第23話 一人の時間

<前回のあらすじ>

 千鶴ちづるは部活で、幸喜こうきの婚約者の座を巡り、金田かねだに(一方的に)勝負を挑む。

 だが勝負を挑んだものの、金田の経験に圧倒的な差を付けられ、勝敗は明白だった。


 もちろん金田は勝負に興味はなく、負けても婚約者の座を奪われることは無い。

 しかし千鶴は意地から、勝負に勝つことを目指す。

 千鶴は悩んだ末に、マネージャーの本を買って勉強することにしたのだった。



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 今日は土曜日、学校は休み。

 野球部の活動も熱心なものではなく、休日返上で練習することはない。

 ただではあるので、野球部の活動が活発になってきたら部活を辞めることも視野に入れている。

 もともと人数合わせで入っただけなので、そこまで付き合う義理は無い。

 けれど絶対にスムーズに辞められないだろうという謎の確信はある。

 なにか対策を立てておかないと……


 それはともかく、俺は休日と言うことで、部屋で一人の時間を満喫していた。

 そう、珍しい事に久しぶりに、今俺は一人きりである。

 寝る時と風呂の時以外は、くっつこうとする千鶴がいないのだ。

 自分の部屋があると言うのに、ずっと俺の部屋にいようとする千鶴がである。


 夢にまで見た一人の時間。

 大げさかもしれないが、俺にとっては待ちわびた時間だ。

 ずっと千鶴が一緒にいるので、なかなか自分のやりたい事が出来ないのだ。

 別に一緒にいることは嫌じゃない。

 だけどずっと一緒いると、息苦しさがあるのも本音。

 俺は一人でいるのが好きなタイプなのだ。


 たしかに可愛い彼女が欲しいとは思った。

 くっ付いたり、手を繋ぎたいともとも思った。

 なんかこう、イチャイチャしたいとも思った。

 それは認めよう。


 だけど、プライベートの時間が無くなるのは考えもしなかった。

 世のカップルたちは、どうしているんだろうか?

 知り合いに恋人がいるヤツがいないので、相談ができない。


 いろいろ問題は山積みだが、今俺は一人でいると言うのは事実。

 千鶴には悪いが、これを機会に羽を伸ばすことにしよう。


 そして千鶴は今何をしているのか?

 話は俺は今日の朝にさかのぼる。



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 休日の朝の穏やかな時間の中、味噌汁をすすりながら今日の予定について考えていた。

 今日は部屋で一人きりで過ごしたい。

 プライベートの時間が欲しい。

 だけどどうやって切り出したものか。

 千鶴の事だから、きっと一緒にどこか行きたいと言うと思う。

 好きなだけ怪獣映画を見て良いって言うか?

 いや『ぜひ一緒に』と言われるのがオチだな。

 なにか他にアイディアは……


 どうしたものかと悩んでいると、千鶴の方から話題に出してきた。

「幸喜さん、今日は自分の部屋で一人きりにしてもらってもいいですか?」

 予想もしなかった千鶴の言葉に、一瞬耳を疑う。

 馬鹿な。

 風呂と寝るとき以外は、いつもくっ付こうとする千鶴が、自分から一人になりたいと言うなんて!

 何かあったに違いない。


「千鶴、どこか調子が悪いのか?」

「……なんでそうなるんですか?」

「そうでもなければ、千鶴はそんな事言わないだろ」

「幸喜さん、それはさすがに失礼では?」

 千鶴はジト目でこちらを見る。

 『ジト目の千鶴もかわいい』と思ったのは内緒。


「今日は昨日買った本を読もうと思いまして」

「ああ」

 そういえば昨日買ったな。

 タイトルは確か『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』。

 千鶴がマネージャーとしてレベルアップするために買ったものだ。

 もっとも中身は小説だが……

 何はともあれ、体調不良でないならそれでいい。


「分かった。俺も部屋にいることにするよ」

「……幸喜さん、別に私の部屋に来てもらってもいいんですよ?

 逆に幸喜さんの部屋に行きましょうか?」

「自分で一人きりにって言ったじゃないか」

「そうですけど……」

 千鶴は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 やっぱり隙あれば一緒にいようとするな……

「読書は基本的に一人でするものだよ」

「……分かりました」

 ものすごい不満そう。

 

 そんなことを話している間に朝食を食べ終えたので、食器を片づけてからそれぞれの自室に向かう。

「じゃあ、私は本を読むので、覗いてはいけませんよ」

 千鶴はそう言って部屋に入った。

 俺が扉の前から立ち去ろうとすると、千鶴が部屋の扉を少し開けた。

「何があっても決して、覗いてははいけませんからね」

 意図の分からない発言に『どういう意味だ?』と聞こうとするが、すぐに千鶴は扉を閉める。


 千鶴の行動がよく分からないのは今に始まったことじゃないので、気にしないことにする。

 覚えていたら昼飯の時にでも聞こう。

 ただ、どこかで聞いたことあるセリフだけど微妙に思い出せない。

 思い出せそうで思い出せないもどかしさを感じながら、自分の部屋のドアノブに手をかける。


 ああそういえばツルの恩返しでそう言うのあったなと思い出す。

 多分、特に意味のない発言だろうけど、そういうの判断困るからやめて欲しい。


 

          3


 そして時間は戻り、今俺は漫画を読んでいる。

 千鶴が来る前、中古本のまとめ売りで安く買ったもの。

 買ってから一巻だけしか読んでいないけど、面白かったので一人で漫画を読めるこの瞬間を待っていた。

 

 といっても千鶴が来てから漫画を読ま読まなかったわけじゃない。

 むしろ、千鶴と一緒に漫画を読んでいたくらいだ。


 じゃあ、なぜこの漫画を一巻しか読んでないかと言うと、千鶴がいると読むのがためらわれたから。

 たまにあるジャンルは少年漫画だけれど、ちょっとHな漫画。

 さすがにそんなものを女の子の前で読む度胸は無い。


 だが今千鶴はいない。

 つまり気兼ねなく、この漫画を読めるという事。

 やったね。


 ……なんか自分のテンションが若干おかしい気がする。

 やっぱりストレスなのだろうか?

 これからも積極的に一人の時間を作ろう。


 ともかく漫画の読み進める。

 二巻からも面白さは損なわれず、それどころかパワーアップしている。

 すごいな、この漫画。

 まだ底を見せる様子はない。


 あっという間に、二冊目、三冊目と読み進める。

 そして四巻まで読んで、ふうと息をつく。

 まだ残りはあるけど、一旦小休止だ。

 やはり漫画は良い

 これにまでない充足感に包まれている。

 だけど何かが足りない。

 漫画に不満じゃなく、自分に何かが足りない、そんな感覚。


 その感覚の正体を探るべく部屋を見渡すと、大きなクマのぬいぐるみが目に留まる。

 小さいころ両親が誕生日プレゼントにくれたものだ。

 昔は一緒に寝たものだが、今はさすがに寝たりはしない。

 俺は何となくクマのぬいぐるみを手に取って、膝の上に置く。

 膝の上に置くと大変おさまりがいい。

 かつて自分より大きかったぬいぐるみだが、いつの間か俺のほうが大きくなったようだ。

 どこか感慨深い。

 久しぶりにぬいぐるみを抱きしめたからか、俺の感じていた物足りなさはきれいさっぱり消えたのだった。






 いやこれだわ、物足りなさの正体。

 クマのぬいぐるみ――じゃなくて千鶴。


 千鶴が『膝の上に座る』と言うことを覚えてから、隙あらば膝に座るようになった。

 あまりにも当たり前の様に座るから、俺の方も膝の上に千鶴がいるのが当たり前になってしまったようだ。

 千鶴が膝の上にいることが、もはや日常となってしまっている。

 その結論に呆れつつも、でも不思議とあまり嫌じゃない。


 どうやら自分は、千鶴と一緒にいることも悪くないと思っているらしい。

 もちろん今でも一人でいることは好きだ。

 最初の頃は、くっつかれるのを思っていた。

 けれど人間は慣れるもので、いつの間にかそんな事思わなくなっていた。

 今では千鶴と一緒にいるのは楽しい。

 千鶴にいったら調子乗るから言わないけれど。


 長いようで短い一週間。

 だけど俺が思っている以上に、千鶴は『俺の日常』に深く入り込んでいるようだった。

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