第32話 旅行 5

「んーっ、この湯豆腐美味しい!」


 旅館に戻ってきた俺たちは、豪勢な夕食をいただき始めていた。

 部屋に運ばれてきた懐石料理は、那月が食べている湯豆腐の他にも刺身やら牛肉やら蟹やら煮付けやら、よりどりみどりだ。

 俺は酒もいただいて、それなりに上機嫌だった。


 那月も機嫌は良さそうだ。

 俺と美輪先輩が再会したせいで機嫌を損ねてる疑惑が浮上していたが、そんなことはないのかもしれない。


 ……と考えていたのもつかの間――


 那月は食後、窓辺で野山を眺めていた俺の隣にやってきて、


「ねえなーくん、元カノさんのことなんだけどさっ」

「……なんだよ」

「あんな綺麗な人と破局した大学時代のなーくんっ、言っちゃなんだけどすっごく愚かしいよねっ!」


 と言った。

 そう来たか……美輪先輩の肩を持つ形で機嫌を損ねているんだな。


「なーくんに恋してた異性の味方になるのは癪だけど、もったいないなって素直に思っちゃったよっ。今回なんて結局、連絡先も交換せずに別れたんでしょ?」

「先輩がそれを望まなかったからな」

「女の言葉を額面通りに受け取っちゃダメですっ」

「…………」

「ホントはなーくんからグイグイ来て欲しかったのかもしれないのに」

「……俺がそんな性格じゃないのは先輩が一番よく分かってんだよ。だからああいう素振りだった時点で、額面通りだったと思うけどな」


 それにもう終わったことだ。

 決着がついている。

 引きずるつもりは……ない。


「それより……風呂にでも入ってきたらどうだ? せっかくの個室露天だし、ゆったりしてこいよ」

「じゃあなーくん一緒に入ろ?」

「……いや1人で入れよ」

「ヤダ」

「ヤダってお前な……」

「言っとくけどあたし、これでも結構ヤキモチ焼いてるからね?」


 那月はムッとしていた。


「みきちゃんが親御さんと合流出来たのは良かったけど、その親御さんがなーくんの元カノさんだったとか無駄にドラマチック過ぎるし……なーくんあの人とえっちなことしてたんだろうなって考えたら脳が破壊されそうだし……」

「なんか……済まん」

「謝るくらいなら一緒にお風呂入って欲しいもん……こないだ1回入ったんだからもう別に我慢しなくてもいいじゃん」

「いいじゃんってことはないだろ……そうやって常態化するのが俺はイヤなわけで……」

「むぅ……JKと混浴出来るのになんでイヤなのさ」

「大事にしたいからだよ」

「――っ、なーくん……♡」

「へ、変な意味はないぞ? ……俺だって男だし、際どく迫られれば間違いを犯すかもしれない……そしてそれは避けなきゃいけないってことだよ」

「むぅ、別にいいのに」


 那月がぴとりと寄り添ってくる。


「……間違い、犯したってさ」

「いいわけあるか。高1に手ぇ出したら犯罪者なんだよこちとら」

「じゃああたしが高校卒業したら手、出してくれるの?」

「出さない」

「頑固」

「頑固で結構だ」

「むぅ」

「まぁでも……」

「……なに?」

「今日だけは特別に……混浴してやらんこともないけどな」

「えっ、ホントに?」

「ああ……先輩と2人きりで話す時間、作ってくれたもんな。そのお礼だよ」


 那月がみきちゃんを引き連れて、俺と先輩を2人きりにしてくれたおかげで、先輩との過去を清算出来た。

 那月がお邪魔虫をやるようなヤツだったら、きっとモヤモヤが残ったまま先輩とはお別れしていたと思う。そもそもの話をすれば、那月が旅行をねだってくれなかったら先輩との再会はなかった。

 だから那月には諸々感謝を示さねばならない。

 そういう話である。


「でも10分くらい、1人でゆったりと浸からせてくれ」

「――うん、いいよっ。じゃああたしはあとから行くねっ」


 そうして俺は、まず1人きりで露天風呂を堪能することになった。



   ※


 ――かぽーん。


 風呂シーンに欠かせないそんな謎SEが鳴りそうな露天風呂。

 その場にやってきた俺は――


「ふぅ……」


 まずは1人でゆったりと湯船に浸かっている。

 源泉掛け流しの個室露天。

 静かだし、湯加減ちょうどいいし、月夜の晩だし、雰囲気込みで最高過ぎる。

 多少お高い宿だが来て良かった。

 そう考えていると――


「ねえねえなーくん、約束通り10分経ったから来たけど、へーき?」


 そう言って那月がやってきたことに気付く。ちらりと姿を確認してみると、当たり前だが裸で、手ぬぐいチックなハンドタオルで前面しか隠していない状態だった。

 なんつー無防備……。

 乳が隠し切れていないし、光の加減で微妙にタオルが透けているし……。

 まともに見ていたら呑まれる……。

 ……視線は正面の野山に戻しておこう。


「まぁ約束だからな……好きにしろよ」

「じゃあ身体洗ってから入るねっ」


 だそうで、那月が鼻歌まじりに身体を綺麗にし始めていた。

 一方で俺は、心を乱さないように深呼吸……。

 このあとの混浴に備えて精神を整えた。


「――じゃ、失礼しまーすっ」


 じゃぷじゃぷ。

 やがて身体を洗い終えた那月が、湯船にやってきた。俺の隣に腰を下ろすその姿は、完全にすっぽんぽん……。ルール的にタオルを湯船に入れられないからだ。

 かく言う俺もタオルは縁に置いている。透明なお湯の中で股間は手でガードしている状態だ。

 危うい……非常に危うい……。


「ねえ、身体くっつけてもいい?」


 浴槽は一応、大人が2人ゆったりと浸かれるサイズ感だ。

 でも那月は俺の返事を待たないまま、せっかくのゆとりを自ら無くしやがった。

 ぴたっと身体をすり合わせてきて、えへへと笑う。


「なーくん……♡」

「……なんだ?」

「なーくんと混浴出来る異性って今はあたしだけだよね?」

「そりゃあな……」

「えへ、幸せ♡」


 ……幸せの価値基準が低すぎて心配になってしまうな。


「でもねなーくん、あたし幸せだけど……もっとなーくんから意識されてみたい」

 

 そう言って那月が更にくっついてきた。俺の腕に、柔らかな胸の感触が訪れる。思わず血流が速まるそんな中、那月の少し悲しげな瞳が俺を覗き込んでくる。


「……元カノさんとは、深い仲だったんだよね?」

「まぁ……一応な」

「あたしも同じことされてみたい」

「……冗談はやめろ」

「冗談じゃないもんっ」


 じゃぱっ、とお湯を揺らめかせ、那月が俺の腰元に跨がってきた。その表情はやっぱり悲しそうで、直後にはどこか苦しげに言葉が吐き出された。


「冗談なんかで言ってないもんっ。いっぱいっ、いーっぱい誘惑してるのは本気だからだもんっ。なのになーくんはどうしてあたしに手を出してくれないの……っ?」

「どうしてって……」

「嫌いだから避けてる?」

「――そんなことはない」

「じゃあなんで――」

「だから法があったり、あくまで従姉妹として大切だからであって……」


 と言いながら、しかしいつまでも――そんな理由で、那月の好意を無下にし続けるのは、我ながらウザったいなと思う部分があった。


 那月に対する好意がないと言ったらウソになる。

 だから未成年に手を出せないだの、従姉妹として大切だの、そういうのは結局隠れ蓑の言い訳でしかない。


 俺はもう少し……那月ときちんと向き合うべきなのかもしれない。

 この子はきっと、俺への熱を冷ましてくれない。

 どこかで向き合わないと悲しい思いをさせてしまう。

 今だってそうだ。

 俺のせいで那月の心を乱して悲しませてしまっている。

 俺は那月のそういう顔は見たくない。


 だから……少しだけ、俺は自分の気持ちをあけっぴろげにしようと思った。

 ……今日は美輪先輩との過去清算イベントがあった。

 なら今日は俺の中で何かを変える日なのかもしれない。

 そう考えながら、俺は自分の内なる自制心を若干捨てて、


「なあ那月」

「……なに?」


 と応じた那月の唇に、俺は自らの唇を重ね合わせていた。


「!? ふぇ……ちょ、ちょっとなーくん……っ!?」


 一瞬後にはびっくりしたように身体をのけぞらせ、俺から少し離れる那月。

 混乱しつつ、顔を真っ赤に染め上げ、瞳を右往左往させている。

 いざ踏み込めばそんな反応かよ……まぁ唐突だし仕方ないよな。


「な、なーくん……あ、あたしにチューした……しちゃったの……?」

「あぁ……」

「な、なんで……?」

「今はまだ……こんなことぐらいしか出来ないってことだよ」


 那月の頭を撫でながらそう告げる。


「これ以上をするには、迷いがあり過ぎる……でもな、こんなことが出来るくらいには俺はお前のこと想ってる」

「なーくん……」


 那月はどこか感激したように、じわっ。

 そんな風に、瞳を潤ませ始めていた。


「……嫌いだから避けてたわけじゃないの?」

「さっきも言ったが、そんなわけあるかよ……でも色々考えなきゃいけないことがあって、迷いまくってる。だから今はまだ、普通のままで居させて欲しい」

「今はまだ……?」

「ああ」

「普通のままで……?」

「ああ」

「普通って……どんな? ……接し方、控えめにしろってこと?」

「いや、今ぐらいを維持してくれれば別にいい」

「今ぐらい……ってことは……」

  

 那月は再び身を寄せてきて、俺の額に自分の額をこすり合わせてきた。

 お、おい……。


「……チューくらいなら、別にしてもいいってことだよね?」

「い、いやそれは……」

「……今ぐらいなら、別にいいんでしょ?」

「だ、だからってな……」

「もう1回だけだから……」

「…………」

「もう1回だけ……」

「も……もう1回だけな?」

「うん……♡」


 頷いた那月が今度は自分からキスをしてきた。蠱惑的に身体へと指まで這わされ、俺は少し辛抱ならず那月の身体をお触りし返してしまう。


「んっ……なーくんの触り方えっちぃ……♡」


 唇を離しながら、とろんとした表情でそう言われた。

 なんだか無性に滾るモノがあったものの――これ以上のことはさすがに出来ない。


「じゃあ俺……もう上がるから」


 色々となし崩し的になってしまう前に、俺は逃げるようにタオルを手に取って股間を隠しながら、さっさと上がることで事なきを得たのである……。

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