第二章

第七話 二〇XX年八月二十七日~八月二十八日

朝比奈家 二〇XX年八月二十七日


 朝比奈家の神事について教えられたその夜から、鈴郁は自室に籠もり十二代目当主の残した『五冊の本』を繰り返し読み込みこんだ。まさしく寝食を忘れて。


 体長一〇メートルを超えて羽根生えてて三つの目と六本の腕を持つ神様バケモノ……? 年イチで生け贄を捧げるって生け贄ってことは生き物だよ、それを自らの手でって……。


 “その地に繁栄がもたらされる”けど“年イチ”、つまり毎年生け贄を捧げてるわけで、収穫が終わった後、翌年の“繁栄”を祈願してるのか。この辺りの農業って西瓜、小松菜、枇杷に黒毛和牛だったよね。

 あとは子孫繁栄の方か。たしかこの辺り、高齢化もそれなりに進んでるけど少子化はそんなに進んでないんだっけ、人口微増みたいな。造船とか工場の方まで繁栄の影響あるのかしら。


 お父さんは「どうしたいか教えてほしい」って言ったけど、どうできるの……? まさか止めるってチョイスはないだろうし、いつかは自分の番になるのよね……。



 真は深く息を吸い込んで、鈴郁の表情を見つめた。彼の目には理解と少しの悲しみが浮かんでいる、そんな気がした。


「鈴郁、それは当然のことだ。朝比奈家の神事というものは、他の家庭とは全く違った意味を持っているからね。だから、すぐに飲み込めるとは思っていなかった」と真は優しく告げる。


 鈴郁はその言葉に少し安堵したが、まだ心の中には疑問と不安が渦巻いている。


「でも、どうしたらいっちゃろ? 私、びっくりしてばっかりで、どうしたらええのかわからんもん」


 真はゆっくりと立ち上がり、窓際へ歩を進める。外は真っ青に晴れ上がり、セミの声が遠く近く響く。真はしばらくの間、外を見つめてから再び鈴郁の方を向きました。


「この家には、羽音神社とともに歩んだ長い歴史と伝統がある。そしてそれには理由がある。鈴郁、家の秘密を知った今、君にできることは自らの心と向き合い、真摯に考えることだと思う」と真は言う。


「明日にでも羽音神社へ赴き、当主襲名の挨拶をしようと考えていたんだ。良かったら鈴郁も一緒に来ると良い。神主は当然だが

 そして、には伝えられていない事も知っているだろう。これから何をどうするにせよ、顔合わせは必要だろう」


 父親の言葉に、言外の思いを感じ取りながら、鈴郁は頷いた。頷くことしか出来なかった。



羽音神社 二〇XX年八月二十八日


 羽音山の緑深い中腹に、小高い丘の上に建つ「羽音神社」が静かに佇んでいる。この神社は、古くからの伝承と、地元の人々の暮らしと深く結びついている。


 古木と新緑が混じり合い、山の鳥たちのさえずりが耳に心地よく響く中、長い石段が参拝者を待っている。その石段の脇には、季節ごとに変わる花々が植えられており、春には桜の花が咲き誇り、夏には紫陽花、秋には紅葉が彩を添える。冬には、白い雪が積もり、その中で緋色の鳥居が美しく映える。


 神社の本殿は歴史を感じる重厚な木造で、破風板には巧みな彫刻が施されている。本殿の前には常に清らかな水が湧き出る手水舎があり、訪れる者たちは手を清め、心を鎮め参拝する。


 この神社では、季節の折々にさまざまなお祭りや行事が開催されている。春には桜の下でのお花見、夏には盆踊り、秋には新米の収穫祭、冬には初詣と、一年を通じて賑わっている。お祭りの日には出店が並び、地元の名物や手作りの品々が販売される。


 長い歴史を持つ「羽音神社」は、地元の人々の氏神として、また、日常の憩いの場として、多くの人々に愛され続けている。



 神社に到着した父と娘おやこは主祭神の社へと足を進めた。社の中には、代々の朝比奈家の当主が神事や家の歴史に関する祈りを捧げてきた記録が残されている。鈴郁は、社の中で真が語りかけるように祈りを捧げるのを静かに見守っていた。


 祈りが終わると、真は鈴郁を伴い社務所へと戻る。その奥には、羽音地区に伝わる神事に関する古文書が保管されてた。


「これはこれは十五代ご当主殿、ようこそいらっしゃいました」


「お邪魔します、宮司。先代の葬儀ではお心遣いありがとうございました」


 羽音神社の宮司であり更紗の父でもある菱沼 晴道が真と硬く手を握り合った。


「鈴郁さんもお久しぶりです。朝比奈先生の事は残念でした」


「ありがとうございますおじさま。お元気そうで何よりです」


「昨日、更紗も帰省してきました。後で呼びましょう」


 そんな会話をしつつ、応接室へ通され席に着く。


「さて、この度十五代当主を襲名し、この鈴郁も二〇歳を迎えました。羽音の神事について、十二代の五冊にも目を通させました。まぁ、まだ混乱している様ですが」


 そう言い真は隣に座る鈴郁に目をやる。


「私は今年、数えで四十九になります。まだ二〇年やそこらは神事を続けますが、その先の事はこの子に預けようと考えております」


 予想だにしない真の言葉に狼狽する鈴郁。


「落ち着きなさい。まだ二〇年は先の事だ。他と比べ高齢化も産業も少子化についても恵まれている羽音でも、二〇年先には衰退しているだろう。その時、神事を続けていく必要があるのかどうか、判断を出来るのはその時代を生きる君の世代だよ」


 どこかおじいちゃんを思い起こす暖かい父の手が、鈴郁の頭をそっとなでた。



 朝比奈家十五代当主を襲名した真が、十六代となるであろう鈴郁の代での神事の取り止めについて言及した。


『……まあ、そうでしょうな』宮司である菱沼 晴道はそう思い至るのも当然だと納得する。


 羽音神社と朝比奈家、そして羽音地区。これらは三つ巴として悠久の時代を歩んできた。古き神の導きと共に。


 平安の世、筑紫に落ちたという流れ星よばひぼし。古き神「納苦流瞳ナクルトン」がこの地に現れたのはその時からだと伝えられている。無作為に送り込まれる強烈な思念と見上げるばかりの異形の姿。

 幾人もの武芸者もののふが矢を射かけ大太刀で切りつけても、毛ほどの傷も与えられなかったと言う。武士たちを抑え神との対話を試みたのが、この地の神職だった。


 古き神は“命”を求めたという。ただただ命を捧げよという思念が叩きつけられる中、災いを収めるため人柱を立てるべしと息巻く武士を諫め、今の神事の元となる“取り決め”を交わす事ができたのは正に奇跡とも呼べる僥倖であろう。

 それ以来、秋の収穫の後とされた捧げ物の儀を執り行い、年を経て表を朝比奈の家、裏を羽音神社の神事としてこの地の繁栄を担ってきた。一〇〇〇年もの長きにわたり延々と。


 羽音神社には一〇〇〇年に渡る古き神の記録と神事を執り行う準備と手順のすべて、そして、神事すべてまでもが伝えられている。


 もし朝比奈家が総意として神事から手を引くとなったとして、羽音神社はそれを粛々と受け入れる。朝比奈家と古き神との縁を断ち切る為の護摩法要を行い、その後は羽音神社が全てを負う。


 なにも初めてのことではないのだ。



 ひとまず挨拶は終わったと言うことで応接室を後にする鈴郁。真と菱沼宮司は今年の秋祭り(そして神事)について打ち合わせるとのことだった。


 板張りの廊下にペタペタとスリッパの音が響く。ぐるりと周り社務所に戻ると、

巫女装束の更紗がおみくじを補充していた。


「更紗おかえり」


「れーちゃんもおかえり~!」巫女装束でも変わらず騒がしいである。


「おじいちゃん、残念だったね。今日はお父さんの当主襲名の話っちゃろ?」眉をハの字にして更紗がいう。


「ありがとう。そう。応接間でお父さんとおじさん秋祭りの事とか打合せしてる」


「そっか、神事の事もあるもんね」


 ……羽音神社のだから知ってる、という事……?


「ええと……」


「うん、知ってる。あたしも羽音神社の人間やもん。十八になったときに、のあることは聞いとるよ」


 産まれたときから双子の姉妹のように過ごしてきた鈴郁と更紗このふたりは、ちょっとした言い回しや仕草での意思の疎通がとても上手かった。最初はイタズラを企む時に、長じては親の目をかいくぐるのに。


 お互いに裏も表も(それこそ書いただけで渡せなかったラブレターの枚数まで)知っているからこそ、更紗が自分の知らないを把握していると、鈴郁は感じ取った。そして更紗がそれを自分に伝えようとしていることも。


「誕生日の翌日に家の秘密が降って湧いたのよね。未だにちょっと受け止め切れてない」肩をそびやかし冗談交じりの口調で鈴郁。


「そうだよねぇ。……あとでちょっと答え合わせする? 知っとった方いいコトあるかも」ちらりと社務所の奥に目をやる更紗。


「それ助かる。あとでウチ来て」手を合わせ拝む鈴郁に、更紗は鷹揚なうなずきを返した。

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