第13話 寝不足の朝

           1


 洗面所で顔を洗うと、寝ぼけていた頭が少しすっきりした。

 今もまだ眠気は強いが、これくらいなら大丈夫だろう。

 昨晩は、自分の醜態を思い出して眠れなかった。

 正直この状態で学校に行くのはつらいが、行かないとあらぬ噂をされるだろう。

 主に日高ひだかに…。


 しかし不幸中の幸いというか、今朝の料理当番は俺ではなく千鶴ちづるである。

 こんな状態で料理なんてしたくない。

 今までも、親が出張でおらず自分一人ということがあったが、こういう時千鶴がいてよかったと本当に思う。

 鏡を見て寝癖を直してから、リビングに向かう。


 だがリビングに行っても、朝ご飯を用意しているはずの千鶴はいなかった。

 いつもは当番でなくても早く起きてくるのだが、今日は千鶴は寝坊したようだった。

 驚いたが、たまにはこういうこともあるだろう。

 台所へ行き、当番が寝坊した時用の冷凍食品を取り出す。

 俺は二人分の冷凍食品をレンジに入れてから、温めている間、千鶴を起こしに部屋に向かう。



           2


 千鶴の部屋の前まで行き、ドアをノックするが反応はなかった。

 もう一度ノックするが、やはり反応が無い。

「千鶴、開けるぞ」

 ドアを開けて中を見ると、やはり千鶴は布団で寝ていた。


 入って来た俺に気づいて、俺のほうに顔を向ける。

「…幸喜こうきさん。おはようございます…」

 だが、千鶴の挨拶には元気が無く、ちょっと心配になる。

「おはよう。千鶴、大丈夫か?」

「大丈夫、です」

 俺の質問に千鶴は力なく答える。

 様子がおかしい。


「千鶴、入るぞ」

 そういって部屋に入り、千鶴の近くまで行く。

 遠くからは分からなかったが、千鶴は明らかに元気がなく、目も充血している。

 千鶴は布団の中から出ないまま、ゆっくりと焦点の合わない目でこちらを見る。


 自分の体が冷えていく気がした。

 今まで、こんな千鶴は見たことが無かった。

 ただの体調不良かもしれない。

 だが千鶴は元々は人間ではなく、付喪神だ。

 なにか予想だにしない事が起こっているのかも知れない。

 考えれば考えるほど、頭の中の考えがまとまらなくなくっていく。


「どこか悪いのか?」

 そう聞いても、千鶴は何か言いづらそうにしている。

 何か言い辛い事があるのだろうか?

 頭の中に悪い想像が駆け巡る。


 起こっている事も、何をすればいいのかも分からない。

 何もできない自分に悔しいと思ったのは初めてだった。

 それでも何かできないかと、考えるが何も思いつかない。

 俺に千鶴を助けてやることは無理なのだろうか?


 そう思った時、ハカセの言葉が思い出された。

―できないことを無理するより、できる人に相談するのが仕事のコツだよ

 一気に頭の中がクリアになる。

 そうだ、自分ができないのなら他の人に頼ろう。

 母ならなんとか出来るかもしれない。


 スマホはリビングに置いたままだな。

 立ち上がろうとすると、足になにか当たたので視線を向ける。

 それを見て、一瞬自分の目を疑う。

 それは怪獣映画のケースだった。


「千鶴?」

 頭が急速に冷めていく。

「えっと、その、すみません」

 俺は何も言わずに、千鶴の言葉を待つ。

「えっと、昨日眠れなくて、その、眠くなるまで映画を見ようと思って、でも眠れなくって、その」

「はあー」

 俺は安心して体に力が抜け、壁にもたれかかる。

 ただの寝不足だった。


 正直、こいつの怪獣好きを甘く見ていた。

 夜こっそり見るとか子供かよ。


「千鶴」

「はい」

 千鶴に対して言いたいことがたくさんある。

 頭の中が何も整理できていないが、一つだけどうしても言うべきことがあった。

「とりあえず、飯は食えるか?」



           3


 俺はこれからどうするかを決めるため、母に電話をしていた。


『千鶴ちゃん大丈夫そう?』

「駄目だな。まっすぐ歩けてない。

 休ませたほうがいいと思う」

 あのあとリビングに行けるか聞いたが、立つとフラフラするため、結局俺が千鶴の部屋に朝食を持っていた。


『そうね。じゃあ学校に連絡しておいてくれる?

 寝不足って言わずに風邪ってことにしてね』

「さすがに恥ずかしくて、寝不足ですとは俺も言えない」

『でしょうね』

 なんで千鶴のことで困らなければいけないんだろうか。


『それでね。幸喜。あなたも休みなさい』

「俺は別に休むほどじゃないぞ」

『休むほどじゃない?』

 母の声が一段と低くなった気がしたので、慌てて訂正する。

「ちゃんと時間通り寝たよ。だけど、寝付けなかったんだよ」

『ふむ。まあ受け答えはっきりしているし、信じましょう』

 危なかった。


『それでもあなたは休みなさい。千鶴ちゃんを一人にできないからね』

「なにかあるのか?」

『千鶴ちゃんは人間になったばかりで、まだ不安定な状態なの。

 体調を崩すと、消えてしまうかもしれない。

 まあ、寝不足程度なら何も無いと思うけど、念のためにね』

 母の言葉に思わず、つばを飲み込む。

『夕方になったら一度、連絡を頂戴。

 その様子を聞いて、どうするか決めます。

 夕方までに様子がおかしくなったら、すぐに連絡して』

「分かった。俺も休むことにするよ。

 それ聞いて学校には行けない」

『頼むわね』


『しかし、二人して寝付けなかった、ねぇ。何かあったのかしら』

「さあ、知らない」

『ふーん』

 俺はとぼけるが、なんとなく母に見透かされている気がする。

 出来るなら帰ってくるまでに忘れててほしい。

 俺も忘れるから…。


「ともかく事情は分かったから、切るよ。学校に連絡しないと」

『そうだったわ。そっちの連絡もよろしく。

 ああ、そうだ最後に一つだけ』

 母が電話を切ろうとする俺を引き留める。

 まだ何かあるのだろうか?

『エッチなことは駄目よ』

 俺は返事をせずに、通話をオフにする。


「ふう」

 母との電話を終えて壁にもたれる。

 机の上には解凍した冷凍食品とご飯が一人前。

 バタバタして食べれなかったのだ。


 先に食べることにして、学校にも連絡は後回しにする。

 朝からどっと疲れたが、まだ一日は始まったばかりなのだ。

 そして朝食を取ったら、学校への連絡と、千鶴がちゃんと寝るよう監視しなければいけない。


 これからのことを考えて、気が重くなる。

 もう何もかも忘れて眠りたいと、心の底から思うのだった。

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