第30話 旅行 3
「来るときにも思ったけど、人いっぱいだね」
「そりゃゴールデンウィークだもんな……にしたって居すぎだが」
浴衣に着替えて早速温泉街に繰り出した俺たち。
基本的に出不精の俺としては、行き交う観光客の多さに辟易してしまう。根本的に人混みが嫌いなのだ。だから俺はインドア趣味になった。
無論、来てしまったからには那月との時間を楽しむしかあるまい。
「ねえねえなーくん、手、繋ご? はぐれたらイヤだし」
特に俺の了承を得ることなく、那月が勝手に俺の手に指を絡めてきた。……無駄に恋人繋ぎだったが、せっかくの旅行だしこの際気にしない。
そうやって歩いていると、なんだか視線を感じた。浴衣で歩いているのが浮いているのかと思ったが、他にも居るし違うはずだ。
多分、那月が視線を集めているんだと思う。浴衣姿の那月は正直に言って綺麗だ。黙ってさえいれば、こいつのポテンシャルは計り知れない。しゃなりしゃなりと歩く姿は優雅と言えて、都内の然るべきところをうろついていれば芸能事務所にスカウトされてもおかしくない。
去年の夏に里帰りしたときは、短髪でボーイッシュで色気の欠けらもないガキんちょだったんだけどな。それがひと冬超えただけでこうも綺麗に花開くとは、今をもって信じられない気分だ。
「ねえなーくん、なんかあたしのこと見てる?」
「ん? あぁ……去年までと比べて、やっぱり見違えたと思ってな。もちろんそれまでのお前も可愛げはあったが」
たまには褒めてやろうと思い、そう告げた。
すると那月は驚いたように目を丸くして、それから頬を紅潮させて笑った。
「えへへ……なーくんに異性として見てもらうために努力したもん。牛乳いっぱい飲んだりしたのが、やっと結びついてくれたのかなって」
「……そうか」
「そういえばなーくんってさ」
「……なんだ?」
「この手の旅行って、初めてだったりする?」
探るような眼差しを向けられる。
「それとも、何度かあったりする?」
「それは……女子との旅行が、ってことか?」
「うん。ちょっと気になっちゃって……どうなの?」
「まぁ……正直に答えていいならあるぞ。大学時代に彼女が居たからな」
「――っ……の、脳が破壊されそう……吐きそう……」
「じゃあなんで聞いたんだよ!」
「だってなーくんのことは全部知りたいんだもん……! うぅ……でもそっか、彼女居たんだ……」
那月はうなだれるようにしょぼくれていた。
「……ちなみにどんな人だったの?」
なおも掘り下げてくるこいつはマゾなのか……?
「まぁ……1個上の先輩だったよ。綺麗な人だった」
「……もう別れてるんだよね?」
「ああ、とっくの昔にな……今何してるのかも知らないくらいだ」
「……一緒に旅行するくらいの仲だったのに、どうして別れちゃったの?」
「そんなの、俺が今も昔も1人で過ごすのが好きなヤツだからだよ」
先輩との交際のおかげで、俺は恋人相手にも熱力が持てない人間だと知れた。人に歩幅を合わせるのが苦手だと分かった。
1人でゲームをしている方が楽しかった。そう感じたのは別に先輩がつまらない女だったせいじゃない。先輩は良い人だった。つまらなかったのは俺という男の方だ。
「当時……こうやって旅行に来ても、どこか上の空だった。帰ってゲームしてえな、とか普通に考えてた。そういうのの積み重ねが、先輩を離れさせたんだよ」
「でもなーくんは……あたしのことはきちんと見てくれてるよね?」
「そりゃ、お前を見るのはもう義務化してるからな」
中学時代から大学時代における平日の学校終わりをほぼほぼ那月の面倒に費やしてきた俺の本能に刻み込まれているのだ、この小娘からは目を離すな、ってな。
「ってことは、やっぱりなーくんとあたしって相性バッチリなんじゃない?」
にへらと笑って、那月がそんなことを言ってくる。
「次に何をしでかすか分からないあたしと一緒じゃ、上の空にはなれないでしょ?」
那月の自虐。
これはひょっとしたら、1本取られた感があるかもしれない。
「かといって……お前の虜にもならないけどな」
「あたしはもう虜だけどねっ」
「なんの張り合いだよ……」
そんな他愛もないやり取りをしながら、俺たちはやがて本格的に観光へと耽っていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます