第12話 引いて駄目なら押してみよ

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 千鶴ちづると料理を作ったあと、一緒に食卓を囲む。

 千鶴は定位置の俺の隣に座る。

 さすがに食事中は手を繋いできたりはしないが、当然のようにあーんをしてくる。

 千鶴が差し出した唐揚げを口に入れるが、押しが弱い気がする。

 いつもならすぐに次の唐揚げを準備しているのだが、今日は俺の顔を眺めているだけだった。

 けれど見られるだけでも、これはこれで恥ずかしいな。


「千鶴、早く食べないと唐揚げ冷めるぞ」

「すみません。幸喜こうきさん。食べます」

 そう言って千鶴は自分のご飯を食べ始めた。

 やはりいつもの様子と違う。


―子供ってかまってほしいから、大人に悪戯することもあるんだ。

 ハカセの言葉を思い出す。

 やはりこちらからスキンシップを取ったことで、安心したんだろうか?

 ハカセの言葉は、結構核心を得たアドバイスだったのかもしれない。


 千鶴の横顔をじっと見ていると、それに気づいたのか少し頬を赤らめる。

「あの、幸喜さん。どうかしましたか?」

「…なんでもない」

 千鶴の様子がいつもと違うので、俺の調子もおかしいみたいだ。

 案外、千鶴は俺にとって、自分が思っているより大きな存在なのかもしれない。



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 二人で黙々と唐揚げを食べていく。

 いつも食卓は賑やかなのだが、母がいないので全く話すことが無い。

 割と気まずい。

 いつもは母が、俺か千鶴に話を振ったり、あーんを要求してくるのだ。

 騒がしくて行儀が悪いかもしれないが、楽しい食卓であった。

 いなくなって初めて気づく母の偉大さ。

 まあそのうち帰ってくるんだけどね。


 しかし、この気まずい雰囲気はどうにかしたいものである。

 千鶴からあーんをしてくれれば、ごまかせるんだけどな。

 と、そこまで思って、俺の心に悪魔がささやいた。

 こっちから、あーんをすれば面白いんじゃないかと…


 一瞬、ちょっと待てと心の天使からストップがかかるが、そのまま勢いで行動に移す。

「千鶴、ほら。あーん」

 そう言って唐揚げを差し出す。

 それを見た千鶴は面白いように慌てふためいた。

「こここ幸喜さん、どうしたんですか!?」

「いつも、俺に食べさせてくれるし、たまには俺からと思って」

「ええっ」


 千鶴は明らかに動揺していた。

 ちょっとだけ俺の冷静な部分心の天使が、これ以上はやめておけと訴えるが、その思考にふたをする。

 もう賽は投げられたのだ。


「あの、幸喜さん。体調悪いんですか?」

「普通だよ。それより千鶴、食べてくれないのか?」

 千鶴は何か考えていたが、恥ずかしそうにこちらに顔を向ける。

 そうして千鶴は自分の前髪を耳に掛けて俺の持っている唐揚げに口を近づける。

 なにこれ、ちょっとエロい。


 唐揚げが無事に千鶴の口に入り、ゆっくり咀嚼そしゃくされていく。

 その様子を見ていると、なんだかイケないないことをしているようで、すこし興奮する。

 千鶴もこんな気持ちで、あーんをしてきたのだろうか?


 千鶴は、よくんだ後、唐揚げを飲み込む。

「幸喜さん。ありがと―」

 俺にお礼を言いかけて、その言葉が止まる。

 俺が次の唐揚げを持っていることに気づいたのだろう。

「あの、幸喜さん。それはいったい…」

「ああ、まだ食べたりないだろ」

 俺の中の悪魔がささやくのだ。

 もっとやれと。


「いえ、お腹いっぱいで…」

「いつもの千鶴ならもっと食べるじゃないか。遠慮しなくていい。

 いつも千鶴がやってくれるからお返しだよ」

 千鶴が顔を真っ赤にして、何かを悩んでいた。


 しばらくして、千鶴は覚悟が決まったのか、口を大きく開ける。

 俺が千鶴の口に唐揚げを入れると、千鶴はゆっくり唐揚げを咀嚼そしゃくする。

 そして飲み込むと、じっと俺の顔を見てくる。

 餌付けしているみたいで、なんだか楽しい。

 千鶴が調子に乗るはずである。

 こんなに楽しいことを千鶴はやっていたのか。

 でも許そう。だって今日は俺の番だから。


「ほら千鶴。次の分をやろう」

 俺は唐揚げがなくなるまで、千鶴に唐揚げを食べさせたのだった。



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 食事を終え風呂に入ってから、千鶴と少し話して自室に戻る。

 すでに寝る時間なので、布団を敷いて寝る準備をする。

 万丈ばんじょう家では、就寝時間は絶対なのだ。

 電気を消して、部屋を暗くしてから、布団に入り心を落ち着かせる。


 落ち着かせられるわけがなかった。

 目を閉じればさっきの自分の蛮行が思い出される。

 自分の部屋で一人悶える。

 何やってんだ俺。

 なんて馬鹿なことを。


 なぜあんなことをしたのだろうか。

 決まってる。

 俺は調子に乗ったのだ。

 いつもは千鶴に振り回されるが、今回は俺が主導権を握れたから、調子に乗ってしまったのだ。

 そして、こういう時のかじ取りのできる母がいないので、止めるタイミングも無く、最後までやってしまった。


 目を閉じればさっきのやり取りが思い出され、顔が熱くなってくる。

 後悔先に立たず、そんな言葉が頭の中を駆け巡る。

 もっとも、その言葉は今の状況に何の役にも立たない。

 必死に他のことを考えようとするが駄目だった。

 考えないようにすればするほど、さっきの光景が思い出される。


 スマホを取りだして眠る方法を検索し、ひとつずつ試していく。

 だが努力は虚しく俺は夜の間ずっと悶え続け、ほとんど眠れずに朝を迎えたのだった。

 

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