馬に乗ると、妻へのみやげの一輪を手にして帝国へ戻った。

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