第4話 ホスト・ライフ

 入寮して10日め、俺はオーナーから贈られたスーツ姿でホスト・デビューしたが、なかなか本指名はもらえなかった。昼間は街で女の子をキャッチし、先輩ホストのヘルプを続け、送り指名や場内指名を命じられるままに重ねて、やっと本指名を獲得した。先輩ホストの本指名が連れて来たソープ嬢の京子だ。それ以後、京子は俺が客とはSEXしない主義だと知って、一緒に働く仲間を紹介してくれた。俺は店先の“ホスト・メニュー”に、若さに輝く20歳前後のホストに混じって、画像入りで紹介されるようになったが、先輩ホストを立てることを忘れなかった。上に抗わず、深い雪に足を取られながらも、黙々と郵便配達する親父の姿が忘れられなかった。

(送り指名=帰ろうとする客を見送る役で、客と1対1で会話できるチャンスでもある。場内指名=店内指名とも言う。その場かぎりだが指名してくれた客を接客する。本指名に発展するきっかけになる。キャッチ=女性に声をかけてLINEを交換するのが目的。なお、その場で店に連れて行くことは法規違反で厳禁)


 気が向いたら顔を出す太客(ふときゃく)のオーナー企業夫人からライオンズクラブの友人を紹介してもらえた。彼女たちはオミズなんかに負けるものかと、競って俺を本指名してくれたお陰で、指名料バックと売上げアップでやっと生活が安定した。そして俺は10カ月後には店のNo.2になり、寮を出て1LDKのマンションで暮らしていた。今では目を閉じても歩けるほど、新宿の夜に詳しくなったが、いつかの子は見つからなかった。あの子は今も別の街で3千円をやっているのか? それとも普通の暮らしに戻れたか? ふっと考えた。

(太客=売上げに貢献してくれる上客のことで、店によって違うが月換算で10万以下の客を細客と云う。しかし、新人ホストにとっては細客であっても、指名してくれる客はありがたい)


 ある日の閉店間際、珍しくオーナーが立ち寄った。俺はソープ嬢の京子と食事の約束があった。

「龍志くん、仕事が終わったら戻ってくれるか」、オーナーは耳元で言った。京子は食事の後にカラオケに行こうとねだったが、「ごめんね、戻らなくちゃならない、オーナーが待ってるんだ。たっぷり説教されそうだ」と同情を誘った。「ねぇ、龍ちゃん、アタシの頑張りが足りないのかなぁ?」、ソープで働いた金の大半を店で使ってくれる京子、その泣きベソ顔が可愛くて、つい抱きしめた。俺のアレが正直に反応したが、京子の涙を指でなぞって別れた。


 店に戻ると、「お疲れさん、話がある。外に出よう」、近くの大きなビジネスホテルの喫茶ルームに入った。昼間は人で溢れているが、この時間はさすがに人影はまばらだ。オーナーはなかなか口を開かず、俺を眺めたままだ。

「お話とは何でしょう。どうぞ、お話ください」

 俺にシンドイ時間が流れた。

「君は立派にホストになってくれた、感謝する。横に裸の女がいても抱かなかったな。あれは罠で、君は合格した。君がどうするかが知りたかった」

「罠とは思ってませんでした。何もなかった僕に目標を与えていただきました。僕はあのときの母の声を忘れていません。ありがとうございます。僕の方こそ感謝しています」

「そうか、少しは役に立ったか…… 話はシンジのことだ。何か知っているか?」

「いえ、知りませんが、シンジは結論を急ぎ過ぎる感じがします。20歳ではそんなものかも知れませんが、心配したことがありました」

「君の本指名を取ろうとしたことか? シンジはヒロキとタカシの本指名に手を出した」

「本当ですか? この3日ほどアイツを見てません」

「シンジはふたりにやられた。顔に傷はないが、恐らく相当殴られたに違いない。他のホストの本指名も取ったかと責められて、君のことを言ったようだ。そのとき厳しく注意されたがまたやってしまった。君の顔が見られないと泣いたそうだ。シンジは僕が若い時分に世話になった女の息子だ。それを知ったヒロキとタカシは、驚いて谷崎に謝りに行った。マネージャーの谷崎は、昔はホストで僕と一緒に仕事した仲間だ。

「そんなことがあったのですか。あのとき僕が殴っていたら、シンジの暴走はなかったかも知れません。シンジを許した僕は間違っていました。申し訳ありません」


「そんな言葉を聞くために君を待っていたのではない。頼みがある、ヘルプにシンジを使ってくれないか? 大阪の友人の店にシンジを移そうと考えている、昔の仲間の店だ。僕とシンジが恥をかかないだけのホスト・マナーを叩き込んでくれないか、1カ月間でいい」

「はい? 待ってください、僕なんかよりもっと立派な先輩方がいらっしゃいます。僕はやっと1年過ぎただけです、シンジに教えることなど何も持ってません。どう考えても僕には無理です、出来ません」

「たまたま君のinstagramを見て、君に決めた。シンジはウチのベテラン陣から教えてもらっても理解できないだろう。うるさいなあ、説教は聞き飽きたと逃げるだろう。シンジに送り指名や場内指名は必要ない。ただ君のテーブルに座らせて欲しい、頼めるか?」

 うーん、そうか。俺はしばらく考えた。シンジのヤンチャな顔が浮かんだ。

「わかりました、やりましょう、やらせてください。シンジをリニューアルします」


 2日後、シンジはテレた表情で俺に頭を下げた。

「話は聞いた。怪我はないか、大丈夫か?」

「腹にキックされた途端にチビリました。だいぶ治りましたが、腹をやられると効きますねぇ。ストップ! ギブアップ!」

 他人事のように喋るシンジに呆れた。

「しばらく君は僕のヘルプだ。接客そのものはシンジ流でやってくれ。ただし、接客マナーのマチガイや何か気づいたら、テーブルをトンと指先で叩いて注意するぞ。偉そうなことは言えないが、君は灰皿の汚れに気づかず、自分のトークに夢中なことがあった。そして、客がタバコを取り出したら、トークの真っ最中でもライターを用意して、小さく火を付けて待ってろ、トークは中断だ。大きな炎は危険だ。それからな、僕にカバーさせるなんてシンジの恥だぞ。さあ、仕事だ」

「はい、お願いします」

 シンジは背筋を伸ばして、俺に敬礼した。

 

 接客中のテーブルに、使用済みおしぼりが2個以上あるのに気づかず、相変わらずシンジはトーク中だ。トンと小指でテーブルを弾くと、「話の続きは龍志さんにお任せします。なんたって龍志さんは物知りなんだから、かないません」、笑顔でおしぼりを片付けた。ホストクラブはお客さまに日常生活を感じさせない、思い出させない不思議な空間だ。目の前の汚れ物はタブーだ。客がトイレに立った隙に、

「いいか、おしぼりは包装フィルムを剥がして、二つ折りにし、折った輪を客に向けて差し出すのが基本だ。片付ける場合は、三角に折った輪を客側に向けて、静かに片付ける、わかったな」

 基本は出来ているが、どこかラフなところが気になった。

 

 あるとき、シンジはジャックダニエルをコーラで割って、コークハイを作っていたが、時計回りにシャカシャカとかき混ぜ、俺を見てにっこり笑った。何だ? マドラーを逆回転で使ったコイツは俺を試している。さっきは瓶の向きを反対にしてグラスに注いだ。おい、ラベルは客に見せろ、イロハだ。

 だがシンジの笑顔を見ていると、コイツはうまく化けると人気ホストになれるかも知れない、何よりもあのヤンチャさが羨ましい、そう感じた。そうだ、コイツは何もわかっていない、それじゃあ、俺はわかっているか? いや、何もわかってはいない……

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