第四章 冬籠もりの間に 6

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 愛妻将軍ガーミリオン---------。

 その愛妻精神は十二個師団創設のときの逸話にもわかるように文字通り凄まじいものだが、評判どおり彼の誠実さ、その愛妻ぶりは帝国でも有名だ。そもそも彼が妻のリティエッテを見初めたのは彼が二十歳の頃で、リティエッテが十九の頃だ。

 侯爵家の次男として生まれたガーミリオンは二十歳の時淮佐で、十六の時入隊し本人の希望で中尉から初めて入軍した。

 ある冬の日の宴のことだ。噂に聞く「芙蓉の君」というのが来ているというので、兄と共にどんな女性か見てみようということになった。兄はすでに侯爵家の当主を継いでおり、こよなく愛する妻がいる。シエティッテ家は愛妻家の家系らしい。とにかくガーミリオンはそこでリティエッテに出会い……恋に落ちたということだ。あの時の衝撃は、今でも覚えていると彼は言う。

 まるで雷に打たれたような大きな震え。胸を強烈に衝く重い重い痛み。白くて透けそうな肌。オレンジ色に近い髪がその肌を浮き立たせ、終始微笑む唇は紅をぬったかのようにあざやか。芙蓉という花はよく美女の代名詞にされるが、彼女に出会うまではなんと大袈裟な代名詞か、言い過ぎだと思っていたガーミリオンは、世間の意外な表現力に大いに感心し、納得した。寝ても醒めても想うはリティエッテのことばかり、ガーミリオンは夢もうつつもわからぬまま日々を過ごした。

 実際競争相手は多かった。が、客観的に見てみれば、彼女を本当に心から愛して側にいた者は、少なかったように思われる。そして本気の者も、現在のガーミリオンほど彼女を愛せるかと言われれば、ただ無言を返すのみ。

 ガーミリオンは彼女と知り合ってますます心を惹かれた。愛らしい仕草、きれいな声、あんなに美しいのに少しも鼻にかけない様子、そして高い教養。伯爵家の娘といったら、そこまで知っていなくてもいいくらいと思うほどの知識の高さには、彼自身驚いた。手紙は毎日と言っていいほど書いた。しかし文面はやれ愛しているだのあなたが世界で一番だのと、意味もない愛の言葉は少なく、その日一日の軍の訓練や起こったことなどを淡々と描写して、あなたはどうしていますかとか、たまには季節の花の話などもふって、最後に〈愛をこめて ガーミリオン〉と書くのみ、そして一日に必ず一通。

 彼女ほど美しいと、一人で五十通くらいの手紙を送る者など普通だった。が、中身はどれを見てもみな同じ、ただ愛の言葉の一辺倒で、手紙を通して相手が見えない。

 ガーミリオンは段々とリティエッテの覚えめでたくなっていった。そんなこんなで二人で初めて舞踏会で踊ったのが二十二のとき、交際を始めたのが二十三のときだ。そしてとうとう、ある日、ガーミリオンは彼女に求婚した。一言、リティエッテ、強く呼び掛け、結婚してくださいと。彼女はしばらく考えて、

「ガーミリオン様」

「はいっ」

「残念ですわ」

「!」

 最後まで聞かずにガーミリオンの目の前が真っ暗になった。そうか、私ではだめか。うなだれてそう思い、これ以上みっともないところは彼女には見られたくない、せめて最後まで堂々と去ろうと思ったとき、再び彼女は言いつのった。

「だってガーミリオン様の名字はシエティッテでしょう? リティエッテ・シエティッテなんて、ちょっと言いにくいですものね」

「---------」

 言葉が頭に届くまでに、約二分がかかった。

「え?」

 思わず聞き返した。愛しの我が君は光の中で微笑む。

「---------じ、じゃあ……」

「はいガーミリオン様」

 ガーミリオンは喜びと興奮で思わず彼女の手をとった。

「幸せにします」

 やっとのことで彼は言った。まもなく二人は婚約、三年後に結婚することになるのだが、その間ガーミリオンがしきりに思ったのは、リティエッテと出会ってから少し、まだ二十歳だった頃、アデンの街を通りかかったときの事だった。すっかり荒廃した街、目つきの鋭い男たちがあちこちにたむろしては、同じ数だけ女の悲鳴が聞こえてきそうだった。  一人の娘が出産を控えているらしい、女たちがあせあせと道具をもって一つの建物へ消えていく。難産らしい。中からは悲鳴と苦しみの声が同時に聞こえてきた。

「い……嫌あ---------っ! 生みたくないあの男の子供なんて! 殺して! 生みたくない! ---------誰か殺してぇーっ!」

 あまりの悲惨さにガーミリオンは耳を覆いたくなった。そして当時まだ憧れの君であったリティエッテと結ばれるのなら、出産であんな苦しみを彼女にさせたくないとちらりと思った。建物を通りすぎると、また娘の悲鳴が聞こえてきて、ガーミリオンは逃げるようにしてそこから去った。

「リオン! もう嫌ぁっ! 誰かこの子を殺して!」


 十二個師団が結成され、隊の名前が決まった玉座の間で、皇帝は最後にこう言った。

「一年に一日各個師団の特別休暇を許す。好きな日にするがいい」

 それには当然戦の多い春以外の日という伏線もあった。

 シド将軍は庭の蜜柑が一番よく実る夏のある一日にすると言っていたし、カイルザートは彼の好きな学者の生まれた日にすると言った。ヴィウェン将軍は皇帝の生誕日にしようと思ったが、その日は国をあげての祭りなのでやめ、代わりに皇后の誕生日にあてた。アナスタシアはどうでもいいので適当に隊の者と話し合い、結局その後彼女の誕生日にすることにしたらしい。

「閣下はいかがなさるのですか?」

 それを聞いた大将・タクティウム・シナイが廊下を歩みながら尋ねた。

「いつ?」

 ふっふっふっと笑いながらガーミリオンは振り向いた。その瞬間、大将は愚問だった、そう思ったという。

「決まっている。妻の誕生日だ。そうすれば共にいて祝ってやれるだろう」

 というわけで、秋の訓練が一番厳しい時期に一日の休暇を頂いた芙蓉隊の兵士と、同じく真冬に一日休める氷竜隊の兵士に、それぞれ期せず感謝される羽目になった両者には、兵士からも感謝を込めて贈り物が届くのだという。しかし当のガーミリオンにとってそんなことはどうでもいいことで、妻の誕生日が近付くと、大将に巷の商品のリストを延々と書かせるのだ。

 純粋な男なのである。

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