第34話 完成

 ガタガタというミシンの音。

 カリカリというペンが走る音。 

 

 一人暮らしであるはずの俺の部屋には、本来あるはずのない音が響いている。

 読書中の本から顔を上げれば、必死にミシンを扱う月乃と、それを見守るハルの姿があった。

 すでにあらかた基礎を学んだ月乃は、最初のような指導を受けることなく衣装を縫い進めている。

 たまに分からないところがあれば、その都度ハルに聞けば済むレベルには、彼女の能力も上がっているようだった。


「そろそろ下地に装飾つけていこうか」


「うん、分かった」


 そんなやり取りの後、二人は新たな作業へと移り始める。

 制作開始から一週間が経過し、六月の頭が見え始めた頃、衣装制作の進捗は四割ほどに差し掛かっていた。

 俺の勝手な印象だが、基礎練にかなり時間を取られたとはいえ、作業スピードは相当速い気がする。

 放課後は全員ほぼ俺の家に入り浸り、時には深夜まで作業していた成果だろう。


 彼女たちの反対側では、机に向かって漫画を描き続けている鬼島の姿がある。

 鬼島は鬼島で、衣装づくりに精を出す二人の様子をよくスケッチしたり、出版社に持ち込む用の漫画を描き進めていた。

 実際自分の部屋でするよりも、人の目がある分、俺の家で作業する方が進みが早いらしい。

 

「頑張っている奴がいると、こっちもやらなきゃ負けた気分になるからな」


 そう言っていた鬼島の目は、間違いなく燃えていた。

 

 正直、羨ましい。

 衣装づくりに精を出す月乃やハルも、漫画を完成させようとしている鬼島も、俺からすればキラキラと輝いて見える。

 しかしその輝きは、以前のような眩しくて目を逸らしたくなるものには見えなかった。

 今は彼らの輝きが、俺にもやる気や活力をくれる。

 

(俺もできることをやろう……)


 彼らに影響を受けた俺は、ネットで『とある物』に関して検索を始めた。

 

 

 さらに時間は進み、日付はすっかり六月になってしまった。

 うちの高校は、六月から夏服に変わる。

 初めての夏服に身を包むようになってから早数日、相変わらず彼らは俺の部屋に集まっていた。


「……!」


 真剣なまなざしを浮かべ、月乃は目の前の布に糸を通す。

 そうして何度も何度もその行為を繰り返せば、やがて可愛らしいフリルがついた綺麗なドレスが完成した。


「……できた!」


 ドレスを広げ、月乃が告げる。

 完成の時を固唾をのんで待っていた俺たちは、思わず目を見開いた。


「やったね! 月乃!」


「へぇ……中々いい出来栄えなんじゃねぇの?」


 ハルと鬼島が月乃の下に集まる。

 そして俺も、それに続いて彼女の側に近寄った。


「すごいな……まさかこんなにちゃんと完成するなんて」


 月乃が持つドレスは、コスプレショップで見つけた薄くて安っぽい仕上がりなどではなく、しっかりと重厚感を持った完成度の高い衣装だった。

 もちろん近くで見れば、まだまだ粗が目立つ。

 縫い目が少々ほつれていたり、誤魔化し誤魔化しでどうにかそれっぽく仕上げようとした跡が散見される。

 しかし、服の知識なんてほとんど持ち得なかったはずの素人が一から作ったにしては、間違いなく花丸を与えられるべき仕上がりだった。


「裏地もいい仕上がりじゃん! 綺麗に塗れてよかったね!」


「うん……ここは特にお気に入り」


 スカートの中や裾の内側のデザインは、すべて月乃が布にも塗れる絵具で描いたものだ。

 初めはこの部分を業者に頼む予定だったが、こうして自分でやってみた結果、かなりの金額を節約できたらしい。

 それでいてデザインの形自体も原作に忠実で、決して安っぽくはない。

 月乃としても、端材で何度も何度も練習した甲斐があっただろう。


「早速着てみる?」


「ちょ、ちょっと待ってもらってもいい? サイズはちゃんと測ってるけど、なんか緊張しちゃって――――」


「いやいや! 今着なくていつ着るのって!」


「あっ……!」


 ハルは月乃を連れて、寝室の方へと移動する。

 やれやれと言った様子で肩を竦める鬼島と共に、ひとまず月乃着替えを待つことにした。



 待つこと数十分。

 しばらくして、寝室の扉が開く。

 まず顔を出したのは、着替えを手伝っていたハルだった。


「やばい……とんでもないコスプレイヤーが生まれてしまったかもしれない……」


「「……?」」


 大人しくソファーに座って待っていた俺たちの下に、ハルが駆け寄ってくる。

 そして寝室の方から、ゆっくりと月乃が姿を現した。


「っ……」


「おお……!」


「ねっ⁉ やばいっしょ⁉ やばいっしょ⁉」


 自分自身で作り上げた衣装に身を包んだ月乃は、まさに女神と言っても過言ではない姿をしていた。

 フリルのついた西洋人形のようなドレスに、可愛らしいカチューシャ。

 開けた胸元には彼女の豊かな二つの山によってくっきりとした谷間ができており、抗えない魅力が俺の視線を吸い寄せる。

 顔に施されたメイクも完璧だ。

『マリハレ』のメリーを再現したメイクは、彼女にドールのような怪しくも美しい雰囲気を与えている。


「ど、どう……?」


「似合ってるよ、月乃。……本当に似合ってる」


 誰かが口を開く前に、俺はその言葉を口にしていた。

 二人には悪いが、最初にこの言葉を言うのは、どうしても譲れなかったのだ。

 

「……ありがと、健太郎」


 そう言いながら、月乃は笑顔を浮かべる。


「ねぇねぇ! 写真撮ろうよ! こういうのは残しておかないとさ!」


 ハルがスマホを取り出しながら、そんな提案をした。

 確かに、これは写真として残しておかないと、絶対に後悔するだろう。

 俺は大きく深呼吸すると、後ろに隠していた鞄からとある物を取り出した。


「……なあ、月乃のコスプレ……まずは俺に撮らせてくれないか?」


「健太郎、それ……」


 俺が取り出したのは、一眼レフカメラだった。

 彼女らが作業に集中している間、俺にもできることがあるのではないかと思い、ずっとコスプレの撮影に関するコツを調べていたのである。

 何度か外に出て実際に撮ってみたりもして、一応ノウハウ自体は頭に入ったと思うが――――。


「一眼レフじゃん⁉ 買ったの⁉」


「型落ちの安いやつだけどな。月乃と一緒にバイトした時の給料が残ってたから、思い切って買ってみた」


 いまだピカピカの一眼レフ。

 性能の良さを引き出せている感じはまったくしないが、スマホで撮るよりは『それっぽさ』が生まれるはず。


「これがあればコスプレも撮れるし、鬼島が漫画の資料が欲しいって言いだした時に、手伝ってやれるんじゃないかって……」


「永井……! お前ってやつは……!」


 鬼島が涙を流して喜んでいるが、自分がついでの枠であることを理解しているのだろうか?

 ――――まあいいか。

 野暮なことは言うもんではない。


「撮ってもいいか? 月乃」


「……うん。健太郎に撮ってほしい」


 俺はカメラを構える。

 勉強の成果を活かすなら、ちゃんとスタジオに行ったり、背景のことまで考えた方がいいのだろう。

 しかし、今はこれでいい。

 もしも月乃がコスプレにハマって、この先も衣装を作るようなことがあれば、その時は提案してみよう。


「じゃあ、撮るぞ」


 レンズ越しに、月乃の姿を捉える。

 月乃はどこか恥ずかしそうな様子で、俺に向けて笑顔を浮かべた。


 それを見計らって、シャッターを切る。


 メリーの姿で浮かべた彼女の表情を、俺は生涯、忘れることはないだろう。

 

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