第32話 初めての約束

 部屋に残った俺たちは、顔を見合わせる。


「……なんか、変に緊張するな」


「言わないでよ。私も同じなんだから」


 実は付き合って以来こうして二人きりになるのは、当日を除けばこれが初めて。

 もちろん今まで恋人なんてできた経験がない俺は、こういう時にどうしたらいいかまったく分からなかった。


「とりあえず……コーヒーでも飲むか。インスタントだけど」


「うん」


 分からないなら、いつも通りのことをしよう。

 俺はキッチンでコーヒーを二人分淹れて、テーブルの上に置いた。


「ありがと。いただきます」


「ああ……」


 静かな部屋で、二人してコーヒーを飲む。

 最初はそわそわして落ち着かなかったが、こうしていると少しずついつも通りの雰囲気が戻ってくる。

 

 ふと隣を見れば、コーヒーに口を付けるたびにふーふーと冷まそうとしている月乃の姿があった。

 その姿があまりにも可愛らしくて、思わず口角が上がる。


(それにしても……本当に美人だな)


 くっきりと整った顔立ち。

 地毛に合わせて染め上げた銀髪は、一度見たら忘れないレベルの存在感を放っている。

 こんな女の子が俺の初彼女だなんて、いまだに夢なのではないかと不安になる。

 しかし彼女は間違いなくそこにいて、触れ合いそうな肩からは確かな体温を感じていた。


「何? 見られてると、ちょっと恥ずかしいんだけど」


「あ、悪い。ちょっと見惚れてた」


「え……は、はぁ⁉ そんな照れること――――」


 月乃の頬が赤くなる。

 それを見て、俺の方にも照れ臭さがぶり返してきた。

 お互い一心不乱にコーヒーを飲む。

 なんだ、この間抜けな構図は。

 あまりにも俺たちの置かれた状況がアホらしくなり、思わず笑う。

 それは月乃の方も同じだったようで、俺たちは栓が抜けたように笑い合った。


「あはははは! 健太郎相手にこんな緊張するなんて……なんかバカみたい」


「こっちのセリフだって」


 俺たちなんて、一旦皮を剝げばただのオタク。

 どんなに見た目が違っても、どんなに境遇が違っても、俺たちは所詮アニメや漫画が好きで、美少女に一々萌えてしまうような、一種の同士だ。

 怖いことなんてない。

 二人でいれば、いつまでも楽しいに決まっている。


「……それにしても、まさか出会ってから二か月も経ってないのに付き合うことになるなんてね」


「そう言われると短く感じるな」


「他の人だとどれくらいで付き合うのが普通なんだろうね。私も・・彼氏ができたのなんて初めてだから、ちょっと分からないかも」


「『も』って……俺も彼女できたことなかったって決めつけたな?」


「いなかったでしょ?」


「……いなかったけど」


 確かにこれまで恋人なんていなかったし、自分でもそれを自虐ネタにしているところはあるけれど、こうも簡単に決めつけられるとそれはそれでうーんという気持ちになるというか、プライドが傷つくというか。


「初めて同士の恋愛って、結構大変らしいよ?」


「そうなのか?」


「ネットで調べたんだけど……って、なんかワクワクしてるみたいで恥ずっ」


 月乃は自身の頬を押さえる。

 見た目や言動以上に、月乃もはしゃいでくれているのかもしれない。


(だけど……初めて同士って、アレのことだよな?)


 俺も初めて同士は難しいと聞いたことがある。

 そしてその初めてとは、いわゆる『夜の営み』のこと。

 お互い初めてだとどうしていいか分からず、上手くいかないと聞いたことがある。

 とはいえ、それを指摘する勇気は俺にはない。

 そもそも月乃の発言が『夜の営み』を指しているとは限らないわけで。

 変な指摘をして、気まずくなるのはごめんだ。


「いやっ……あの、その……先に言っとくけど! 別に期待してるとか、そういうのじゃないから……!」


「あ……ああ」


「本当にそんな……期待とかじゃないから……」


 月乃の頬が信じられないくらい赤くなっている。

 これはどうやら、俺の思い描いていたものと同じものを想像していたらしい。

 どうしてあげることが正解なのだろう。

 なるほど、確かになんでもかんでも初めて同士は、中々骨が折れそうだ。


「……さすがにそういうのは、まだ早いよね?」


「そ、それを俺に聞くのかよ……」


「別にっ……! 私はただ健太郎だって男の子だし、そういうのに興味あるんじゃないかなって心配してるっていうか……一応覚悟はしてるっていうか……」


 顔を真っ赤にしたまま、月乃はこっちを見つめてくる。

 その姿に、俺は思わず生唾を飲み込んだ。

 正直、まだ早いのではないかと俺は思う。

 というか、もう少し月乃が恋人であるという状況に慣れないと、俺の心臓が持たない。

 しかし、彼女にここまで言わせて、引き下がっていいものなのだろうか?

 俺は今、人生の中で大きな選択肢の前に立たされていた。


「興味は……ある。月乃とそういうことをしたいって感情は、苦しいくらい持ってるつもりだ」


「へっ⁉ そ、そうなんだ……」


「けど、なんかその……急にこんなことを言うのもおかしいんだろうけど」


「……?」


「月乃との初めては、めちゃくちゃ大切にしたいんだ」


 欲求に任せて、衝動的に行為に及んでしまうのは、正直ちょっと勿体ないと思ってしまった。

 せめて何か、特別な日に合わせるような形で、この関係を深めたい。


「……じゃあ、このコスプレが完成した時は?」


 そう言いながら、月乃がテスト勉強のせいで手を付けられていない衣装の素材を指差した。


「私が衣装制作をやり遂げたご褒美ってことなら……だめ?」


「い、いや……」


 駄目っていうか、俺との行為をご褒美と言った部分に強く萌えてしまい、言葉に詰まる。


「……別に女の子だって、そういうことに興味ある子だっているんだから」


「っ……分かった。じゃあ、衣装が完成したら、その日にってことで……」


 あまりにも恥ずかしすぎて、言葉が尻すぼみになってしまう。

 

「……なんかさ、初めての日を約束するのって恥ずかしくない?」


「今更何言ってんだよ……」


 この話を始めたの月乃の方なのに。


「はぁ……ちょっと落ち着こう。緊張しすぎて話が変な方向に行ってる」


「そうだな」


 俺たちは深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 何度も言うが、俺たちは恋愛初心者以外の何者でもない。

 これからの話をいくら交わそうとも、すべて妄想の域を出ないし、上手くいく保証なんてどこにもないのだ。

 まずは目の前にあることからコツコツと。

 俺たちがやらなければならないのは、テスト勉強、そして衣装制作。

 協力してくれているハルや鬼島を裏切らないためにも、俺たちはやり遂げなければならない。


「……もうちょっと勉強しとこうかな。気持ちよく衣装制作したいし」


「その意気だ。俺も協力するよ」


「……二十三時までやったらさ、今期のアニメ見ようよ」


「いいな、それ。今日のご褒美はそれにしよう」


 月乃が再び教科書を広げる。

 俺はそんな彼女の質問に時折答えながら、自分でも授業の復習に勤しむことにした。


 恋人になったとはいえ、部屋を満たす空気は変わらない。

 きっと俺たちは、ずっとこのまま歳を重ねていくのだろう。

 まったく恋愛経験はないけれど、何故かそれだけは確信することができた。




 

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