第三章 将軍の涙 2
ファーエはたいていゼファという無口な戦士と一緒にいた。溌剌としていて、子供らしい無邪気さとはちきれんばかりの好奇心に満ち満ちた瞳でいつも窓の外を駆け回っている。 ゼファはたいていそんな彼をじっと見守っている。彼はかなり剣を使うと、アナスタシアは看ていた。ある日そのファーエがリィナの代わりに薬湯を持ってきた。無論その後ろにはゼファがいた。
「お姉ちゃん」
そんな呼ばれ方は生まれてこのかた一度もされたことのないアナスタシアである。
「?」
という、ひどく怪訝な顔になって、それから子犬のようなファーエの瞳が自分に向けられているのを確認して、
「……私か」
と呟いた。
「そうだよぉ。はい薬湯。リィナ姉ちゃんはねえ、今山に薬草を採りに行ってるよ」
「そうか」
別段子供という生きものに興味も関心もないアナスタシアはそっけなくこたえた。別に子供だからといって構うという方程式が彼女の頭にはないのだ。が、ファーエには、アナスタシアが間近にいる、それだけで幸せのようだった。飽きもせず薬湯を飲む自分を見るその熱い視線に、とうとうアナスタシアが沈黙に耐えられなくなった。
「……お前、親は」
「お父さん? 仕事でねえ、南にお母さんと行ってる」
「---------」
アナスタシアは目を細めてそちらを見た。相変わらず無邪気な瞳がある。
「反乱軍支部の仕事をしているんだ。危ないので彼だけこちらにいる」
ゼファの声を初めて聞きながら、低くぼそぼそと言うわりにはっきりと聞き取れる彼の言葉に感心しつつ、アナスタシアは話し掛けた。
「お前はお守りというわけか」
ゼファは黙ってうなづいた。本当に必要なことではないと話さないのだ。アナスタシアは淋しくないかと聞こうとして、面倒臭くなってやめた。聞いてどうするのだ。
その夜リィナが食事を運んできた。
「ここは誰の家だ?」
「え? ああ。誰のってわけでもないけどね。私が診療所代わりに使ってるわ。村の集会場も兼ねてるけど」
「それは大きいな」
「ええ」
それからアナスタシアはパンをちぎりながらしばらく考えていたが、
「私の鎧は?」
と尋ねた。リィナは怪訝そうな顔になってアナスタシアを見た。
「むこうに全部あるけど……」
「恐い顔だな。心配するな、立てもせんのに抜け出したりするか。すまないが剣もあったはずだ。持ってきてくれ」
リィナは何かいいたげだったが、何も言わずに剣を引きずってきた。
「重い……」
「まあな。軍人のものはたいていこうだ」
アナスタシアはひょいと受け取ると、絶句しているリィナを尻目に鞘から剣を出した。 しばらくその白い輝きを見ていたアナスタシアだったが、ぱちんとしまうと、枕元に置いた。
「用心のため?」
「いや……ないと気になる」
リィナは何も言わなかった。白刃のきらめきに恐れをなしたのか、ひどく無口だった。 しばらくしてアナスタシアの方から口を開いた。
「ずっと聞きたいことがあった」
「? なに?」
「なぜ私を助けた」
「---------」
リィナはアナスタシアを凝視した。その瞳は凍ったように冷たいものだったが、単にアナスタシアが冷酷なのではなくて、色自体が持つ性質なのだろう。
「私は帝国の人間だ。シェファンダに対する反乱とはいえ間接的にだいぶ恨みもあろう。 それにテュラの言うとおり私がここにいていいことはない。大した礼もできないこんな厄介者を、危険と承知でなぜ助けた? いい策士が手に入るとでも思ったか」
「……」
リィナはしばらく黙っていた。持っていた器に目を落とし、何か頭のなかで考えをまとめているようだったが、またしばらくして、顔を上げて答えた。
「だってそれは……当然のことだわ」
「---------」
アナスタシアは意外な答えに一瞬言葉を失った。
「当然……」
「ええ。お腹がすいている人には食べ物をわけてあげるわ。困っている人には手を差し伸べる。当たり前のことです」
「---------当たり前のこと……か」
アナスタシアは言葉に出して呟き、その響きに喉の奥でひとり、ふふと笑っただけだった。
「見返りを期待して親切をするわけではないの。助かる人は助ける。当然のことだもの」 アナスタシアは黙ってリィナを見ていただけだったが、その瞳からは何の考えも見いだせなく、氷姫の鉄壁の無表情の前に、リィナは何も尋ねられなかった。
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