第八話 二〇XX年八月二十八日~
朝比奈家 二〇XX年八月二十八日
更紗が朝比奈家を訪れたのは午後三時を少し回った頃だった。クーラーを効かせ熱気を払った自室と、よく冷えた麦茶と水ようかんでもてなす鈴郁。
「んで、どーしよっか。ご先祖様の本は読んだんやっけ?」麦茶で喉を潤し更紗が口を開く。
「そう、あの五冊は隅々まで読み返した……。ねぇ、更紗。うちら、生まれたときからずーっと一緒におったし、なんとなくやけど神事のコトについては更紗のほうが詳しく知っとるんやろーなーて思っとる。たぶんあたしに言えんことも多いんでしょ? やけん、言うべきことだけ教えてくれたら、それでええよ」
「そうねぇ……」首をこてんと倒し考え込む更紗。「れーちゃんは今年の神事から参加したい? それによって今言うことの分量変わるん」
「正直、怪獣かバケモノか分かんないのの出てくる神事なんか関わりたくない」
「ほんまそれっちゃ!」二人して苦笑いする。
「でも、ウチの家が執り行わないとなんないんでしょ?」
そうでもないんだけどね。今ここで、今年の神事から朝比奈家が手を引いてしまうコトも出来る。なんなら神事のコト自体忘れることも出来る。
「まぁそうねぇ。ウチの神社もそうだけど、
「神事をやめちゃったら、羽音はどうなるん?」
「たぶんやけど、二〇年とか三〇年とかかかってゆーっくり衰退してくっぽい? 来年からどーんってダメになるわけじゃなかよ。そもそもこの国自体、ゆっくり衰退しとろーもん? 羽音がそれに逆らっとるだけちゃ」
腕を組んで唸りだした鈴郁を横目に水ようかんをパクつく更紗。彼女自身は鈴郁のどんな決断にも従うのでそれほど悩むこともない。自分はそのための存在だと、知っている。
「真夜中に新月で灯り無いとこで奥の屏風岩まで裸足で行ける気がしない」
「松明あるし草鞋か足袋に履き替えていいんよ」
「お父さんの次は、あたし一人でやるんでしょ……? 生け贄……」
「詳しい話は端折るちゃけど、お手伝いさんの役割の人もいるっちゃ。役割毎の蔵面をかぶるんよ。ほんで、あとは薙刀でグサーて」
「……なにメン?」
「
「ふーん…… なんかへんな顔のお面出てきたっちゃ」
「その顔は描かんけど、そんなお面かぶるんよ。そしたら神事に参加出来ると。バケモン見ても正気を失うこともないちゃ」
都合良すぎでしょーと半信半疑の鈴郁。そりゃそうだろう。変なお面かぶるだけでそんなご利益あるわけが無い。効果があるのは赤い瓶子の中身の方だ。
「羽音神社のありがたい蔵面はご利益てきめんちゃ」どや顔で更紗が言い切る。
「んんん〜〜。まぁ、おとうさんもおじいちゃんも、何度も神事執り行ってて普通に戻ってきとる。ちゃんとやればキケンはないっちゃろ。正直、神事自体はとっても興味あるっちゃよ。
「あーそれ! 教授興奮しすぎて倒れるかもしれんっちゃ」
「でも部外者だしバケモノ出てくるん、ムリと」
「さっきの蔵面被せればだいじょーぶよ。ただし」
「ただし?」
「口外されるととっても困ることになるっちゃ」
「あーね。そりゃそうね」
「口外しない、記録に残さない、今年一回だけ、なら、まぁなんとか?」
鈴郁と更紗はそろって腕を組みうなり出す。そこまでしてわざわざ教授に声を掛ける必要、ある?
「教授に神事のこと教えたら絶対参加したがるん、間違いなかと」更紗が言う。
「たとえば、五冊目が見つかりましたー、むかーしはこんなコト信じて生け贄捧げてたらしいですーって風に教授に言う?」と鈴郁。
「あくまでもうこんな神事はやっちょらん、てコトね」更紗が宙をにらみ少し考え込む。
「ん~。鹿沼教授が変な行動力発揮して、秋祭りの次の新月に乗り込んでくるとヤバい」
「ヤバい、とは」鈴郁が恐る恐る尋ねる。
「蔵面もかぶらんお約束もなんも知らんでカミサマの前に出たら死ぬん。死なんでも発狂すると」事もなげに言い切った更紗をウンザリした顔で一瞥し、鈴郁はまたも頭を抱えて唸りだした。
「教授に教えるかどうかは父さんに相談するばってん。羽音神社の神主としての知恵借りてくるわ」更紗はそう断言し、ひとり頷いている。まぁそれが妥当かと鈴郁も納得する。
「あと神事のアレで知っときたいことある?」
「アレってなに」
「いや分からんけどアレはアレばい」頭をひねり続けた反動か、弛緩しきった空気が二人の間を流れていった。
羽音神社 同日
羽音神社へと続く森の中は、厚い蝉の声と共に夏の暑さを帯びた空気で満たされていた。木々の間から差し込む月の光が、葉っぱたちを柔らかく照らし出し、緑のシルエットを描き出している。
一歩一歩、神社に近づくにつれ、蝉の声が少しずつ遠くなり、代わりに風が木々を通り抜けるささやきや、小動物の気配が耳に届いてくる。
石段を上った先に、羽音神社が姿を現す。由緒ある鳥居が月光に照らされ、輝きを放っている。参道の灯籠は消えており、暗闇の中でぼんやりと、本殿の存在を確認できるだけだった。しかし、その静謐な雰囲気が、神聖さを際立たせていた。
参道脇の古木からは、ほのかに蛍の光が浮かび上がり、幻想的な雰囲気を演出している。その儚げな光が、時折、風と共に舞い上がり、夜の森を彩っていた。
神社の境内は、夏の夜の重厚な静寂に包まれ、一歩を踏み出す度、鳥居や石畳、夜空に映し出される木々が、歴史と伝説の重みを感じさせてくれる。
本殿を回り社務所へ。応接室には、父である菱沼 晴道が更紗を待っていた。
「ただいま戻りました」更紗は帰宅を告げ、ソファーに座る晴道の向かいに腰掛ける。
「鈴郁嬢はどうだった。神事を忌避していたか?」更紗の前に麦茶を出しつつ、心配ではなく確認といった風に晴道が訪ねる。
「自らの手で生け贄を捧げる、という部分に生物的な厭いはありましたが、自分の祖父、父が神事に関わり生存している事で神事自体にはそれほど嫌悪感はなさそうです。暗示の香を使い誘導もしております」
「古き神については何と言っていた」
「十二代当主の書しか見ていないので実感出来ていません。これまで通り実際に目にするまでは理解出来ないかと」
「仕方あるまい。蔵面と赤い瓶子、手順さえ誤らなければ死ぬことはない」
「鈴郁嬢はワタシの代ですので、ワタシが神事の補佐を行います。ご安心を」更紗はそういい、麦茶を一口、口にする。
「その他、なにか問題はないか?」
「鈴郁嬢は大学での研究にからみ、十二代当主の書について自分の担当教授である鹿沼 清彦教授に話をしていました。五冊揃ったことを告げるか判断出来かねています」
「鹿沼君か……。彼には朝比奈先生の家に下宿していた頃に、先生の神事を手伝わせた事がある。と言っても生け贄にしたイノシシの勢子として、だが。……そうか、やはり歴史の道に進んだか」晴道も麦茶を含む。
「懸念についても分かった。五冊目を目にすれば、何としてでも神事に参加しようとするだろう。正しい準備をせねば、神事に関わる全てが失われる。鹿沼君に全てを話すかは鈴郁嬢の判断に任せる。もしそれで彼が神事に参加する事を希望するなら、下男として参加させよう。誘導はしなくて良いが、事の成り行きには注意を払ってくれ。鹿沼君が参加を希望するなら、一度こちらへ来るよう仕向けてくれ」
「わかりました」頭をさげ、更紗は応接室を後にした。応接室の窓からは、先の屏風岩と奥の屏風岩が月明かりに照らされ黒い姿を現していた。
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