第三章

第十話 二〇XX年九月二十七日~九月二十八日

羽音神社 二〇XX年九月二十七日


 羽音神社の境内は、夕暮れ時の淡い光と共に人々の楽しげな声や賑やかな音色で満ち溢れていた。遠くからは太鼓のリズムが重厚に響き渡り、それに合わせて子供たちの無邪気な歓声や大人たちの笑い声が絶え間なく聞こえてきた。


 この古木に囲まれ、歴史を感じさせる神聖な場所は、今日ばかりは賑やかな雰囲気に包まれていた。


 出店が道の両側にずらりと並び、それぞれの店主が自慢の品々を売り込む声を上げていた。色とりどりの提灯や飾り付けが境内全体を暖かく彩っており、まるで異次元のような雰囲気が広がっていた。


 子供たちは鮮やかな綿菓子やジューシーな焼き鳥を手に、大人たちを引き連れて楽しげに走り回っている姿が目立った。焼きそばやたこ焼きの香ばしい匂いが、風に乗って四方八方に広がっていて、それに誘われるように多くの人々が足を運んでいた。


「これ、美味しいよ、更紗」と鈴郁が言って、たこ焼きを口に運ぶ。そのたこ焼きの上にのせられた鰹節は、熱によって薄く踊るように動いており、その様子に鈴郁は微笑む。彼女の端正な顔が、たこ焼きの温かみと共にほんのりと赤らんでいた。


 一方、更紗は、祭りの食べ物の誘惑に完全に負けていた。彼女の手元には、焼きそば、綿あめ、アメリカンドッグ、そしてサクサクのから揚げがあり、その量と多様性に、鈴郁は驚きの声を上げる。


「更紗、全部食べよーと?」


 更紗はにっこりと笑って「出店の食べ物は特別。これやと足りんくらいちゃ」とウインク。


 その食べ物への情熱と愛情に、鈴郁も思わず笑ってしまう。彼女たちは、それぞれの好みの食べ物を楽しみながら、祭りの賑やかさと特別な雰囲気を満喫していた。


 カラオケ大会のステージは、神社の中心部に設置され、常に大盛況。地元の住民が一曲一曲、心を込めて歌声を披露しており、そのたびに観客たちが手拍子や掛け声で盛り上げていた。特に子供たちや若者の歌唱は、観客の心を掴み、毎回温かい拍手と歓声が送られていた。


 そして夕方が近づくと、神社の背後の空地から、夜空に向かって次々と花火が打ち上げられた。深い紺色の夜空を背景に、鮮やかな花火が大輪の花のように咲き誇り、その美しさに見入る人々の顔は幸福に輝いていた。爆発する音と共に空を彩る花火の美しさは、神聖な境内をさらに幻想的に魅せていた。


 この一年で得られた豊作の感謝と喜びが、こうした祭りとして形になっていた。家族や友人と共に、老いも若きも一同、笑顔でこの特別な日を共有しており、その幸せな時間は、秋の思い出として、心の中に深く刻まれていった。



羽音神社 二〇XX年九月二十八日


 秋祭りが開けて翌日、真と鈴郁は連れだって羽音神社へ来ていた。通された少し広めの和室では更紗が巫女装束で工作をしていた。


「何つくっとるの」更紗が座る背の低い卓子には、B4サイズほどのちょっと厚めの紙になにやら布が貼られていた。


「れーちゃん、おじさまいらっしゃい。ほら、何時だったか説明した蔵面よ」手にしていた大きな裁ちばさみを卓子に置き、更紗が顔を上げる。


「れーちゃんは神事初めてやから、今日明日くらいで神事のコト一通り説明するけん。その上で、参加でけんなったらやらんでもよかよ」卓子へ座布団と麦茶を用意しながら更紗が言う。


「今日はとりあえず、神事でやることの説明と、あんまり遅くならんうちに奥の屏風岩見に行こ」


 三人はそれぞれ座布団に座り、更紗の説明を聞いている。真は再確認だが鈴郁は初の神事であり、少し緊張気味だ。


「まず、当日の服装は洗い立ての清潔な服なら何でもよか。でもあんまり柔軟剤とか臭いキツいのんはダメ。神事の前にシャワー浴びてきて。清める感じ? 特になんも持って来んでもよか。全部用意しとるでね。あ、髪はお団子かくくるかしてしといてね。

 神社へは十一時くらい集合。朝比奈親子おふたりとあたし、下男さんとして三人のお手伝いさん、ここに鹿沼教授も入ってて、六人でまず先の屏風岩まで行きます。ここまでは懐中電灯とか使えるの。

 先の屏風岩についたら、靴と靴下脱いでもらって草履か足袋を履いてもらいます。お二人には血を一滴ずつもらって、混ぜた血でお互いの眉間に拇印を押してもらいます。れーちゃん変顔せんの」

「ぐぬぬ…… さすが神事……」


「拇印押したらあたしの方で持ってくをみんな飲んでもらって、それぞれ蔵面付けて、ここからさきは松明の明かりで進みます。先の屏風岩出発したらお二人は口を開いちゃダメ。

 下男の人は捧げ物とか薙刀とか色々もって後から付いてくるから、とりあえずしゃべらんと静かに奥の屏風岩に行きましょう。

 奥の屏風岩についたらたぶん十一時五〇分とかそれくらいやから、皿岩に捧げ物置いて薙刀置いて、


「〇時になったら我々が呪文を唱えます。たぶんすぐに神様いらっしゃるので、あたしが祝詞を上げます。お二人はあたしの後ろに立って顔を伏せ瞑目しててください。ここあたりで、もしかしたら神様の念みたいなのがお二人に伝わるかもしれんけど、びっくりしやんで黙っとって。

 祝詞が終わったら、お二人には捧げ物を捧げてもらいます。下男さんが捧げ物を動かないようにしとるんで、薙刀で一突きずつ。皿岩に血を貯める感じになるので、また血を一滴ずつ垂らしてもらって、皿岩の両脇に、神様に背を向け膝立ちになって両手を耳の高さに挙げてもらいます。

 たぶん一分もしない位の間で先の屏風岩に戻ってるハズなので、あとは帰ります」


「……なぞしかない……」理解の及ばない世界の話で困惑顔の鈴郁。


「まぁ、諦めたまえな。はい、血ちょうだい」話しながら墨を磨っていた硯とまち針を差し出してくる。


「神様、血好きね」人差し指をぷつりと一刺し、血を硯に滴らせる。隣にすわる真も同じく血を垂らす。


「神事に参加する人間達が、朝比奈家に連なるモノって示すためなんよ。神様には人間の区別なんてつかんやし。区別が臭いなのか遺伝子なんかは分からんけどね~」


 血を混ぜるようにさらに墨を磨り、筆にたっぷりと含ませる。畳に敷いた新聞紙の上に目の穴だけ空けた真っ白な蔵面を並べ、筆を走らせる。


「目を横切る一文字は“開闢の蔵面”。これはお二人の分。両目を縦に塗りつぶす縦二本は“瞑目の蔵面”こっちはあたしと下男さんの分」


 真っ白な蔵面にたっぷりとのった墨を満足げに眺める更紗。巫女装束で筆持ってるとなんとも似合う。普段はふわふわ天真爛漫系のくせに。


「お二人への説明はこんなかな~ れーちゃんなんか分からんことある?」


「分からんことしかなかと」


「それは諦めれ」更紗はむげもない。


「とりあえず当たって砕ける。お父さんも更紗も居るからだいじょうぶ」


「うん、準備は万全にするし、」ふんすと鼻息も荒く更紗が胸を張った。



羽音山 二〇XX年九月二十八日


 羽音神社の裏手から石階段を上ること三〇分。羽音山にある屏風岩のうち一つ、先の屏風岩に到着した。屏風岩の足元にはおよそ二〇畳ほどの荒い石畳が敷かれ、片隅には木箱が置かれていた。


「石階段、急だから結構クるねぇ……」息も絶え絶えの鈴郁が木箱にもたれながらペットボトルの水を飲んでいる。石畳に箒をかけながら当日はちょっと早めに出発した方がいいかしらと更紗は考える。


「当日は、ここで草履か足袋か……れーちゃんは足袋の方がいいかなぁ。足袋の上に草履にするかな。足元整えて、蔵面かぶって松明の明かりで進むからね」


 息を整えた鈴郁を待ち、ふたたび出発する。この先は坂道に丸太を埋めて作った階段しか無く、必然足は遅くなる。階段の両脇にかがり火を用意すべきか……。あれこれ考えながら鈴郁の腰を押しあげる更紗。


「更紗、は、なん、で、そんな軽々、と」


「毎朝日の出前からぞうきんがけしたり、もちろん屏風岩のお掃除とか、足腰鍛えとったからねぇ。ほれほれがんばり」


 先の屏風岩からおよそ一〇分。先程の屏風岩より一回り小さな屏風岩が見えてきた。それほど標高の高くない羽音山ではあるが、何かような壁面が多く、下から「先の屏風岩」「奥の屏風岩」と古くから呼ばれている。


 屏風岩を背に眼下を見下ろすと、羽音地区が一望出来る。足元は突き固められた土が剥き出しになっており、登山口側には大人数人でなければ抱えられないほど大きな楕円の平たい岩があった。中央は少しへこんでおり「ここにお供え物置くんよ」と更紗が説明する。つまりこれがなのだろう。


 皿岩の四方には真新しく皮の剥かれた木が立てられており、上部は綱が張り巡らされていた。神事の準備は着々と進んでいる様だった。


「ここで〇時を待って、神様をお呼びして、更紗が祝詞あげて、私とお父さんで生け贄を捧げるんだよね?」先程よりは早く立ち直った鈴郁が指折り確認する。


「そう、生け贄の血に二人の血を混ぜてもらって、神様に背を向ける感じでそことそこ、皿岩の両隣で膝立ちになって手を耳の高さに挙げるの。そしたら神事終了。気がついたら先の屏風岩にはず」


 鈴郁は眼下に広がる羽音の街並みを眺める。変哲の無い山中の農村地帯だ。二〇〇年に渡り続いてきた神事が、この地に、少しの豊穣と繁栄をもたらしてきた。朝比奈家と羽音神社。自分に流れる血に確かな歴史の重みを感じていた。少しの恐ろしさと共に。

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