第16話 忘れたころにやってくる

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 俺と千鶴ちづるはリビングで朝食を食べていた。

 俺も千鶴も、昨夜はちゃんと寝れたので、体調は万全である。


 身支度を終え、家を出て学校に向かう。

 当然のように手を繋いで、登校する。

 もはや、俺のほうが握っていないと落ち着かない。


 学校に行くと、何人かのクラスメイトが千鶴に話しかけてくる。

 心配していたようだが、元気そうな様子を見て安心していた。

 ただの寝不足だしな。

 予想通り日高ひだかは、からかってきたが……。


 そういった事を除けば平和な一日だった。

 何事もなく、一日は過ぎる。

 だが俺は重大なことを忘れていた。



           2


「じゃあな、バンジョー。また明日、千鶴ちゃん」

「ハカセさん、さようなら」

「おう、ハカセ。寄り道せずにまっすぐ帰れよ」

「お前はオレの母さんか」

幸喜こうきさんは優しいです」

「……千鶴ちゃんも何言ってんの」

 中身のない会話もそこそこに、ハカセは教室を出ていく。


「じゃあ、オレたちも帰るか」

「はい」

 千鶴と手を繋いで歩こうとすると、ハカセがこちらに戻ってくるのが見えた。


「ハカセ、忘れ物か?」

「……忘れてたのはオレじゃなくてお前の方だよ」

 何か忘れていたことあったか?

 宿題は出てないし、忘れ物なんてあったか。


 ハカセはため息をつきながら、教室の出口を指さす。

 不思議に思いながら見ると、一人のよく見知った男子生徒が立っていた。

 部活の部長、カイだった。

 完全に忘れてた。


「お前、連絡するの忘れてただろ」

「……ああ完全に忘れてた。どうするかな」

 俺たちの会話を不思議そうに聞いている千鶴。


「お知り合いですか?」

 千鶴が聞いてくる。

 そういえば、千鶴はカイと会ったことが無かったな。

「……部活の、野球部の部長だ」

 

「では挨拶しないといけませんね」

 気が重い俺とは対照的に、千鶴はなぜかウキウキしていた。

「そんな恋人の親に挨拶みたいなノリやめてくれる?」

「普段お世話になっているのでは?」

「世話してるのは俺だ」

「どういう意味ですか?」

「さみしがり屋なんだよ、あの人」

「コウくん」

 いきなり声をかけられ、体が少し跳ねる。

 振り返るとカイがいた。



           3


「君が部活に来ないから、迎えに来たよ。

 もしかしたら、部活のこと忘れてるんじゃないかと思って」

 カイから失礼なことを言われるが、言い返せない。

 すいません、忘れてました。


「じゃあ、バンジョー。俺は帰るよ。寄り道しちゃだめだしな」

 ハカセは止める間もなく、教室から逃げるように出ていった。

 あいつはこの人のことが苦手なのだ。


 カイは千鶴の存在に気づいて、そちらを向く。

「えっと、君がコウくんの、婚約者の千鶴、さん、でいいんだよね」

「はい、そうです」

「僕の名前は、万丈ばんじょう 海斗かいとです」

 カイは礼儀正しくお辞儀する。


「ばんじょう?」

 千鶴が不思議そうに首をかしげるので答えてやる。

「俺の従兄いとこだ。一つ上の学年だよ」

「なるほど。

 初めまして。私は万丈 千鶴です。

 幸喜さんの婚約者です」

「こちらこそ、話は聞いてます」

「いえいえ、こちらから挨拶に行かず失礼なことを」

「いえいえ」

「話が進まないから、その辺で打ち切ってくれ」

 終わりそうにないから、強引に流れを断ち切る。

 二人とも妙に真面目なんだよな。


「コウ君、今日は部活出るよね?」

 カイが今一番聞かれたくないことを聞いてくる。

「今日用事があって、帰らなきゃダメなんだ」

「用事って?」

 とっさの言い訳に、カイが追及してくる。

 なにか用事を作り出さなくては。


「えっと、料理を作らないといけないんだ。

 ウチ、両親が出張でいないの知ってるだろ」

「幸喜さん、昨日作り置きを作ってましたよね」

 千鶴め、余計なことを。


「……コウ君、部活にそんなに出たくないの?」

「前にも言ったろ。出たくない」

 カイの問いに即答する。

 そう俺は部活に出たくない。

 マジで。


「幸喜さん。なぜ出たくないんですか」

 当然の疑問だ。

 普通、部活に出たくないということを、真正面から正直に言うことは無い。

 でも、ちゃんと理由がある。


「俺が出ても、キャッチボールしかできないからだよ。

 他の部員は、名義だけの幽霊部員だから出てくるのが二人しかいないんだ。

 何が悲しくて、毎日男二人でキャッチボールをしないといけないんだ」

 皆が気を使って、話題にしないくらいだぞ。


「コウ君が来ないとキャッチボールすら出来ないんだよ。

 ちゃんと来てくれよ」

「部員勧誘して、そっちで何とかしてくれ」

「それができたら、やってるよ。知ってるだろ、僕話すの苦手なんだよ」

 知ってる。

 付き合い長いもん。


 だが、このままでは堂々巡りだ。

 ここまで来られた時点で、最終的に俺が折れることになるのだろう。

 カイはなかなか粘り強い。

 こういう場合、いつも俺が負けるのだ。


 経験上これは長くなるから、千鶴に先に帰ってもらうか?

 でも、多分帰らないし、帰っても不安の種が増えるだけ。

 だが、ほかならぬ千鶴の一言で事態は動いた。


「幸喜さんは野球が嫌いなのですか?」

「え?ああ。別に。可もなく不可もなく」

「あの、良ければですが、私、野球やってみたいです」

「へ?」

 千鶴の言葉に虚を突かれる。


「本当かい?」

 俺が何かを言う前に、カイが歓喜の声を上げる。

「じゃあ、ここに名前書いてね」

 どこに持っていたのか、カイは入部届を出す。


「ちょっと待て。なんで今の流れで、千鶴が入部するんだ」

「私、マネージャーになって、幸喜さんと一緒に甲子園を目指します。

 幸喜さん、こういうの好きですよね」

「好きだと思うよ。この前貸した野球漫画気に入ってたしね」

 カイが俺の代わりに答える。

 コイツ、野球のことになると、饒舌になるんだよな。


「書きました」

「ありがとう。じゃあ僕は先生に渡してくるから。

 先に部室で待っててねー」

 そう言いながら、カイは教室を出ていった。

 俺は二重の意味で置いてけぼりをくらう。


「千鶴、いいのか?」

 一番聞きたいことを聞く。

「私は野球やりたいです。幸喜さんは嫌なんですか?」

 千鶴は表情を曇らせる。

「さっきも言った通り、可もなく不可もなくだよ。

 たまにやる分には不満はない」

「よかったです」

 千鶴は安心したようで、いつものように笑う。


 かと思えば、千鶴は俺の手を力強く握った。

「幸喜さん、一緒に頑張りましょう」

 なんか千鶴のスイッチが入った。

 別に頑張るなんて、一言も言ってないんだが。


 よく見れば、千鶴の目の奥には炎が灯っている。

 お前そんなキャラだっけ?

 初めて見る千鶴の様子に戸惑う。

 なにこれ。


「甲子園、行きましょうね」

「行かないって。

 そもそも部員がいないから無理。

 無理だからな」

 しかし俺の言葉を気にした様子もなく、鼻息を荒くする千鶴なのであった。

 

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