4章 システム
4章1話 ダンスレッスン *
【新帝国歴1130年3月5日 アリーシャ、あるいは若葉】
「……す、すみません」
何度目だろうか、彼の足を思いっきり踏みつけたのは。私は鼻白んで、頭を下げる。
「だから、踏みましたみたいな顔しなくていい。流れが止まる方が問題だから」
眉間に皺を寄せつつも、彼はそう言うと、音楽を鳴らしていたそれを止めるために私から離れていった。
ここはランデフェルト公国の公宮の一室で、小さなダンスホールのような部屋。この公宮の中ではあまり華美ではない方の部屋で、その分床面の黒っぽい木材の艶光りが目立っている。元々ダンスの練習のために用意された部屋かもしれない。
ランデフェルト公国の公宮付きメイドにして、不慮の事故であっけなく死んだ歴史オタク女『新井若葉』の前世を持つ私、アリーシャ・ヴェーバーは、当年で19歳になる。なってしまった、というべきかもしれない。
そんな中でも、公爵のお引き立てを得ることができ、この頃は個人的なお話し相手として、何回か呼ばれることがあった。そんな中でのことだった。リヒャルト様がリンスブルック侯宮で口にされた、ダンスを教えてくれるという約束を実行に移してくれたのは。
リヒャルト・ヘルツォーク・フォン・ランデフェルト殿下。私がお仕えする主君である、若干15歳のランデフェルト公国の君主だ。プライベートな時間である今は当然正装ではなくて、もう少しシンプルな服装だったが、しかるべき教育をされた王侯貴族だけにその立ち姿の優美さは圧倒的だ。
私の方は、お馴染みのメイドのお仕着せとは少し違う。髪をかっちり結い上げる必要はなくて、落ちてこない程度にまとめつつ毛先を下ろしている。それから、胸当てのついた、青みがかった緑のロングスカート。私としてはお気に入りの服だけど、リヒャルト様の貴族然とした様子と比べると明らかに見劣りするし、いかにも私は平民です、って自己紹介しているように見えないこともないと思う。
それでも、こういう格好を選ぶのには訳がある。可憐なクラシックメイドスタイル、あれは実は、記号の表象なのだから。人間ではなくて、主人の所有物である宮殿の一部です、そういう自己紹介だった。私の今まではそんな定義と真っ向から対立していたし、リヒャルト様だって私を人間扱いしてくれていたけど。とにかく今の格好は、あくまでメイドという枠で主人の傍に存在していなくてもいい私の自己紹介だ。
しかし問題があった。私は、ダンスが下手だったのだ。それも、絶望的に。
「……すみません」
「…………」
改めて私は謝罪を口にする。何がだ、と言いたげな表情で、リヒャルト様はこちらを向く。相手の話をあまり遮らないで、言いたいことを言わせてくれるのはリヒャルト様のいい所ではあるけど、言葉が少なすぎるという特徴でもある。
「……せっかくお話し相手として呼ばれているのに、ご迷惑ばかりおかけして」
そもそも、お話し相手として呼ばれていること自体、私の我儘のようなものと言っても良かった。興味を引く話を披露するどころか、多忙な君主の時間を無駄にして足を引っ張っているのだから世話はない。
「迷惑だと思っていたら、わざわざこんなことしない」
リヒャルト様は撥ねつけるような言い方だ。喋り方と言っている内容が矛盾していないこともない、とか思ってしまう。優しい時も厳しい時も、基本的にリヒャルト様は喋り方が冷たい。それでも、私にダンスのレッスンを付けてくれると提案したのはリヒャルト様の方だった。
でもリヒャルト様が続けた、その後の言葉が問題だった。
「……それに、結構面白いぞ。お前のその、かかしが踊っているような動きを見ているのは」
それはちょっと意地悪そうな、なんとも楽しそうな笑顔。
(…………くっ)
私は拳を握り、目を閉じる。赤面しているのか血の気が引いてるのか分からない。そう、分かっていたことでもある。私に優雅な趣味は似合わないと。
(……出過ぎた、真似でした)
それだけ心の中で呟いて、踵を返そうとする。
「……悪い」
私は手首を掴まれる。
「嘘だ。悪かった」
「……これだから、高貴な方々って! 本当、デリカシーないですよね! エックハルト様と言い、あなたと言い!」
「あいつと一緒にされるのは心外だが。……いや、違う。本当に悪かった。自分の我儘で付き合ってもらっているのに」
主君にここまで言われたら、私は流石に矛を下ろすしかなかった。
「それに、初めてにしては筋は悪くない。さっきのは冗談だ、あくまでも」
「本当に? それこそ嘘ついてません?」
「嘘はついていない。意地悪したくなっただけだ、悪い癖だな。そうでもないと、お前には絶対に勝てないから」
え、と私は顔を上げる。リヒャルト様が指し示す先には、一抱えほどの大きさの機械があった。
「こんなもの、誰も提案できないだろう。他の誰にも」
蝋管式蓄音器。レコード、この世界の人に伝えるためには、正式名称であるフォノグラフ・レコードと呼んだ方がいいかもしれない。音による空気の振動を針の振動として記録し、再生することのできる機械だ。
リヒャルト様のお召しがなかった何ヶ月かの間、私はただ遊んでいるとか、メイドの仕事だけに勤しんでいたわけではなかった。せっかく掴んだコネを不意にするのは処世術として望ましくない。例によって私は、弟のヨハンを巻き込んで、前世のおぼろげな記憶を頼りに、試行錯誤を重ねた末に蝋管式蓄音器を作成していた。それを最近になってやっと、リヒャルト様に献上することができたのだった。
蝋管式蓄音器は、元の世界では発明王エジソンによって十九世紀末に発明された機械で、蝋で覆われた円筒を回転させ、集音器で集めた空気の振動をそのまま表面の凹凸に落とし込む。というと難しそうだが、動作原理はかなり単純だ。前世では子供の頃に工作として、蝋管を蝋引きした紙コップで代用し、電動モーターの回転をベルトで紙コップに伝える形の蝋管式蓄音器を作ったことがあったくらいだ。蓄音器の画期性はひとえに、音の性質を科学的に理解し、その機構に落とし込んだところにある。
この蝋管式蓄音器の製作で私たちは、オルゴールの制動機構によって、一定の速度で記録、再生ができるように工夫をしていた。それで今日は、他には誰もいない部屋で、音楽をかけることができていたのだ。
と言っても、良い音が流れてくるわけではない。蝋管式蓄音器は雑音が多く、劣化も早い。単純に音楽を聞く目的なら、オルゴールの方が良いだろう。それでもリヒャルト様はこの機械がお気に召したようだった。金属製の鍵盤を突起が弾いて鳴るオルゴールの機械的な音色ではなくて、聞いている音そのものが再生できる、ということが重要だったようだ。それで四人編成の弦楽団にワルツを記録させていたので、このダンスレッスンではそれをBGMにしていた。
「……私は、『知っている』だけですよ? ……発明したのではなくて」
躊躇いつつ私は口に出す。私の『前世』の話、そこで知識を得ていたということをリヒャルト様はご存知だけど、自分のオリジナルでないことをこの場で主張するのは、主君の覚えをめでたくする目的には相応しくないかもしれない。
だとしても、リヒャルト様の私への個人的評価がこの蓄音器によって決まっているのだとすれば、それはいくらなんでもおこがましいというものだ。巨人の肩に乗っているだけの分際で手柄が全て我が物みたいな顔をするのは、若葉の歴史オタクとしてのプライドが逆に許さなかった。
「そこまで期待してるわけじゃない……違う。言い方に気をつけた方がいいな、私は。とにかく、そういうことじゃない」
一度頭を振ってから、リヒャルト様は再び口を開く。
「……とにかく、今の本題じゃない。どうして踊れないのか、それが議題だ」
議題、というような言い方をリヒャルト様はする。賢いような、堅苦しいような。それでも、リヒャルト様らしい言い回しだった。
「途中から急にグダグダになるのは、ステップを踏むことと、ワルツの拍に合わせることと、その他諸々を一度にやろうとして混乱しているからだろう。一度に全部解決しようとするより、少しずつ解決した方がいい」
そうして、リヒャルト様は再び、私の手を取り、姿勢を変える。
「だから、音楽はやめだ、今は。拍が少し遅れたところで大した問題じゃない。足を踏み出す順番とターンを体で覚えることが先決だな。リードとの息の合わせ方や姿勢の保持も後回しでいい」
「…………」
私も姿勢を取ろうとするが、つい、視線を下げてしまう。いくら状況が状況とは言え、主君にベタベタ触れていいわけじゃない。体が触れないギリギリの体勢でダンスらしきポーズをとるのは案外難しい。
「硬くならないで。別に、気にしていないから」
私たちは何十回目かのワルツのステップを踏む。今度は音楽はなくて、リヒャルト様が声で打つ拍だけだ。
「……1、……2、……3、……1、……2、……3、ほら、できた」
そんな気恥ずかしいような、でも平和な、束の間の休息の日を私たちは過ごしていた。だけど、嵐の予感はすぐ、そこまで迫っていた。
ヴォルハイム同盟の中心となる『七人委員会』、その開催が迫っていた。ランデフェルト公国は、君主リヒャルト以下、使節団を派遣する義務がある。ヴォルハイム大公国への出立まで残り二週間もない。
さらに、今回は単なる会議ではなかった。ヴォルハイム大公マクシミリアンの要請により、今回の招聘には小規模ながら、兵力を準備して臨まなければならない。それも、『災厄』特化の戦闘部隊を、とのことだった。つまり災厄を相手に、何らかの軍事作戦が行われることは確実なようだった。
【????年??月??日 システム ループ12578】
レベル1の介入事象を検知。
介入者PTT12578-AD1604-DE001369。
PTT監視ポリシーに従い、この介入は許容される。
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