第8話 すき焼き、そして就寝
「――ふおおおおお良いにお~い♪」
スーパーからの帰宅後。
俺たちは早速鍋に牛脂を引いてすき焼きを開始していた。
すでに牛肉を焼いて割り下を投下し、そのほかの具材も煮立てている。
「ぼちぼち良いんじゃないか?」
「あたしから食べてもいいっ?」
「ああ、どうぞ」
「じゃあ遠慮なく!」
那月は野菜には目もくれずに牛肉をすくい上げた。
そして溶き卵に浸したのちに、あむっ。
「――ふおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
おおよそ黒髪の美少女が上げていい雄叫びではなかったが、那月なのでしょうがない。
「うっっっっっっまああああああああ!!」
「旨いか?」
「ヤバいよ! エグいって!」
「エグみが出てたらダメだろ」
「冷静にそんなこと言ってる場合じゃないよなーくん! はよ食べなって! なーくんが調合した割り下がんもう最高だよっ!」
最高らしいので、俺も牛肉から頂くことにした。
溶き卵に浸して、頬張る。
「――っ」
これは……。
「ね、美味しいでしょっ?」
「ああ……」
もう無駄な感想を発する必要がない美味しさだ。
俺は手元の茶碗を持ち上げ、ご飯を口に運んだ。
かぁ~……うめえ……白米最高……。
「……久しぶりに食うすき焼きは筆舌に尽くしがたいな……」
「久しぶりなの?」
「そりゃお前、1人暮らしですき焼きなんてわざわざ作らないからな」
「それもそっか。じゃあなーくんはあたしに感謝すべきだね~? あたしがこっちに来なかったら、一生すき焼き食べれなかっただろうしw」
「なんでだよ……さすがにどっかで食う機会は生まれたはずだっつーのな」
「そうかなあ?」
「そうだよ。それよりほら、野菜も食え食え」
「人に食えって言う前に、なーくんこそ食べなよ。ほら」
そう言って那月が箸でネギをつまんで差し出してきた。
「はい」
「はいじゃなくてだな……自分で食えるから箸を下ろしてくれないか?」
「ヤダ」
「ヤダってなんだよ……」
「食べさせたいのっ」
「なんでだよ……」
「とにかく食べさせたいのっ。んっ!!」
ネギが突き出される。
那月はムッとしている。
俺は知っている……こうなった那月は強情だ。
頬張らない限り、きっとその箸を引っ込めることはないだろう。
「……分かったよ」
俺は折れて大人しくネギを頬張った。
うん、割り下が染みていて旨い。
「でへへ……」
そして那月は満足そうに笑っていた。
俺に食べさせたことの何がそんなに楽しいのか知らないが……まぁ、楽しいなら別にいいか。
※
すき焼きをたらふく食べたあと、明日も普通に仕事の俺はさっさと風呂に入って休むことにした。
那月が小さい頃は、一緒に風呂に入ることが多々あった。赤ん坊の那月を入れてやったり、ちょっと成長してからは乱入されたり、乱入されたり、乱入されたり……。
しかし昨日はもとより、今日もそうだが、さすがにアダルトボディに成長した今はそんな無茶は出来ないらしい。入浴の時間はなんとも静かなモノだった。
「じゃ、俺はもう寝るからな?」
風呂を上がったあと、リビングでネイルケアをしていた那月にそう告げる。
……ジッと爪を手入れしている姿は、本当に昔とは見違えるほど綺麗になった。
高校ではさぞかしモテることになるだろうな……。
「え、まだ10時にもなってないよ?」
「おっさんになるとな、特別な理由でもない限りさっさと寝たくなるんだよ」
「ふぅん……ま、明日も仕事あるんだもんね」
「ああ。別にリビングで過ごしてくれていいけど、静かに頼むぞ」
そう言って俺は畳んでいたマットレスを展開し、その上にごろんと寝転がった。
毛布をかければすでに極楽。
すぐにでも夢の世界に行けそうだ。
……そして実際、俺はその1分後くらいには寝たのである。
ところが、それから幾ばくかの時間が経った頃に、俺は妙な気配を感じて目を覚ますことになった。
「…………」
リビングの電気も何もかもが消えて、外も静まり返っている深夜帯。
そんな中、俺の布団の内側で俺以外の何かが蠢く気配がしている。
……答えはひとつしかあり得ない。
「おい……」
「あっ、起こしちゃった?」
「……何してんだよお前……」
案の定、布団の中で蠢いていたのは那月であった。きちんと入浴を済ませ、寝巻きに着替えている様子。蠢くたびに良い匂いが漂ってくる。
しかしそんなことはどうでもいい……。
「……なんで俺の布団に入ってるんだ?」
「そこになーくんの布団があったからっ」
「登山家みたいに言うな」
「いいじゃん別にぃ~。昔はこうやって一緒に寝てたんだしさあ」
確かに一緒に寝ることは幾度となくあった……でも今もそのノリを続けるのは、問題大ありである。
「部屋に戻って寝ろよ……」
「なんで?」
「なんでって……ダメだから」
「……迷惑?」
「迷惑っつーか……もうお互い、軽々しくこういうことをしていい歳じゃないだろ」
那月はまだまだ精神面に関しちゃガキだが、身体はもう充分に女性らしい。
こうやって接近されるのは色々とよろしくない。
「あたしは気にしないもん」
「俺が気にするんだよ」
「気にするってことは、あたしを女として見てるってこと?」
「……知らん」
「知らんって何さぁ」
「知らんモノは知らん……とにかく出てけ」
「ヤダ」
薄闇の中にムッとした那月の表情が垣間見える。
そうやってムキになった表情はガキの頃と変わらない。
「出ていかないも~ん。あたしはなーくんと一緒に寝ますっ」
「昨日は突撃してこなかったくせになんで今日は一緒に寝るんだよ……」
「あたしは気まぐれなんですっ」
「ランチタイムのシェフか」
「ね? とにかく今日だけでも一緒に寝かせてよ~♡ お願いだよ~♡」
「ほ、頬をこすり付けてくるな……!」
本当に昔と変わらない距離感だ。
それが嬉しい反面……やっぱり色々と問題だよなと思いつつ、しかし俺はどうにも……那月には甘いのだ。
「じゃあ……今日だけだからな?」
「――いいの?」
「今日だけだぞ? ……ホントはゆっくり寝たいんだからな」
ただでさえ独り身の生活が窮屈になっているのに、布団の中でさえ1人の時間を奪われるのは耐えがたい。でも那月が求めるなら、今日くらいは許してやる。
「ありがとうなーくん!」
「ひとつ言っとくが……凄まじい寝相で俺を蹴飛ばしてくれるなよ?」
「じゃあ、蹴飛ばす余地がないように密着しとくね♡」
耳元でそう囁き、那月が抱きついてくる。
「おい……!」
「えへへ、そしてこうやってノーブラおっぱいを押し付けたりするのはどうですかな?w」
「や、やめろお前マジで!」
やっぱり受け入れたのは間違いだったかもしれない!
そう考えながら、那月への煩悩を追い払うために素数を数えたりしつつ、なかなか眠れないひとときを過ごすハメになったのは言うまでもない……。
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