第29話 旅行 2

「――わっ! 見て見てなーくんっ、マウンテンビュー!」


 那月は別に炭酸飲料の名前を叫んだわけじゃない。たった今到着したばかりの宿泊部屋が言葉そのまま、綺麗な野山を見渡せるマウンテンビューな景観だったという話だ。


 そんなわけで、俺は那月と一緒に県内の温泉宿を訪れている。厳かな雰囲気を漂わせる旅館だ。部屋はもちろん和室。

 ここまで来るのには電車を使った。時刻としては、まだお昼前。今日1日、時間はまだたっぷりある。このあとは温泉街を巡って色々楽しむことになるだろう。


「あ、見てよなーくん! この部屋露天風呂付いてるよ!」

「ああ、予約したときに確認したから知ってる」

「ひょっとしてだけど……、ここってお高かったんじゃないの?」


 よそ行きのしっかりコーデで綺麗におめかしした那月が振り返ってくる。長い黒髪を今日は後ろでまとめていて、雰囲気としては凜々しさがある。……無論、凜々しいのは見た目だけの話だが。


「料金なんか気にしなくていいって。お前は素直に楽しんでくれよ」

「じゃあ、奮発したのは否定しないってこと?」

「まあな。せっかくの旅行だし別にいいかと思って」


 空いていた宿がここしかなかった、っていうのもあるが、奮発したのは事実だ。今回の予算をすべて足せばPS5をもう1台は買える。デジタルエディションじゃない方な。


「……家計圧迫してない?」

「してないしてない。マジで気にしなくていいってば」

「うぅ、ありがとねなーくん……っ」


 那月は瞳を潤ませて、ぎゅっと俺に抱きついてきた。


「急な旅行のお願い聞いてくれたことも含めて、なーくんのそういうとこ好き♡ そういうとこ以外も全部好き♡」

「……好きを大安売りするなよ」


 俺は那月を優しく引き離し、一旦荷物を降ろした。


「もうちょっと大人になったときに黒歴史になんぞ……なんであんな10個以上違う従兄弟のおっさんに好き好き言ってたんだろ、ってな」

「ならないもん! なーくんへの愛は永久に不滅なんだよっ?」

「よくそんな小っ恥ずかしいこと普通に言えるよな……」

「あたしにとっては昔から続く普通の気持ちだもん。小っ恥ずかしいことでもなんでもないしっ」


 そう言って得意げに胸を張った那月は、俺の顔をジッと覗き込んでくる。


「なーくんはあたしのこと好き?」

「……従姉妹としてはな」

「むぅ……、なんでそうやってはぐらかしちゃうかなぁ……」


 ……なんでと聞かれたら、気楽に過ごしたいからだ。誰かの人生を背負う覚悟と責任感が俺にはない。那月のことを本当はどう思っているのか言ってしまえば、そこには責任が発生してしまう。だから言わないし言えない。那月の若かりし熱が冷めるのを待っている。一向に冷めなかった場合のことは……知らん。


「それよりほら……色々観光スポット巡るんだろ? さっさと準備して外行こうぜ」


 ひとまず旅行に意識を戻そうと思ってそう告げる。

 那月は頷いてくれた。


「うん……あ、ねえねえ、そこに浴衣と羽織が置いてあるんだけどさ、着て外に行ってもいいのかな?」

「まぁ、いいんじゃないか別に」


 ここに来る途中、そういう格好で温泉街を歩く老夫婦やカップルが何組か居たし。


「じゃああたしたちも着てこっ。雰囲気出そうだし、いいよねっ?」

「え……俺もかよ」

「当たり前じゃんっ。ペアコーデで歩きたいしっ。いいでしょっ?」


 期待の眼差しで見つめられる。

 ……まぁ、明確に拒否する理由は何もない。

 着替えるのが面倒だと思っているくらいだ。

 そしてその程度の理由で那月の楽しみを奪うわけにはいかない。


 そんなわけで俺は渋々と了承し、浴衣へと着替えることになった。

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