第28話 雪河月乃の怒り

 永井健太郎がトイレに立った途端、山中が不機嫌な様子でそう告げた。

 その言葉に、同じく不機嫌そうな渡辺が頷く。


「そうそう。あの……誰だっけ? ともかくあいつがいるとなんかすごい話しにくいんだけど」


 いまだに彼の名前すら覚えていない渡辺に、桃木春流は苛立ちを覚える。

 しかしそれを極力表に出さないようにしていた。

 自分が感情的になれば、場の空気が今よりもひどいものになるからだ。


「俺たちだけでよかったじゃん。確かに勉強はできるみたいだけどさ、あんな冴えない奴がいたら萎えるよな」


「いくらなんでもあんなボッチを誘うのは意味分かんないよ。まだ里中とかの方がよかったって」


 里中というのは、いわゆる二軍の人間だ。

 立ち位置的に言えば、彼がもっとも一軍に近い存在ということになる。


「何言ってんだ。永井は友達だぜ? ボッチだから誘わねぇとか意味分からん」


「いつあんな奴と友達になったんだよ? 俺なんも聞いてねぇぞ?」


「別に一々お前に言う必要なんて――――もがっ」


 鬼島が喧嘩腰の言葉を吐く前に、桃木がそれを止める。

 

「まあまあ、確かに二人とは交流ないかもしれないけど、そもそもあたしたちって勉強するためにここに集まったんでしょ? だったら勉強を教えてくれる人がいたっていいじゃん?」


「俺たちとは交流ないって……お前らとはあるのか?」


「え? あ、まあ……クラスメイトだし、交流ゼロってわけじゃないじゃん?」


 桃木がそう言うと、話を聞いていた渡辺が「あっ!」と声を漏らした。


「そういえば永井って、月乃ちゃんと一瞬噂になった男子じゃん!」


「……」


 雪河の肩が一瞬ぴくりと動く。

 別に彼女は永井との関係を隠しているわけではなかったが、まさか噂になっているとは思わなかった。

 途端に照れ臭さが押し寄せてくる。

 しかし外では素を見せない雪河は、必死に表情を取り繕っていた。


「あー! そういえばそんな噂あったな! 意味分からないやつ!」


「……意味分からない?」


「だってあんな奴と雪河が付き合ってるとかありえないじゃんか。いくらなんでも隠キャじゃ釣り合わねぇだろ」


 山中と渡辺がゲラゲラと笑い始める。

 二人からすれば、クラスで一番輝いているといっても過言ではない憧れの対象と、クラスでもっとも暗い位置にいる隠キャが付き合っているなんてあり得ないし、許せない。

 そもそも二人は、雪河と永井が付き合っていたとしても決して信じない。

 教室の隅っこで縮こまっている人間など、二人にとってなんの価値もないのだ。


「……最低」


 怒りの形相を浮かべ、雪河が席を立つ。

 その迫力に、山中と渡辺は思わず黙り込んだ。


「健太郎の何を知ってるの? 内気な人を隠キャなんて言ってバカにして……あんたたちみたいな人が一番嫌い」


「は、はぁ⁉︎ 急になんだよ……⁉︎ だってどう考えてもあんな隠キャじゃ――――」


「帰る。もういい」


 荷物をまとめてしまった雪河が、自分の分の代金を置いて席を立つ。

 山中たちはそれを引き止めることすらできず、ただ見送ることしかできなかった。


「な、なんで月乃ちゃん怒ったの? 意味分かんないんだけど……」


「はぁ……月乃があそこまで怒って分かんないなら、もうダメだね」


「え? ハル……?」


「先に言っておくけど、月乃とながっちは付き合ってるわけじゃないよ。でも、友達なの。大事な大事な友達なんだよ? それをバカにされて、怒らない人がいると思う?」


「いや、だから永井と友達とかあり得ないって……」


「それはあんたが決めることじゃないよね?」


「は、ハル?」


 桃木は盛大にため息をつくと、雪河と同じように席を立つ。

 

「鬼島、あんたも行こ」


「ああ。永井は俺にとって貴重な同士だ。あいつを受け入れてもらえないなら、ここに用はない」


 桃木と鬼島は、雪河と同じようにテーブルに代金を置き、席を立つ。

 

「ながっちの分も置いとくよ。それじゃあね」


 最後に永井の手荷物も回収した桃木は、鬼島を引き連れ席を離れていく。

 山中と渡辺は、突然の出来事に呆然としてしまい、席についたまま動けずにいた。


◇◆◇


「ふぅ……」


 俺は憂鬱な気持ちでトイレから出た。

 また山中と渡辺がいる席に戻らなければならないと思うと、足が重たくなる。

 

(鬼島め……あとで覚えとけよ)


 こんなことに巻き込んだ鬼島に対し、怒りが湧いてくる。

 今度クソアニメ耐久させてやるか。

 眠ろうとしたら後ろから頭ひっぱたいてやる。


「ん……? あれ、ハル?」


「ながっち、外出るよ」


「え? お、おい!」


 俺はハルに腕を掴まれ、そのまま外へと連れ出された。

 彼女の後ろには、何故か鬼島もいる。

 しかし月乃、そして山中と渡辺の姿はない。


「月乃ちゃんなら先に行ってるから、追いかけるよ」


「待てって! 俺金も払ってないのに……」


「払っといたから気にしないで。お返しは今度何か奢ってくれればいいから」


「はぁ⁉︎」


 まったく訳が分からず、俺はハルに連れられるがまま道を歩く。

 かなりの早歩きでファミレスから離れ、近くの駅の方へ。

 すると進む先に、月乃の背中が見えた。


「月乃!」


 ハルがそう呼ぶと、月乃は足を止めた。

 振り返ったその顔はどこか悲しそうであり、何かよろしくないことが起きたことは明白。

 俺はハルの手を解き、月乃へと駆け寄った。


「どうした⁉ 何があったんだよ……!」


「別に……何も……」


 近くで見れば見るほど、月乃の顔色が優れないことが分かる。

 俺はひどく焦っていた。

 月乃が辛い思いをしている時、その手を掴んで逃げると言った。

 その約束を破ってしまったんじゃないか――――そう考えてしまい、冷や汗が噴き出す。


「……ながっち、月乃を連れて帰ってくれる?」


「え?」


「月乃にはながっちが必要だと思う。あたしたちはこのまま帰るから、今はひとまず一緒にいてあげて?」


「……分かった」


 俺が頷いたことを確認して、ハルは俺と月乃の背中を押す。

 何が起きているのか、まだ俺はほとんど分かっていない。

 しかし月乃が傷ついているということは分かった。

 ならばやるべきことは一つ。


「行こう、月乃」


「……うん」


 月乃の手を取り、駅へと歩きだす。

 電車で移動している間、俺と月乃の間に会話はない。

 しかし二人して座席に腰掛けながら、俺たちは互いにその手を決して離さなかった。

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