第3話 23歳のリスタート

 駅チカのマグドナルドに連れて行き、ほら食べろと2個のビックマックと飲物を差し出すと、息もつかず平らげて恥ずかしそうに笑った。

「お兄さん、ありがとう。どこかに行こう、そこで抱いてね」

「いいのか、本当に3千円か?」

「何回やってもいいよ。お兄さんはアタシのタイプだから。アタシってさ、誰でもいいってわけじゃないの、ホントよ。ついて来てね」

 まさか、ついて行ったら怖いオニィさんが出て来るんじゃないだろうな? 一抹の不安を抱えて女の後をついて行った。1部屋1泊5千円と大きく書かれた古ぼけた旅館に着いた。仏頂面の受付のおばさんに5千円払ったら、黄色い歯を見せてアイソ笑いされた。部屋番号が書かれたベニヤのドアを開けると、シャワーとトイレはあるがカビ臭い和室だった。先にシャワーを浴びて戻ったら、その子は薄汚れた手足のまま眠りこけていた。起こすのも可哀想な気がした俺は、押入れから布団を出してそっと抱えて布団に置いた。


 何時間経ったのか、どこかをつねられた俺は驚いて飛び起きたが、髪からポタポタと雫をたらしたあの子がバスタオルを巻いて立っていた。

「約束は守るよ。お兄さんはどんなバージョンが好きなの? どんなのでもいいよ。だけど、帽子は被ってね。廊下の隅に売ってるんだ」

 久しぶりに抱いた女の体に俺は夢中で重なった。何回やったか覚えていない。

「お兄さんは見かけによらず、ずっとやってなかったんだ、びっくりしちゃったぁ!」

 秘密を見つけて嬉しくて仕方がない子供のように、その子は笑った。


「お兄さん、仕事はあるの?」

「いや、今はない。探しているとこだ」

「ふーん、あのさ、お兄さん、ホストしない?」

「へぇ? ホストって金持ちの女を騙して貢がせるアレか?」

「うーん、ちょっと違うな。だけど説明してもお兄さんはわかんない、知らない世界だからさ。あのさ、日払いで雇ってくれる店もあるけど、オススメはこの2つだよ、借金の集金がないからさ」

 借金の集金? 気乗りがしない俺に化粧ポーチから名刺を取り出して、俺の携帯に写メさせた。俺の心配より君はこんな仕事はヤメロ! そう言いたかったが、自分も同類だと気づいておかしくなった。

「やってみたら? お金もあんまりないんでしょ。やってから考えればいいじゃん。イヤだったら辞めればいいんだ。考え過ぎると新宿じゃ生きて行けないよ。そうだ、3千円ちょうだい」

「3千円でいいのか?」

「だってそういう約束だもん、いいよ。お兄さん、仕事、決まるといいね」


 やってから考えるのか…… 俺は迷わず写メしたホストクラブに向かった。履歴書と運転免許証を眺めたマネージャーは、

「君の現住所は空欄だ。理由は訊かないが身元を確認する必要がある。学生時代の友だちや知り合いが東京にいるなら、思い出してくれないか。それから実家の電話を教えてくれ。話はそれからだ」

 そのとき中年の男が入って来た。後でわかったがオーナーだった。

「その男は新人か?」

「いえ、身元確認するところです。履歴書、ご覧になりますか?」

「ほう、親不孝な男だな。信用金庫を1年で辞めたのか、金がらみか?」

「いいえ、そうではありません」

「そうか、実家に電話を入れてみろ、手はずはわかっているな」


 目の前で、別の若い男が俺の大学の同級生を装って、実家に電話した。電話に出たのは母だった。

「龍志くんと大学で一緒だった浜崎といいます。会いたいと思って携帯に連絡したけど、繋がらなかったので、失礼ですが電話させてもらいました。アイツは元気ですか、どうしてますか?」

 母は、俺が信用金庫を1年で辞めて家を飛び出し、連絡が取れないと泣きながら訴えた。「どうして辞めたんですか、まさか使い込みですか?」と訊かれた母は、「そうじゃありません、あんな優しい子が家を出るなんて、理由がわかりません」と嘆き、もし息子の消息がわかったら連絡くださいと懇願した。横で聞く俺は辛かった。

「龍志くん、君の身元確認は終った。明日から寮に入ってもらうが、食と住は心配ない。そこでリスタートしよう。いいか、ここに来る男たちはどこかに痛みを抱えていることが多い。痛みを消せるかどうかは君個人の問題だ」

 オーナーは帰った。


 翌日、俺はカプセルホテルに置きっぱなしだった私物を抱えて、指定された寮を訪れた。住宅街にひっそりと埋もれた、古いが大きな日本家屋だった。インターフォンを押して来意を告げると、すぐ男が出てきた。建物に入って驚いた。そこは外見とは違ってマンションのエントランスだった。1階は浴室にトイレとキッチン、ダイニング、地下にトレーニングルームと大型洗濯機、2階は廊下の両側に整然とドアが並び、全て個室のようだ。君はここだとドアが開かれた。

「新人の部屋は北向きで狭いが、南向きの広い部屋に移れるように頑張れな。ああ、それから洗濯物は外に干すな、苦情が出る、ここは美観地区なんだ。午後からレクチャーだ、遅れるな」


 ダイニングの大型ビジョンにビデオが映し出されていた。

「基本だからしっかり頭に入れとけ。いいか、ホストは客とSEXする“男芸者”じゃないぞ! 男は出すと気持良くなり、アレは使い減りしない、妊娠もしない、客は喜ぶ、だからSEXぐらい勝手にやらせろ、いいじゃないかと勘違いするな! そういう考えは必ず態度に出る。ホストという職業はお客さまに夢を与えて、世俗のシガラミを忘れてもらい、楽しい時間を過ごしていただくことが基本だ。言うならば、お客さまを午前0時になる前のシンデレラ気分にさせるのが仕事だ。そして次も来てもらえるように努力する。考え方によってはヤリガイがあり、男しか出来ない厳しいビジネスだ。

 そして、よく聞いてほしい、金のことだ。店はホストに集金させることはない。つまり客の売掛代金をホストが肩代りして店に支払う必要がないからだ。うちの店は売掛システムではない、客は現金かカード払いが原則だ。ホストは借金の取立て屋ではない、接客だけに専念させたい。これはオーナーの考えだ。歌舞伎町に大小300店のホストクラブがあるが、大半は売掛システムだ。信金にいた君にはこの違いがわかるはずだ」


 金持ちおばさんにお世辞を並べて金を巻き上げる職種か? その程度の認識しかなかった俺は面食らったが、目的もなく街を彷徨っていた昨日と比べれば、目標とやることが出来ただけでも嬉しかった。それから1週間近く、酒の知識や接客態度、会話に至るまでレクチャーが続けられた。

 ある夜、不思議な感覚で目を覚ました。見知らぬ若い女が裸で横に眠っていた。驚いて起きたが、眠っている女を起こす必要はない、そっとベッドから抜け出して階下に降りた。膝を抱えてぼんやりテレビを観ている龍志に、仕事を終えて帰還した先輩たちがニヤッと笑った。

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