第33話 日常の変化

「うぅ……! 終わったぁ!」


 教室の中で、ハルが両腕を振り上げて叫んだ。

 そして月乃を引き連れ、俺と鬼島が座っている席へと歩いてくる。


「終わったよ! 二人とも!」


「ああ、終わったな」


「ありがとうね、ながっち! おかげでめっちゃスムーズに解けた!」


 ハルは俺の手首を掴むと、ブンブンと振り回す。

 それに飽きたら、今度は月乃へと抱き着いた。


「いやぁ、解放感半端ないね! 月乃の彼氏様様だ!」


「ちょっと……! 恥ずかしいって……」


 ハルのテンションの高さに、月乃も苦笑いを浮かべている。

 しかしハルはそんなこともお構いなしに、彼女の体を強く抱きしめた。

 

「俺も躓くことなく最後まで解けたぞ。すべては永井のおかげだ」


「どーも。でもそこまで解けるようになったのは、鬼島の努力の成果だろ?」


「ははっ、人を持ち上げるのが上手いな、永井は。ちなみに最後まで解けたと言ったが、合っている自信はない」


「台無しだよ全部」


 自信はないと言っておきながら、何故か鬼島は自信満々な様子で笑っている。

 俺が勉強を教えた三人の中で、もっとも成績が悪そうだったのが鬼島だ。

 それでもテスト前日に行った俺特製のテスト問題では、かなりの好成績を取っている。

 実際のテスト問題を解いた感じ、あれなら平均点は取れているはずだ。


『ねぇ……なんで雪河さんたちって山中君たちと絡まなくなったの?』


『さあ? 喧嘩したとか聞いたけど……』


『えー? あんなに仲良さそうだったのに……』


『そう? 元々雪河たちの方が無理に付き合ってる感じしたけどなぁ』


 どこからか、そんな話声が聞こえてくる。

 ふと振り向けば、気まずそうにしている山中と、渡辺の姿が見えた。

 一軍メンバーとしてブイブイ言わせていた彼らはどこへやら。

 今や彼らの周りには誰もおらず、前の俺と同じような環境に置かれてしまっていた。

 俺は自分からその環境に身を置いていたが、彼らからすれば屈辱以外の何ものでもないだろう。

 かといって二人でつるむつもりもないらしく、お互いの距離はかなり離れていた。

 自分からは決して絡みにいかないというプライドの高さのようなものが、さらなる悲壮感を煽っている。


 反対に俺はというと、月乃たちと絡むようになったせいで勝手に一軍メンバーのような扱いを受けていた。

 別に立場にこだわりなどはないが、変に目立ってしまって正直居心地が悪い。


(まあ……余計なこと考えなくて済むし、ありがたいけどな)


 他のクラスメイトたちは、互いに一軍メンバーに近づくことを牽制し合っているため、自分からは中々こっちに絡もうとしない。

 基本この四人で関係が完結しているため、別の人に対して気を遣う必要がないというのが、俺にとってはとても快適だった。


「ねぇ、せっかくのテスト明けだし、四人でカラオケ行かない?」


 ハルの提案を聞いて、俺は月乃と話すようになった日のことを思い出す。

 すべてはあの時歌った『トゥエンティナイツ』の主題歌から始まったんだ。

 途端に感慨深さが押し寄せてくる。


「オタク四人が揃ったわけだし、今日はもう懐かしのオタソンから流行りのオタソンまで歌い放題だよ!」


「いいね、私は賛成」


「俺もだ。前は人が多すぎて番が回ってこなかったからな。今日は熱唱してやる」


 乗り気な様子の三人が、俺の方へ視線を向ける。

 こいつらの魅力的な誘いを断れるわけもなく。

 俺は三人に向けて、一つ頷いた。


◇◆◇


「もう声出ない……」


「ね……あたしも」


 カラオケで散々歌った後、俺たちはヘロヘロになりながら店を出た。

 さすがに五時間歌いっぱなしはキツイ。

 全員が全員オタクソングに精通していたせいで、盛り上がりもえげつなかった。

 ボクシング選手であるが故に体力お化けなはずの鬼島すら、割と疲れた様子を見せている。


「今日は帰る? もう結構遅い時間だし」


 ハルの言う通り、スマホを確認してみれば時刻はすでに十九時を回っていた。

 午前中で学校が終わり、昼を食べてからこの時間までぶっ通しでカラオケ。

 思い描きすらしなかった、理想の高校生活がここにあった。

 とはいえこれ以上遊んでいたら、それは高校性らしからぬ行動になってしまう。

 いつも月乃を泊めている俺が言うのもなんだが、外で遊ぶのであれば、その辺りは守らなければならないルールだ。


「明日からは早速衣装作りか。腕がなるな」


「って、あんたはほとんどやることないでしょうが」


 ハルの鋭いツッコミが、鬼島に突き刺さる。

 明日から衣装作りに精を出すことになるわけだが、技術も何もない俺と鬼島は、基本的に見学だ。

 やることがあるとすればミシン縫い中に布を押さえていたり、お茶を淹れたりすることくらいか。


「改めて……明日からまたよろしく、三人とも」


 月乃に言われて俺たちは頷く。

 ついに始まる衣装作り。

 ここから先、俺にできることはほとんどないけれど、せめて月乃とハルをサポートできるように尽くそう。



 ――――そんな風に思っていた時期が、俺にもありました。


「そこ! 軸がぶれてるよ! 真っ直ぐ縫わないと見栄えが悪くなるんだから!」


「は、はい……!」


 ついに衣装製作が始まったと思えば、待ち構えていたのはハルによるスパルタ指導だった。

 布を縫う際の技術を、月乃は現在徹底的に叩き込まれている。

 いわゆる基礎練というやつだ。

 まさかこんなところから始まるとは思っておらず、さらに鬼教官と化したハルに対し、俺は面食らっていた。


「これは師弟関係ってやつだな。勉強になる」


「お前は相変わらずで羨ましいよ……」


 二人の様子をスケッチしている鬼島の目は、えらく輝いていた。

 鬼島からすれば、これも貴重な資料なのだろう。

 

「うん……真っ直ぐ縫えるようになってきたね。じゃあ次は布切りバサミの練習ね」


「えっ……また練習?」


「当たり前でしょ! 布には限りがあるんだし、万が一失敗したらもうやり直せないんだよ? だったら失敗しないように練習しないと!」


「ごもっとも……」


 一瞬にして論破された月乃は、そのまま布切りバサミの使い方を学び始める。

 このペースで行くと、今日はもう修行パートだけで終わりそうだ。


「この際、衣装が完成するまで全員ここで寝泊まりするか……? 日数をかければいいってもんじゃないだろうし、一気に完成を目指した方が――――」


「いいの⁉︎」


「あ、ああ……まあ別にダメな理由もないし……」


「やったぁ! 憧れてたんだよね、オタ活合宿!」


 はしゃいでいるハルを見て、俺は困惑する。

 こっちとしてはほぼ冗談のつもりで言ったのだが、思ったよりもすんなり受け入れられて驚いてしまった。

 確かにオタ活合宿は素晴らしい響きだが……。


「自分から提案しておいてなんだけど、親は許すのか? 一人じゃないとはいえ、男の家で泊まるなんて普通は許さないと思うんだが」


「毎日泊まるってのは流石に無理だけど、週末だけとかなら許してもらえると思うよ? それに親には月乃の家に泊まるって言うしね。うちの親もこの子の家の事情は知ってるし、むしろ一緒にいてあげなって言うと思う。あっ! 月乃が泊まらない日はもちろんあたしも帰るから! そこは安心してね」


 この発言には、さすがに月乃も苦笑い。


「気遣いはありがたいけど、そこまで気にしなくていいからね。二人のことは信頼してるし」


「月乃ぉ……」


 さっきまでスパルタでビシバシ指導してたのに、ハルは月乃に飛びついて、イチャイチャし始めた。

 女心と秋の風なんて言葉があるように、この変わり身の早さには驚かされる。

 この後基礎練を再開したら、またスパルタに戻るんだろうな。


「俺は今度原稿を持ってきていいか? ここなら作業も捗りそうなんだが」


「え、漫画描いてるところ見てもいいのか?」


「面白いもんじゃないがな」


 鬼島はそう言うが、俺は人が絵を描いているところに興味があった。

 世の中に溢れる素晴らしいイラストや、漫画の数々。

 あれが果たしてどうやって生み出されるのか、できることならこの目で見てみたい。


「いいじゃんいいじゃん! みんなやりたいこと持ち寄ってさ、みんなで楽しもうよ! もちろん、ながっちとマンションの大家さんが許す限りで」


「そこは現実的なんだな……」


 顔を突き合わせて、俺たちは笑う。

 この部屋を溜まり場として使ってくれるなら、大いに構わない。

 俺がオタ活を続けてきたのも、月乃たちとこうして笑い合うためだった――――のかもしれない。

 

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