第三章 将軍の涙 1
眠りは浅かった。眠りながらそんなことを考えている自分に、ふと疑問を感じた。
なぜ眠りが浅いとわかる? 閉じた瞼にも光を感じるから。耳の遠くの方で、なにかがはしゃいでいる声がかすかに聞こえるから。小鳥がさえずっているのがわかるから。
ああでは朝なのか。朝ならば起きなくては。
---------。
待て。ここは宮殿ではないのか? あれは子供の声だ。なぜ宮殿で子供の声がする。しかも宿舎の庭などに。ここは宮殿ではないのか?
アナスタシアは目を開けた。案の定知らない天井だった。木の天井。顔をめぐらすと、質素な、しかし清潔な部屋。狭い部屋。自分はベッドに横たわっている。頭上には窓。他にはなにもない。正面に扉。どこへ通じている? アナスタシアはとにかく起きようとした。起き上がろうとしてしかし、身体のどこかに激痛が奔るのがわかって、うまく起き上がれなかった。なぜだ?
「あら、起きたの」
突然声がした。顔を上げると知らない若い女が扉を開けて話し掛けていた。手になにか持っている。アナスタシアは誰何しようと思って再び起き上がろうとした。
「つ……」
「あ、だめよ起き上がっては。肋骨が折れてるのよ」
「なに?」
アナスタシアが思わず叫ぶと確かに肋骨のあたりに激痛が奔った。突然のことだからだろう。
「痛……!」
「だから言ってるのに」
女は慌ててアナスタシアを横にならせた。髪をひとつにしばって、茶色の瞳が妙に印象的だ。
「お前は誰だ?」
切れる息の向こうからアナスタシアは問うた。信じられないほどにぜいぜいいう自分がいまいち信じられないようだ。
「私? リィナっていうの。ここの医者役も兼ねてるわ」
「医者? ……ここはいったいどこだ」
リィナはくすりと笑った。手に持っているのはどうやら薬湯のようだった。
「ここ? ここは反乱軍の本拠地。テラセリィッタよ」
「何---------」
アナスタシアは勢いよく起き上がろうとして、再び激痛に見舞われた。リィナが慌ててそれを止める。
「懲りないひとねえ。とにかくみんなに目が覚めたってこと伝えてくるわ。待ってて」
「待……!」
アナスタシアは彼女を止めようとしたが、肋骨の痛みで声が出なかった。ぜいぜい言いながらアナスタシアは横になり、どうやら本当に自分の身体がいけないらしいということをまず第一に確認した。それからしばらく、息が整ってから充分時間をかけて、考え事をし始めた。
反乱軍? そういえば聞いたことがある。シェファンダのやり方に反抗してつくられた巨大なレジスタンスグループのことで、世界のあちこちに散らばって抵抗を繰り返し、シェファンダ崩壊のために日夜活動しているとか。それからここはどこだ。テラセリィッタだと言っていたが、聞いたこともない。それになぜ自分を助けた?
アナスタシアは大きくため息をついた。とにかく今の自分はひとりで起き上がることもできない。これがあの帝国の将軍か。
自嘲気味に苦笑いしたとき、乱暴に扉が開かれた。
「目が覚めたらしいな」
まず入ってきたのは若い男だった。アナスタシアを見ると忌ま忌ましそうにじろりと睨んだが、藍色の瞳に一瞬怖気づいたのかすぐに目をそらし、それでもずかずかと入ってきた。
次に入ってきたのは年令が二十五、六、あるいはもう少し上かと思うような男で、最初に入ってきた男とは対照的に、ひどく落ち着いた雰囲気だ。
最後に入ってきたのは目の細い男で、かなり背が高く、寡黙な様子が一目でわかった。 彼にくっつくようにしてついてきたのが小さな子供で、年の頃は十歳くらいか。活発で好奇心旺盛な瞳がアナスタシアをとらえていきいきとしている。その後ろには先程のリィナがいた。
「お前たちは?」
「俺たちはこの村で指導者の役割をしている者だ。俺は副リーダーのテュラ。こいつはリーダーのアルで、同時に反乱軍すべての統率者でもある。こっちのでかいのはゼファ、戦士だ。ちっこいのはファーエ」
アナスタシアは一息ついて瞼を閉じ、わかった、と呟いてから、自分を真っ先に睨んだテュラではなく、リーダーでひどく落ち着いていた雰囲気のアルに話し掛けた。
「まず説明してほしい。なにがどうしてこうなった」
アルは黙ってうなづいた。
「二週間前だ。いつものように狩人のふりをして狩りから帰って来た時、あんたが倒れていた。ひどく衰弱してたがまだ息があったんでこうして連れて帰った」
「なるほどな」
「もう目が覚めたんだろう。だったらさっさと出ていってくれ。迷惑だ」
テュラがひどく機嫌の悪い顔でアナスタシアに言った。
「目が覚めたってことはもう大丈夫なんだろ。早く出ていけよ」
「テュラ! なんてこと言うの! 肋骨が折れてるのよ。起き上がれもしないのに」
「そんなの知ったことじゃない。帝国の将軍がいるなんてシェファンダにわかってみろ。 ここはいっぺんに攻撃される。さあ出てってくれ」
テュラはアナスタシアは睨み据えた。しかしくぐってきた修羅場はアナスタシアの方が圧倒的に多い。彼女はテュラを一瞥して、それからため息をつき、
「やれやれ。ほんとうに邪魔者らしい。わかった、出ていこう」
と、起き上がろうとしたが、激痛が胸に奔って顔をしかめた。
「だからだめだっいてうのに。起きちゃだめだったら。アル、本当に追い出すつもり?」
リィナが慌てて駆け寄ってアナスタシアを押さえ、アルを睨むようにして言った。医者としての使命の方が先にたったのだろう。そんなリィナに苦笑いを返してから、アルは、「そんなことは言ってない。肋骨が折れてる怪我人にそんなこと言えるか」
それからアナスタシアの方に向かって言った。
「アナスタシア将軍。帝国氷竜隊の女将軍だな。話は聞いている。ここでは居心地が悪いだろうが、治るまではゆっくり休養していってくれ」
「そうさせてもらおう。迷惑だろうがな」
アナスタシアはわざとテュラを見ないで言った。テュラは何か言い返そうとしたが、リィナが、
「さあもうみんな出て。怪我人なのよ。疲れがでたらどうするの」
と言ったので、仕方なく部屋から出ていった。ファーエと言われていた子供はずっとアナスタシアを見ていたが、出て行き際、彼女に手を振ってテュラに叱られていた。
アナスタシアはふう、と息をつきながら、薬湯の支度をしているリィナに問いかけた。「なぜ私のことがわかった?」
「ああ……だって鎧を着ていたもの。帝国の紋章が入った鎧。それにもう片方にはなんだか……竜? なの? あの紋章」
「ああ。氷竜隊の紋章だ」
「やっばりそうなの。で、マントの色とか、後は剣についていた将軍の紋章でアルが帝国の将軍アナスタシアだろうって……あ、ごめんなさい呼びすて」
「構わん。ただの怪我人だ」
リィナはふふと笑った。ひどく魅力的な笑いをする娘だったが、仕草の一つ一つに嫌味はなかった。
「近くに帝国軍が来ているのはわかってたしね。ゆっくり休んで。ここは安全よ」
「一体ここはどこだ?」
「セルヴェイからさらに北に行った山奥よ。村になってるの」
「ここが本拠地か」
「ええ。見た目にはみんな普通の村人の暮らしをしているわ」
「……」
アナスタシアは窓からもれてくる子供の声に目を細めた。
「とにかく、折れた肋骨がもとに戻るまでは、私が面倒見ますからね」
言い置いて、リィナは出ていった。疲れが出たのか薬湯がきいたのか、アナスタシアはほどなく眠った。
「アルなにを考えているんだ。帝国の将軍だぞ」
「俺たちが倒すのはシェファンダで帝国じゃない」
「帝国もシェファンダも大して変わりはないじゃないか。あの女は危険だ。早く追い出さないと」
「肋骨が折れてる。重傷なんだぞ」
テュラは忌ま忌ましそうに顔をしかめた。
「だからどうだって言うんだ。帝国が毎回いくつの国を支配下においてるかわかってるのか」
「そんなことは問題じゃない。あの女は確かに帝国の将軍だがその前に怪我人なんだ。人間としてやらなければならないことだぞこれは。それに帝国のやりかたはシェファンダのような極悪非道なやり方とは違う」
「何が違うだ。とにかく俺は反対だからな。アル、あんたは甘すぎる」
言うとテュラは、足音も凄まじく出ていってしまった。アルは疲れたため息をついた。「アル」
しわがれた声がしてアルの側にひとりの老人が歩み寄ってきた。
「長老」
「テュラは相変わらずのようじゃな」
「はい……」
「まあ無理もなかろう。お前さんの意見もずいぶん突飛だがの」
「……」
「帝国の将軍を仲間にするとな。アナスタシア将軍は帝国随一の策士、確かに仲間にすれば百人力だが、あの女が寝返るとは思えん」
「とにかくやってみます。彼女がいればどんなに楽になるか」
アルは言った。頭の切れる男として有名な彼だった。アナスタシアを仲間にしたいというのも愚かな妄想ではなく、確固たる信念と自信に基づいていきついた考えだった。
アナスタシアのベッドの上での生活は続いていた。リィナは頻繁にきて薬湯を作ってくれたが、それ以外にはなんの変化もない暮らしだった。寝て、起きて、薬湯を飲んで、また寝るという単調なものだ。一週間もすると起き上がって食事できるようになった。リィナはさすがは帝国の将軍と手をたたいた。普通は倍の時間がかかるほどの重傷らしかったが、アナスタシアの身体の鍛え方もまた、将軍だけあって並みのものではなかったのだろう。
その内、色々なことがわかってきた。村には大勢の人間がいて、ほとんど家族単位だということ、テュラは自分の保護にひどく反対で、自分を危険視していること、逆にリーダーのアルは自分をどうやら仲間したいらしいこと、など。
アナスタシアは目を閉じてゆっくりと息を吐いた。まだ呼吸をするのにかなりの苦労をする。いくら回復が通常より早いといっても、これではかなわない。一度の呼吸で一分近くかかるのでは、まだまだだろう。骨はまだ回復しない。アルは時々見舞いに来ては言葉少なく具合はどうだと言って、しばらく窓の外の雪景色を見て、見ては帰っていく。なにか言いたいことがあるのだろうが、今のアナスタシアに、詰問などという、そんな余計なことをする余裕はさすがになかった。
またアナスタシアのいる家はどうやら村の中心らしく、しょっちゅう人の出入りがあったようだが、テュラが訪れて用を済ませるたび、
「あの女まだいるのか」
と言うのには、さすがに閉口した。
「よほど嫌われたな」
大して面白そうでもなくアナスタシアが呟くと、リィナが、
「本当はとってもいいひとなの。ただ、ちょっと心配性なのよね。悪気はないの」
苦笑いをするリィナを見て、アナスタシアは、
「……お前の恋人か」
とほぼ断定するように言った。慌てたのはリィナだ。
「えっ え? ち、ち、ち、」
「嘘がつけない女だな」
アナスタシアは薬湯を飲みながら言った。リィナは耳まで真っ赤になっていた。
「テュラはいくつだ」
「二十歳よ。若いのによくやってくれるってみんな言ってる」
「ふ……ん……」
アナスタシアは呟いて、もう疲れたと言うと、また眠ってしまった。
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