第5話 ろくな思い出がねえ
「――じゃあ、俺は仕事に行くからな? 火の元に気を付けろよ? 出かける場合は戸締まりをしっかりしといてくれ」
那月は春休みでも、俺はそうじゃない。社会人にそんなモノは存在せんので、洗濯を終わらせて軽い朝食を済ませたあとは、出かける準備を整えながらそう告げた。
「なーくんってなんの仕事してるんだっけ?」
「エンジニア。ちょっと前までは在宅勤務だったんだが、某ウィルスも一段落したから出社してこいってさ。めんどくせえ」
「大変?」
「楽な仕事なんかねえよ」
「じゃあじゃあ、なーくんの元気が出るようにいってらっしゃいのチュー、してあげよっか~?w」
こいつはまーたそうやって俺をからかってきやがる……。
叔母さんたちめ、なんで那月をこんな小悪魔に育てやがったんだ。
「あのな……お前のチューなんかいらねえっての」
「いらないって何さぁ。……なーくんってもしかしてソッチ系?」
「ちげえよ。とにかく気ぃ付けて過ごすようにな。分かったか?」
「ほーい!」
無駄に元気の良い返事を耳にして、俺は玄関で靴を突っかけた。
「じゃ、行ってくる。7時までには帰れるはずだから」
「うんっ、いってらっしゃーい!」
黒髪美少女に似合わない素振りでぶんぶんと手を振られ、送り出される。
……いってらっしゃい、か。
随分と久しぶりにそんな言葉を掛けられたが、まぁ……悪くないな。
※
そんなこんなで車を走らせ、いつも通りに出社。
けだるい気分で午前の仕事をこなし終え、やがて昼休憩を迎えたそのとき――
「――せーんぱいっ、一緒にランチでもいかがですかっ?」
後輩の女子社員に声を掛けられたのが分かった。
「あぁ、
「はいっ、あなたの可愛い後輩ですよ、先輩っ」
そう言って茶目っ気たっぷりに笑った彼女は、栗色の髪の毛を肩口で切り揃えている小動物系の後輩社員、御堂さんだ。
フルネームは御堂
俺が去年から
「さあ先輩っ、今日も一緒にご飯、いかがです?」
「毎度のことながら、同期とでも食べればいいだろうに」
「同期より先輩ですっ」
「物好きだな……今日は奢らないぞ?」
「大丈夫ですっ」
そんなわけで、御堂さんと一緒に行きつけのラーメン屋に移動した。
「先輩、最近どうですか?」
「漠然とした質問だな」
「じゃあ率直に聞きますけど、最近色恋の方はどうですか?」
テーブル越しに向かい合ってラーメンを食べながら、そんなことを聞かれる。
「それを知ってどうすんだよ」
「情報収集です」
「俺のそんな情報になんの価値があるんだか」
「とにかく、どうなんですか? 恋人って居たりします?」
「居ない居ない」
俺は誤魔化しもせずに応じた。
「昔から1人が好きでな。色恋にはまったく貪欲じゃないんだ」
「え、もしかしてまだ童て――」
「さすがに卒業済みだっ。……一応、彼女が居たことはあるんだよ。そんときはそんときで楽しかったが、でもやっぱり1人でゲームしたり、映画観たり、本読んだり、っていうのが好きでな」
「じゃあ、その彼女さんとはすれ違って別れた感じですか?」
「まぁ、そうなるのかもな」
喧嘩別れではなかった。
本当になんかこう、いわゆる自然消滅だった気がする。
大学時代の話だ。
「じゃあそれからずっとお一人なんですね?」
「ああ」
「――でしたら今度、おうちに遊びに行ったりしてもいいですかっ?」
「ダメ」
「え」
「今はちょっと無理」
マジ無理。
「ど、どうしてですか……?」
「実は居候が居るんだよ」
「い、居候……?」
「ああ」
「それってまさか……女の子、はさすがにないですよね?」
「いや、それが女の子なんだよ」
「!?」
「4月から高校生になる従姉妹をな、預かってる感じでさ」
「――じぇ、JKですか!? 強敵過ぎる!!」
「……強敵?」
「あ――いえっ、こちらの話ですからお気になさらず!」
こちらの話とは一体……。
「それはそうと先輩っ、幾ら親戚でもよくJKを引き受けましたね?」
「まぁ……俺が拒否ったら1人暮らしだったからな。ガキが初めての都会でそれはキツいんじゃないかって思ったんだよ。金も掛かるしな」
要するに、情があったから引き受けた。
那月のことは本当にちっちゃい頃から、それこそ赤ん坊の頃から知っているのが俺である。社会人として上京するまでは同じ田舎で暮らしていたし、那月の親は共働きだったから、俺がちっちゃい那月の面倒を見守っているのが常だった。
思い出は幾らでもある。おむつ替えてたらおしっこ噴射されて口に入ったり、一緒にお風呂に入っていたら湯船でおしっこされたり……おしっこばっかじゃねえか。
ともあれ……その子が今度、高校生になる。
――どこか感慨深かった。
だから、近くで成長を見守れるなら、ウチに置いてやってもいいかなと思った。
……今朝の小悪魔っぷりを見るに、その選択は失敗だったかもしれないがな。
「とにかく……、俺の家は現状客を招く場じゃないんだよ。そういうわけだから、俺の家に来られても困る感じだ」
そう告げると、御堂さんはどこか沈んだ表情で「……分かりました」とラーメンをちゅるちゅるしていた。
……なんで俺の家に行けそうにないことをそこまで残念がるのだろうか。
この理由が分かったヤツ、至急俺宛てにメールを頼む。
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