第29話 悪役令嬢現る
<前回のあらすじ>
冬の日曜日朝、
だがそれを見咎めた母から、お使いを頼まれてしまう。
お使いの内容はくさむら農家に行き、野菜を買ってくること。
とある理由から一人でお使いに行こうとする幸喜だったが、千鶴の熱意に押され二人で行く事に。
そしてくさむら農家で待っていたのは、悪役令嬢を自称する
1
「では、わたくしはお茶を入れてまいります。
それまでゆっくりと暖まって下さい」
緑子は礼をしてから、部屋から出ていく。
俺たちは今、くさむら農家の待合室にいた。
緑子に、野菜の準備に時間がかかるからと、ここに案内されたのである。
母から連絡が来ていたようで、
外は寒く、あのままだと冗談抜きで氷つけになりそうだったので、ありがたいことこの上ない。
俺はかじかんだ手をほぐそうと、ストーブの前に手を出す。
千鶴も同じように、その小さなな手をストーブの前で広げていた。
動くことを確かめるようにグーパーしている様子に、俺の胸は少しだけ高鳴る。
思い返せば、千鶴の手をこんなにまじまじ見たのは初めてかもしれない。
この小さな手はいつも俺の手を力強く握っており、こうして目の前にあるというのは珍しい。
それが、こうして目の前にあると言うのは、少し不思議な感覚だ。
「どうしましたか?」
見られている事に気づいたのか、千鶴は不思議そうな顔で俺を見ていた。
「あー、えっと、ここも変わらないなと思って……」
「幸喜さんはここに来たことあるのですか?」
千鶴の手を見ていたことを知られたくなくて、咄嗟に嘘をつく。
我ながら強引だとは思ったが、千鶴は特に疑う様子もなく話に乗って来た。
「ああ、母さんの荷物持ちでよく連れてこられた。
でも野菜を買い来ただけだって言うのに、お喋りを始めるんだ。
その間ここで待たされた」
「そうなんですね」
俺は部屋の中を見渡す。
待合室と言うだけあって、暇を潰せるようなものがたくさんある。
くつろぐためのソファーを始めとして、トランプ、将棋盤、少し前に流行ったアニメのDVD、一昔前のゲーム機……
子供にとっては少し物足りないのだが、これでなんとか時間を潰していた。
今思い返せば楽しい思い出だ。
「ここに置いてあるもので、よく緑子と遊んだよ。
あいつの親も、母さんと話していて暇を持て余していたからな」
「緑子さんって、さっきの人、ですよね」
一気に千鶴の表情が曇る。
『なんで急に?』と思ったが、考えてみれば千鶴は(今のところ)俺の婚約者だ。
他の女の子と仲良く遊んでいるのが嫌なのかもしれない。
「あの人、なんであんな格好しているんですか?」
嫉妬じゃなかった。
当然と言えば当然の疑問。
恐らく緑子を見た人間が、真っ先に抱くであろう感想だ。
自分の自意識過剰が恥ずかしい。
緑子は、自らを『悪役令嬢』と名乗り、役になり切るため普段からコスプレをしている。
アニメに出てくるような中世ヨーロッパ(ナーロッパと言うべきか?)の貴族のコスプレだ。
服は気に入った物が無かったからと、自分で作ったと言っていた。
また雰囲気を出すために、金髪のウイッグをかぶっている。
礼儀作法も、特訓して身に着けた徹底ぶり。
それら全てに身を包んだ緑子は、どこに出しても恥ずかしくない貴族令嬢である。
正直やり込みすぎだと思うのだが、他人に迷惑を掛けなければ本人の自由だ。
日本では表現の自由が保障されている。
この事を数年後に思い出して悶えないことを、ただ祈るばかりである。
「どうかしましたか?」
「……なんでもない。
それで、緑子があの格好をしている理由だけど――」
俺が千鶴に説明しようとしたまさにその時、部屋の扉が大きく開かれる緑子の元気のいい声が部屋に響き渡る。
「それはわたくしがお答えしましょう!」
振り向けば、いつの間にか部屋の入り口には、緑子が立っていた。
2
「火傷にご注意ください」
「ありがとう」
俺たちはストーブから離れて、ソファーに腰を下ろし、緑子がもって来た暖かいお茶を貰う。
湯気がよくったたお茶を飲むと、体が芯から暖められ、生き返った気分になる。
寒いときは、熱いお茶に限る。
緑子は、俺たちがお茶を飲むのを待ってから、コホンと咳払いをした。
「では改めまして……
寒い中をようこそおいで下さいました。
くさむら農家へようこそ
お二人を歓迎しますわ!」
元気よく、歓迎の意を示す緑子。
部屋の中にも関わらず大声で叫ぶのは、まあまあうるさい。
けれど思ったよりも不快ではないのは、ボイストレーニングの成果なのだろうか?
「幸喜様もお元気そうで何より!」
「……ああ、緑子も元気そうで良かったよ」
2週間前に会ったばかりだというのに、長い間会っていないかのような口ぶりだ。
だがこの大げさな口ぶりは、今に始まったことではないので、適当に流す。
緑子の方も、特に意味があって言っているわけではないから、気にするだけ無駄だ
大げさと言えば、緑子は俺の事を『様』付けで呼ぶ。
これに関しては未だに慣れない。
キャラ付けの一環でそう呼んでいるらしいのだが、かなりむず痒い。
これに関しては迷惑なので、何度も注意しているのだが全く聞いてくれない。
「そして!
そちらにいらっしゃる方が、婚約者の千鶴様ですね!」
俺の隣に座っていた千鶴は、急に名指しされビクッと体を震わせる。
すまんな千鶴、コイツの声うるさくて。
緑子は悪い奴ではないのだが、役に入り込んでいるのか、やたらうるさい。
まあ、慣れてくれ。
「自己紹介をさせていただきます。
わたくしの名前は草村 緑子。
どうぞ、気軽に
「ち、千鶴です」
緑子の自己紹介に対し、簡潔に返す千鶴。
いつもの元気はどこへやら、千鶴はまるで借りてきた猫の様に怯えている。
婚約者アピールもない。
緑子の異常なテンションに戸惑っているのが分かる
ヤツに対する距離感がいまいち分からないのだろう。
気持ちはわかる。
俺も未だに分からん。
一方、緑子の方はといえば、怯えられることに慣れているのか少しも気にした様子がない。
……いや怯えられることに慣れるなよ。
そして緑子は笑顔のまま、言葉を続ける。
「では千鶴さまが先程聞かれました質問にお答えしましょう!
あれは2年前の事です。
わたくしの両親は、いつも忙しく――」
「半年くらい前に、あるアニメに嵌まってな。
それに出てくる悪役令嬢にベタぼれして、それからコスプレするようになった」
「言わないでよ、コウ兄!」
緑子を待たず俺が簡潔に説明すると、遮られると思わなかったのか、緑子は素が出ていた。
半年程度のキャラ付けゆえ、コイツのキャラ付けはすぐ剥がれる。
「特に千鶴は簡単に信じるんだ。
あんまりからかうな」
「からかってないもん……
コホン、からかうとは人聞きの悪い……
まあ、いいでしょう。
そこは本題ではありませんから」
気を取り直した緑子は、千鶴に目線をやる。
「千鶴様、悪役令嬢がどういったものかご存じでしょうか?」
「あ、はい。
幸喜さんから漫画を貸してもらったので、知っています」
千鶴は頷く。
『悪役令嬢』。
いろいろ定義はあるが、簡単に言えば主人公の恋路の邪魔をするお邪魔キャラである。
あらゆる手段で二人の邪魔をするのだが、それにもめげず二人は結ばれる。
そして、最期には悪役にふさわしい悲惨な目に会うのがお約束。
それが悪役令嬢なのだ。
なのだが、たくさんの作家の創意工夫によって、数多のパターンがある。
悲劇を回避したり、主人公をくっつけたり、逆にくっついたり……
まあ、色々である。
「それでは話が早いですわ。
私は悪役令嬢で、千鶴様は幸喜様の婚約者……
これが何を意味するか、お分かりですか?」
千鶴は『どういう意味?』と俺に目線で聞いてくる。
俺も分からなかったので頭を振るが、どうにも悪い予感しかしなかった
「ではご説明しましょう。
悪役令嬢は二人の恋路の邪魔をするもの。
千鶴さん、あなたと幸喜さんの仲、引き裂かせていただきます」
「ええ!?」
千鶴が勢いよくソファーから飛び上がる。
今日の緑子が、いつもより生き生きしていたのはこういうことか……
俺が納得していると、千鶴はこんな所にいられないとばかりに、俺の左腕を引っ張る。
「大変です。
ここから早く逃げましょう。
この人は悪い人です!」
「大丈夫だって。
害はないから、適当にいなせばいいよ」
興奮する千鶴をなだめる。
悪役に対して、害はないというのも変だが、とにかく大したことはしてこないだろう、多分。
「幸喜様の言う通り。
私がどんなに妨害をしようとも、二人は愛を深め、そして結ばれるのですわ。
あ、結婚式には読んでくださいね」
「邪魔するのに、呼ばれる気なんですか!?」
「それが悪役令嬢ですから」
「絶対に違ます!」
不機嫌さを隠そうとしない千鶴とは対照的に、緑子はご機嫌に笑う。
こいつ、やっぱり意味わかんねえな。
「ではさっそくお邪魔するとしましょう。
幸喜様、隣に座っても?」
「ダメです!」
千鶴が、俺を緑子から遠ざけるように、俺の左腕を引っ張る。
「別にいいでしょう?
減るものでも無いですし」
だが緑子が反対側から、俺の右腕を引っ張る。
両手に花、まさに誰もがうらやむシチュエーション。
しかも二人の女の子から取り合われる。
俺も、そんなシチュエーションを妄想したものだ。
経緯は変だが、この夢にまで見たシチュエーションに少しだけ胸が高鳴る。
だが――
「幸喜さんに近づかないでください!」
「腕を組むくらい、普通のスキンシップですわ!」
「ダメなものはダメ!」
「痛い痛い痛い!」
二人が力いっぱい引っ張るので、腕がめちゃくちゃ痛い。
比喩で『腕がもげそう』と言うのがあるけど、今の俺の状況がまさにそれ。
本当に腕がもげそう。
「お前ら、引っ張るのをやめろ!」
「緑子さんが引っ張るのを止めたら止めます」
「奇遇ですわね。
わたくしも、千鶴が様が引っ張るのを止めたら止めますわ」
「真似しないでください!」
両者の言い分は平行線。
話し合いの解決は無理。
俺は、最後の手段として力づくで振りほどこうとするが、二人は俺の腕をガッチリ掴んで放さない。
これ以上やると、二人を怪我をさせてしまう。
俺は諦めて、この場をやり過ごすことに決める。
騒ぐ二人をよそに考えるのは野菜の事。
そう言えば、野菜の準備ってどれくらいかかるのだろうか?
俺は現実逃避をしながら、嵐が過ぎ去るのを待つのだった。
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