第四話 二〇XX年八月十九日~八月二十二日

朝比奈家 二〇XX年八月十九日


 朝比奈家に逗留するようになった初日から、鈴郁は書斎に入り浸っていた。“おじいちゃんの机”を我が物顔で占領し、すでに机の上は鈴郁の私物やノートパソコンが占拠していた。


 鈴郁はまずノートパソコンの電源を入れ、接続を確認する。無線LANの信号は問題なく、速さも安定しているようだった。次にビデオ会議のアプリを起動し、テストコールを試みる。画面とマイクの設定を調整しながら、鹿沼教授との接続がスムーズに行われる様準備を行う。


 部屋の中の照明を調節し、背景になる書棚や家具が落ち着いた雰囲気を持つようにセットする。その後、手に入れた書物を机の横に置き、準備完了。


「さて、先生にメールしとって、ビデオ会議の時間決めんと」

 鈴郁はつぶやきながら、メールアプリを開き、鹿沼教授へと連絡をとる。


 送ったメールの内容は、ビデオ会議の提案と、見つけた書物についての報告の意向を伝えるものだった。鈴郁は、教授の返信を待ちながら、蔵書庫で見つけた書物を再び手に取り、読み進めていった。


 少ししてから、メールの通知音が響き、鹿沼教授からの返信が届く。内容を確認し、鈴郁はほっと一息ついた。教授も興味を持っているようで、待ち合わせの時間もすぐに設定された。



 ビデオ会議の時間が近づくと、鈴郁は再度自身の姿と背景を確認し、深呼吸して、鹿沼教授をオンラインで呼び出した。


 鹿沼教授の顔が画面上に現れると、彼女はにっこりと笑顔を向けた。


「先生、この度はわざわざ遠いところお越しいただき、本当にありがとうございましたん」


 鹿沼教授は少し驚いた表情を見せながら、微笑みながら言った。


「鈴郁さん、久しぶりにあなたの博多弁を聞けて、なんだか懐かしい気分になりましたよ。大学ではあまり聞くことがないから、新鮮ですね」


 鈴郁は顔を赤らめる。


「あ、すみません。ちょっと気を抜いたもんで、つい……」


 鹿沼教授はにっこりと微笑んで、優しく言った。


「気にしないでください。むしろ、朝比奈先生にお世話になっていた頃の言葉を聞けるのは楽しいものです。それに、鈴郁さんの素の部分が見えるようで、いいと思いますよ」


「ありがとうございます。それでは、先生、見つけた書物のことを報告させていただきたいんですが……」


 鈴郁はノートパソコンのカメラを通じて、見つけた資料や書籍を一つ一つ紹介していった。


「こちらが、十二代当主の手による羽音地区の歴史に関する本です。見ると、朝比奈家はこの地域で非常に古い歴史を持ち、何世代にもわたって地域のリーダーシップを取ってきたようです。

 羽音地区での役割についても詳しく書かれており、朝比奈家が行ってきた様々な支援活動や社会貢献の記録もありました。農業の発展や地域の教育に関する取り組みなど、幅広い分野での活動が記録されています」


「さらに、この資料には羽音地区に伝わる風習や風俗に関する詳しい記述もあります。特に秋の祭りや神事は、地域の人々にとって非常に大切な行事で、毎年多くの人々が集まる一大イベントとなっています。

 これらの祭りや神事は、朝比奈家が主催するものも多く、その役割や意義についても詳しく書かれています。例えば、収穫の感謝や安全祈願、先祖の供養など、地域の人々の信仰や願いが込められているようです」


 鹿沼教授は興味深く聞き入り、「これは非常に貴重な資料ですね。羽音地区の歴史や文化、風習を知る上での重要な情報源となるでしょう。

 特に、朝比奈家とその歴史、役割に関する情報は、今後の研究に役立つこと間違いなしです」と興味深げな面持ちで言った。


 鈴郁はうれしそうに微笑みながら、「そう思っていただけると嬉しいです。これからも引き続き、蔵書庫の中で探し出せる資料や情報を集めて、報告させていただきたいと思っています」と応えた。


 二人は今後の研究活動や共同の取り組みについて、さらに詳しく話し合うこととなった。



 鹿沼教授は興奮を隠しきれない様子で、蔵書庫とその蔵書の数について報告する鈴郁の話を聞いている。


「四冊ものセットで、しかも第一冊目だけ……。それは大変興味深いですね。残りの三冊も蔵書庫にあるかもしれません」


 鈴郁はうなずく。


「はい、そう思います。この紙箱とグラシンペーパーの包装を見る限り、十二代目当主である東鉉が非常に丁寧に取り扱っていたことがわかります。それに、箱の中には二つ折りにされたグラシンペーパーが五冊分、入っています。五冊目になる追加の冊子も存在する可能性が高いです」


 鹿沼教授は目を輝かせて言った。


「この資料は羽音地区の歴史や朝比奈家の関与に関する非常に詳しい記述がある可能性があります。残りの冊子を見つけることができれば、それは大変価値のあるものとなるでしょう」


 鈴郁自身もこの発見に興奮していたことを隠せなかった。

「そうですね。明日からも蔵書庫をじっくりと調べて、必ず残りの冊子を見つけます」


 ふんすふんすと鼻息も荒い鈴郁を微笑ましく思いながら鹿沼教授は「是非お願いします」と感謝の意を表して言う。


「この資料はただの地方史にとどまらず、日本全体の歴史や文化にも影響を与えているかもしれません」


 二人は資料の重要性を共有し、続きの冊子を探すための意気込みを新たにした。



朝比奈家 二〇XX年八月二十二日


「はぁぁぁぁ……」

大きな入道雲が居座る真っ青な空を眺めながら、縁側に座り足を投げ出した鈴郁が腐海ため息をつく。


 鹿沼教授とのウェブ会議の後、蔵書庫を文字通りひっくり返すかのごとく探したが、十二代目党首による郷土資料は三冊までしか見つかっていない。一冊目である概要編、二冊目である産業編、三冊目が郷土編。四冊、もしかしたら五冊組のこの資料は、朝比奈家と羽音郡における重要な資料の一部であると想定されるため、どうしても見つけ出したかった。


 何度も蔵書庫を往復し、同じ棚を何度も調べ直したが、所在は依然不明だった。疲れを感じつつも、鈴郁は蔵書庫の外に目を向けることにした。

「もうええ、今日は一日休みにしとるけん」

 家政婦のさんに自転車を出してもらい、辺りをぐるりと回ることにした。気分転換である。



羽音郡 同日


 町を自転車で走るうち、子供の頃の記憶が次々と蘇ってきた。公園の遊具、川で遊んだ夏の日、そして祖父明彦との散歩道。しかし、町の風景は変わり、新しい建物や店が増えていた。


 明彦連れだって歩いた石畳の道もアスファルトに舗装され、小さな道祖神さまが安置されていた角には、カフェが出来ていた。しかし、そのカフェは道祖神さまの邪魔にならないよう交差点の角地が三角に残されており、新旧の文化が混じり合っているのを感じた。


 鈴郁は自転車をカフェの前に止め、店内へ。モダンで落ち着いた雰囲気の店内を見渡し、カウンターに座ると、店主がお冷やとメニューを持ってきてくれた。


「いらっしゃいませ。朝比奈先生、残念やったばい」と店主が目を伏せた。


「せっかくありがとうございます。葬儀に来ていただいたのですか?」


「朝比奈先生はばってんえらいお世話になったばい。この店開くときも土地のことやら相談させてもろたんばい」


 鈴郁は朝比奈家の者だと気づかれたことにも、ここにも祖父に恩を感じる人が居ることにも驚いた。


 ホットコーヒーを頼み、鈴郁は祖父がこの店の常連だったことを知る。窓辺の席で古びた本を熱心に読んでいたそうだ。


「私も祖父の影響で古書とか神話、伝承が好きになって、大学でもそんなん研究しとるんですよ。お葬式終わったあと、早めの夏休みってことでずっと蔵書庫にばっかり居とるん」


「ははぁ、蛙の子は蛙ばい。それなら蔵の本も読んどるんかい? 朝比奈先生はばってんよく蔵の本が多すぎて整理できんってぼやいとったけんど」


 蔵の本……?


「蔵の方はまだ手つかずばってん。蔵書庫の方も本があふれとって、手がまわらんとん」


「先生は本の虫ばってん本は多かろうもん、そりゃあふれるばい」


 店主は笑っているが、鈴郁はこれまで意識の外にあった蔵にまつわる思い出を唐突に思い出していた。




朝比奈家 鈴郁八歳の夏


 その日の日差しも厳しく、家の中に居てもその熱気が感じられるほどだった。しかし、祖父である明彦の家の縁側は木々の緑に囲まれていて、風の通りもよく比較的涼しい。鈴郁はその縁側に座り、頭上の真っ青な空に浮かぶ入道雲を眺めていた。夏の象徴とも言えるあの雲の形は、鈴郁の心を穏やかにさせていた。


「鈴郁、西瓜食べるかい?」


 その声に、鈴郁は明彦の方を見ると、彼が大きな西瓜を載せた御盆を手に持って微笑んでいた。彼女の目の前に置かれたその西瓜は、鮮やかな赤色でとても瑞々しく見えた。


 鈴郁は、その日の朝、立ち入ることを禁じられていたはずの蔵を探検してしまった。抑えきれない好奇心が彼女をそこへと駆り立てたのだ。しかし、それを知った明彦にきつく叱られた。その目は、彼女が初めて見る厳しいものだった。


「すまんな、鈴郁」


 明彦の言葉に、鈴郁は彼を見上げた。彼の顔には、先程までの厳しさの面影はなく、ただただ慈しみの眼差しだけがあった。


「蔵の中には、君にはまだ早いものがある。だから、入らないで欲しかったんだ」


 鈴郁はうなずき、少し恥ずかしそうに「わかった、もうしない」と約束した。


 二人は黙って西瓜を食べ始めた。初めての叱責の後のこの西瓜は、鈴郁にとって特別に甘く感じられた。それは、ただの西瓜の甘さだけでなく、祖父との絆の深さを感じさせる甘さでもあった。


「西瓜甘いねぇ、おじいちゃん」


 舌鼓を打つ鈴郁の朗らかな声が、夏の空に溶け込むように響いた。




羽音郡 二〇XX年八月二十二日


 カフェを出た鈴郁の自転車は、さらに羽音の町を進む。

 羽音の町は、鈴郁が思い出すよりも少し変わってたが、それでも多くの場所には彼女の子供時代の記憶が色濃く残っていた。


 町の中心部へと向かうと、昔の面影を色濃く残す古い建物や商店が点在しており、彼女は昔を思い出しながら自転車を進めた。特に昔のおもちゃ屋や書店は、外観は変わらずそのままの姿を保っており、明彦との思い出を思い起こした鈴郁の郷愁をさそった。


 狭い商店街を抜けると、彼女が小さいころよく遊んでいた公園に到着した。すでに旧式の遊具は新しいものに取り替えられていたが、その隣には昔ながらの鯉が泳ぐ池が残っている。池の脇にあるベンチに腰掛け、鈴郁は子供の頃の無邪気な日々を強く思い出した。


 蔵には、小学校の頃、一度だけ入り込んだことがある。ちょっとかび臭い空気、太い木で組まれた棚に農具や用途も思いつかないような機械が所狭しと並んでいた。直後に明彦に見つかりえらく叱られたが……。たしかに大きな蔵だし、子供がはしゃいでキョロキョロしていたのだから確証なんて無いが、気がする。


 あの時以来、記憶から消えていたのかと言うほど思い浮かべもしなかった蔵の存在が、急に、目の前に覆い尽くさんと立ち塞がった、そんな気がした。

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