第九話 二〇XX年八月二十九日~八月三十日

城南大学 二〇XX年八月二十九日


「十二代のご当主様が書かれた本、全五冊見つけました。朝比奈家と羽音神社にまつわる歴史と神事について書かれています。

きっと教授もご興味があると思います。ウェブ会議にてご覧頂きたいのですが、ご都合のよろしい日時をお教え頂けますでしょうか。

よろしくお願い申し上げます」


 朝比奈先生が亡くなられて二週間、鈴郁君はご実家の蔵書庫を(本人曰くひっくり返して)探していたご先祖様の本をようやく見つけたようですね。

 朝比奈家の神事というと、おそらく僕が朝比奈先生の家でお世話になっていた頃に駆り出された勢子が関わってくるのでしょう。秋祭りの後にイノシシを生きたまま捕らえるという、取り立てて珍しくもない事を、周りの大人達は大層真剣に当たっていたのを覚えています。


「神事、神事ですか……」


 城南大学の自室で、朝比奈 鈴郁から届いたメールを見、鹿沼はつぶやく。朝比奈家の押しかけ書生をやっていた二〇代を懐かしく思い出し、そして、自らの半生を掛けて追い求めた存在、「外なる神」を想起する。


 壁を覆い尽くす本棚からも溢れ、床にうずたかく積まれた古文書の数々。その歴史的価値よりもそのにこそ価値があるそれら書籍を前に、学究の徒を目指した日から絶えることなく抱き続けた一つの仮説を口にする。


「この国の、神話自体からこれまで、神仏妖怪魑魅魍魎、それらがは、どこか理の外からやってきたのではないか」


  日本における霊的な存在や神々は、それぞれが特定の場所や自然現象、動植物に結びついている。アニミズムの信仰がやがて、神のご託宣を受けて物事を決めるシャーマニズムへと発展したこの国の“信仰かみの概念”。そして羽音郡のような土地に根ざした土着の信仰・神事。名付けられず分類されなかった数多の信仰の対象。その中に明らかに異質な存在が紛れている。その疑念に突き動かされた四〇年だった。


 名付けられたモノは「理解の埒内」。では「名付けられなかったモノ」は?


 同じ事象に違う名が付くのは当然。では「まったく同じ名が付いた」のは何故か?


 なぜ神事があるのか?


 僕は、三度みたびを目にするのか……?



朝比奈家 二〇XX年八月三十日


「めっちゃ食いついとっとん」更紗が半ばあきれ顔で言う。


 それほどに鹿沼教授の神事に対する興味は高かった。


「教授も言っとったけど、何十年もの研究ライフワークなんちゃろ」鈴郁も毒気を抜かれた顔で応える。



「鹿沼教授、お疲れ様です。お時間頂きありがとうございます」


 鈴郁と更紗は朝比奈家の書斎から並んでビデオ会議に参加していた。しっかりと整えられた本棚が背景に映り込むよう、書斎をしばらく彷徨いて決めたベストポジションだ。


「おはようございます、二人とも。元気そうでなによりです」


 挨拶も上の空、どことなく落ち着かない様子の鹿沼がいつもの教室で写っている。


「先日からお話ししていた、当家十二代当主の書がすべて揃いました」鈴郁が五冊の書を重ねてカメラに写す。この書を預けられた際の言いつけを守り、スキャンはしなかった。

「内容は、どの様なものでした?」と教授は言い、鈴郁が頷いた。


「はい。文政八年頃から朝比奈家と羽音神社で執り行われている神事について、来歴とか詳細な次第が記されています。そしてその神事、今日まで受け継がれているそうです」


 教授の目が大きくなり、手に持っていたペンをテーブルの上に放った。彼の興奮は顔全体に現れていた。「それは驚愕の発見ですね。僕が朝比奈先生の元でお世話になっていた頃、秋口に何度か手伝いを頼まれたのですが、おそらくそれが……」


「はい、神事に関わるお手伝いです」更紗が答える。さらに「今年も、その神事は実施される予定です」と付け加えると、鹿沼教授は立ち上がって両手を広げた。


「私もその神事を目の当たりにしたい! 研究者として、その場に立ち会い、その神秘を感じることは、私にとっての夢のような経験になるでしょう」彼の目は情熱に燃えていた。


 鈴郁は更紗をちらりと見た。二人は、鹿沼教授の熱意に少し戸惑いながらも、その真摯な姿勢を感じ取っていた。鈴郁は、「現当主であるウチの父と、羽音神社宮司である更紗のお父さんに相談させてください」と答えると、教授はにっこりと笑って二人に頷いた。



羽音神社 二〇XX年八月三十日


「なるほど、それで予想通りという訳ですか」羽音神社宮司の晴道は苦笑を浮かべる。


「まぁ確かに、朝比奈先生の元に居た頃から鹿沼君は研究熱心というか、猪突猛進といった所がありましたね」


「それで、どうします宮司。下男として参加させますか?」朝比奈家当代当主、真が問う。


「これまで、神事に部外者が参加したことは何度かあります。神事の記録を取る随行者、といった立場ですね」晴道が茶碗に手を伸ばしながら答えた。


「どちらにせよ、事前の打ち合わせも必要でしょう。一度鹿沼君を招いて一席設けましょうか」心なしか嬉しそうな晴道に、飲んべえは呑める機会を逃さんねと更紗があきれ顔で独りごちる。


「という訳で鈴郁さん、更紗。鹿沼君に是非神事にご参加頂きたい事と、今年の神事は一〇月中旬になるので、九月の中旬にでも一度お越し頂いて下見と打合せとしたいと申しておりましたとお伝えください」

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