第31話 旅行 4
「ねえなーくん、なんか迷子見つけちゃった」
「え」
温泉街での観光を続けて、やがて夕方を迎えた頃のこと――。
トイレに行っていた那月が俺のもとに戻ってきたのはいいとして、問題は那月と手を繋いでいる涙目の女の子の存在だった。5歳前後に見える幼稚園児くらいの子が、那月と共に俺のもとにやってきたのだ。
「……迷子?」
「うん。トイレの横で泣いてたからお話聞いてあげたらね、ママとはぐれちゃったんだって」
「マジか……そいつは大変だな」
俺は女の子と目を合わせる。すると女の子はサッと那月の後ろに隠れてしまった……まぁ、俺はお世辞にも人相が良くない。怖い顔ってわけではないが、目元が荒んでいる。少なくとも子供受けする顔じゃない。だからこの反応には納得している。
「くふふ、なーくん怖がられてやんの」
「うるさい……なんにしても、どうにかしてあげないとな」
迷子センターがあればいいんだがな……もしくは観光案内所にでも連れていけばいいのか?
「ねえねえ、そういえばお名前なんてーの?」
那月が尋ねると、女の子は恐る恐る、
「……みき」
と名乗った。
「みきちゃんね。よし、大丈夫だよ? お姉ちゃんたちがぜーったいにどうにかしてあげるからねっ」
那月は意外にも子供の相手が上手いようだ。自分が子供っぽいからだろうか。きちんとしゃがんで目線を合わせているし、声色も心なしか明るくて、みきちゃんに不安を与えないようにしている。
みきちゃんはこくりと頷いて、目元をゴシゴシとぬぐっていた。
「ねえなーくん、どう動くのが一番いいのかな」
「今調べてみたら、割と近くに交番があるっぽい。そこに連れて行くのが一番だろうな」
俺たちの手で保護者を探すとか、そんな出しゃばりはしなくていい。現実はフィクションじゃないんだから、公的機関にお任せすればいいんだ。
そんなわけで5分ほど歩いて交番に到着した。迷子を保護したという事情を伝えると、お巡りさんは役場に連絡を入れ始め、アナウンスをしてくれるとのことだった。
俺たちの役目はあっさりと終わった形だが、そんな中、みきちゃんが那月の裾を掴んで離さない事案が発生していた。どうやら無骨なお巡りさんと一緒に交番に取り残されるのがイヤっぽい。
「ねえなーくん、親御さんが来るまで一緒に居てあげてもいい?」
「もちろん」
観光自体はもうあらかた済ませ、あとは宿に戻ろうとしていたのが俺たちだ。だから特に問題に思うこともなく、交番にとどまることを選んだ。
それから約5分後に、みきちゃんに関するアナウンスが温泉街に木霊した。
更にそこから5分ほどが過ぎた頃に、交番に駆け込んでくる人影があった。
「――みきっ」
アラサーくらいの、黒髪を肩口付近で切り揃えている綺麗な女性だった。彼女はみきちゃんを見つけるや否や、駆け寄ってぎゅっと抱き締めていた。間違いなく、彼女がみきちゃんのお母さんなんだろう。みきちゃんも安心したように抱きついている。
「良かったね、みきちゃんっ」
那月がにこやかに呼びかけると、みきちゃんが「うんっ」と頷いた一方で、みきちゃんのお母さんが俺たちを振り返った。
「あの、ありがとうございました……あなた方が、みきを保護してくださったんですよね?」
「はい。まぁ交番まで連れてきただけですが」
「いえ……そのおかげでこうして無事に会えたんですから、本当に助かりました」
そう言って微笑んだお母さんの表情に、俺はなんだか既視感を抱いた。
なんだ、この感じ……懐かしいような……。
――いや待てよ……。
俺はこの人を……懐かしいで済ませてはいけない気がする……。
「……あれ?」
するとみきちゃんのお母さんも、俺の顔を訝しげに見つめ始めていた。
その反応……偶然ではないはずだ……。
だってよく見れば見るほど、俺の記憶が刺激されてしまう。
……何度見ても、そうとしか思えない。
俺にとってこの人は、見覚えがあるどころの話じゃない……。
当時より大人びていて、髪型も変わっているが……間違いない。
そうだよこの人は……――、
「……
俺が何かを言い出す前に、みきちゃんのお母さんが俺の名前を口に出していた。
だから図らずも、確信を得ることになった。
「
目の前のこの人が、俺の人生で唯一の交際相手である元カノ……
※
「……久しぶりだね」
「はい……大学以来なんで、もう6年ぶりですか」
なんの因果だろうか。
今になってこんなところで元カノと再会を果たすというのは。
交番から場所を変えて、俺たちは現在近場にある観光用の遊歩道を歩いていた。俺と美輪先輩が並んで歩いていて、那月とみきちゃんが手を繋いで少し先を行っている。……那月が気を遣ってこの隊列を作ってくれた感じだ。あとでなんか礼をしとかないとな。
「永春くん……こっちに出てきていたのね」
「あ、はい……」
「今日は……彼女と旅行中?」
「え、あ、いや、あいつは従姉妹なんですよ。居候中の」
西日が差し込む中、あらぬ誤解を解いておく。
別に今更誤解もクソもないんだが、名誉のためだ。
つーか第三者視点では俺と那月ってそう見えてるってことなのか……。
「へえ、従姉妹なんだ……でもそんな子と2人きりで旅行ってなんか怪しくない?」
「あ、怪しくないっす!」
「そうかなぁ?」
「そうですよ!」
「ふふっ、そっかそっか」
めちゃくちゃ久しぶりの再会ながら、俺たちは結構普通に喋れていた。当時は割と気まずい感じで別れたものの、合間が空くと浄化作用というか、あらかたリセットされるもんなのかもしれない。
「じゃあ永春くん、今はフリーなの?」
「です……」
「まぁ、君はそういう人だもんね。当時から1人が好きだったじゃない? 家でデートしててもゲームに没頭してたり」
「……そのせいで先輩を呆れさせたり」
「そうそう、そういうのの積み重ねで別れたもんね。でも今にして思えば、永春くんとの時間は悪くなかったなって思うのよ?」
美輪先輩はあっけらかんと呟いた。
「今が幸せかって言われると……違うもの。みきが居るのは最高だけど、離婚しちゃったし」
「……え、じゃあシングルマザーですか?」
「うん。去年別れたの。浮気されてて」
「それはまぁ、なんというか……」
「ふふ。こんな話をされても困っちゃうわよね」
……困るってことはないが、時間の進み具合を否が応でも突き付けられる感じだ。最後に会ったときに新たな男の影ひとつなかった人が、今じゃ結婚出産離婚のフルコースを経験済みとか……。
それに比べて俺は……なんも変わってねえなぁ。
「そういえば永春くんって、このあとはどう過ごす感じ?」
「え? あぁえっと……1泊して帰る感じですね。先輩は?」
「私は日帰りだから、もうじき帰らなきゃいけないの。せっかく会えたけど、すぐにお別れだね。でもきっと、それでいいんだと思うの。なんせ私たちはもう終わってるんだから」
「……ですね」
また一緒になる、とかはない。結局同じ因果をたどるだけだろうから。ましてや子供まで居るような人を、気楽に生きていたい俺が気に掛けてはいけないのだ。
「でもよければ……今の連絡先とか交換しません? 何かあれば頼って欲しい、って言いますか」
「んー……甘えちゃうだろうからやめとく」
美輪先輩は寂しげに笑った。
「私は大丈夫だから、永春くんは永春くんの人生を生きて」
「そう、ですね……すいません、出過ぎた真似を」
「ううん、気持ちは嬉しいから謝らないで。というより、永春くん変わったね」
「……え?」
「そういう気遣い、以前の君ならしてくれなかったと思うの。ふふ、良い男になったじゃない」
「――――」
本音だか、お世辞だか、よく分からないその言葉が、今の俺には深く刺さる感覚があった。……先輩との関係は、俺の悪い部分が出て終わって、そのことがずっと、トゲみたいに残っていた。申し訳なかったと思っても、そのときにはもう謝る機会も、許される機会も、失っていた。
だから、今そうやってポジティブなことを言ってもらえたのが、どうしようもなく嬉しかった。
「当時はごめんなさい……先輩」
「いいのよ。相手が居ない方が楽って、今は私もそう思うし」
そう言って茶目っ気を出して笑った先輩を見て、俺は仄暗い過去を清算出来たような気がして、思わず泣きそうになるくらい、心は晴れ晴れしい気分に包まれた。
※
その後、美輪先輩とは本当に連絡先を交換せずにそのまま別れた。また奇跡的に再会することがない限り、これが今生の別れだろう。
でもそれでいいんだと思う。
美輪先輩が言っていた通り、俺たちはもう終わった関係なのだから。
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