第25話 人生における長い暇つぶし

「こっちの方向はアニマイトか」


 駅を出て待ち合わせ場所に向かっていると、鬼島がそんな風に口を開いた。

 この方向に歩きだして真っ先にアニマイトが出てくる辺り、こいつもガチのオタクと見ていいだろう。

 あれだけ上手い絵を見せられたら、もう疑う余地などほとんどないが。


「まあ目的はアニマイトじゃないけどな。手芸ショップで布を買うんだよ」


「ああ、コスプレに必要なやつか」


 しばらく歩いて待ち合わせ場所の前に来ると、先に出発していた月乃とハルの姿が見えた。

 スマホを弄っていた二人に手を振ると、向こうも気づいたようで顔を上げる。


「わ、マジで鬼島いんじゃん。やっほー」


「おう、お前らもオタクだったんだな」


「開口一番がそれ?」


 鬼島の言動で桃木がケラケラと笑う。


 ここで一つ誤算があった。

 こいつらが揃うと、俺の肩身が途端に狭くなる。

 何故ならこいつら全員ビジュアルが整いすぎているから。

 絶世の美女と言っていい月乃。

 可愛らしく人当りのいいハル。

 そして、男らしい体と美形の顔を持つ鬼島。

 学校中で名前が知られているような三人と、良くて普通の外見の俺。

 一緒にいて不釣り合いであることは、この俺が一番よく理解している。


「……健太郎、行こう?」


「え?」


 気づくと、月乃に手を引っ張られていた。

 ハルと鬼島が、不思議そうな目で俺を見ている。

 どうやらいつもの癖で、考え過ぎてボーっとしていたらしい。


「あ、ああ……分かった」


「? 変な健太郎」


 月乃が笑う。

 何故、彼女はこんなにも俺を受け入れてくれているのだろう。

 その理由を問いかけるだけの勇気を手に入れる機会は、この先あるだろうか?

 考えても始まらないことばかりが、頭の中を駆け巡っていた。



「この素材だったよね」


 ハルが前回俺たちが買おうとしていた素材を指さす。

 それに頷いた月乃は、改めて素材を手に取った。


「……これさ、ここで何センチ買うって話をしたら、二人に私の体のサイズがバレちゃわない?」


 月乃は恥ずかしそうにしながら、俺の方を見る。

 いや、どうだろうか?

 さすがに購入した布が何センチかで人の体のサイズを予想できる人間はいないと思うけど……。


「まああたしなら分かるね」


 余計なことを言うな、ハル。

 話がややこしくなる。


「だよね……! ごめん、素材はハルと二人で買ってくるから、健太郎たちは外で待ってて」


「まあ、月乃がそれでいいなら別にいいけど……」


 急にここまで来た理由がなくなった。

 いや、帰りに荷物持ちくらいはできるだろうし、完全にお役御免ってわけではないだろうけど。


「……外で待とうか、鬼島」


「おう。よく分からねぇけど」


 もしかしてこいつ、アホだったりするのか?

 なんというか、そういう波動を感じる。


 俺は店の外にあったベンチに座って、二人が店から出てくるのを待つことにした。

 鬼島は何故かシャドーボクシングをしている。

 周りにそんなに人気はないとはいえ、なんだかちょと恥ずかしい。


「なあ、永井」


「ん?」


「お前、雪河のこと好きなのか?」


「はぁ⁉」


 思わずベンチから跳び上がる。

 質問の意図が分からず、俺は鬼島へと詰め寄った。


「おい、なんで急にそんな話をするんだよ!」


「気になっちまったからな。聞かざるを得ない。漫画を描く上で必要な知識かもしれないし」


「この漫画脳め……」


 典型的なクリエイター脳だな。

 なんでもかんでも創作のネタにしたがる。


「で、好きなのか?」


「……答える義理はないっていうか、正直、自分でも分からない」


「?」


 俺はベンチに座り直す。

 自分が月乃のことを恋愛対象として見ているのかどうか、自分でも分析できていなかった。

 俺みたいな人間は、月乃と一緒にいられるだけで感謝しなければならない。

 それくらい俺と彼女には、格の差というものがある。

 人生における初期位置とでも言うべきか。

 性格と外見。

 月乃と一緒にいられて、幸せを感じる俺がいるのも事実。

 そして同時に、劣等感を覚えて苦しんでいる自分がいるのも事実。


「あいつを好きになったら、きっと俺は今よりもひどく苦しむことになる……別に、恋愛は人生において必ず必要な要素じゃない。わざわざ苦しむことが分かっていながら、わざわざ無駄なものに身を投じるなんてできねぇよ」


「ふーん、面白い意見だな」


「面白い?」


「知ってるか、永井。人生って、意外と長いんだぞ」


「……」


「お、やっぱり知らなかったか」


「いや、知ってたよ。これは『それがどうした』っていう目だ」


 俺はジト目を鬼島に向ける。

 しかし鬼島はそんな視線を意に介さず、言葉を続けた。


「人生において、一番必要なことはなんだ?」


「金とか」


「いや、違う。正解は、暇つぶしだ」


「……は?」


 あまりにも予想外過ぎる答えに、俺は面食らう。


「人生において一番必要なものは、長く自分の暇をつぶせる何かだ。それは仕事でもいいし、趣味でもいい。友人と遊ぶことだって、家族を作ることだって。しかし、それらは生命活動を維持するために必要か?」


「……必要、じゃないな」


 間接的には必要だろう。

 働かなければ、金が手に入らない。

 金が手に入らなければ、食料も寝床も買えない。

 趣味がなければ、ストレスが溜まる。

 ストレスが溜まれば、体を壊してしまうかもしれない。

 家族や友人がいなかったら、一人で動けなくなった時に助けてもらえないかもしれない。


 それらは確かに、人生には必要ない。

 しかし、確かに必要なものでもある。


「だからこそ思うんだ。人生に必要なことは、暇をつぶせるだけ夢中になれる何かだって。死ぬまで退屈し続けるより、たとえそれが苦しみであっても、俺は何かに夢中になっていたい。時間を潰せたなら、それはきっと無駄じゃないんだ」


「……」


「お前が雪河に恋心を持っているなら、無駄なんて考えず突っ込んだらいい。っていうか、突っ込め。実っても実らなくても、俺はその話をネタにする」


「結局漫画のためかよ……」


「当り前だ。それが俺の一番の暇つぶしだからな」


 そう言って、鬼島がニヤッと笑う。

 気持ちがいいくらい身勝手な奴だ。

 おかげで少しだけ、自分のことを許してやれたような気がする。


 実際、月乃に対して恋心を持っているのかどうかは、まだ分からない。

 一時の気の迷いかもしれない。

 俺も周りの人間と同じように、雪河月乃という人間をステータスとして見ているだけなのかもしれない。

 そんなあやふやな状態で、俺は正面切って気持ちを伝えられる自身がない。

 何より、今ある関係だけでも、十分心地がいいのだ。 

 だからこそ、月乃への恋心がはっきりするまで、言葉にするのはやめておく。

 

「……ていうか、鬼島はどうなんだよ。好きな人とかいないのか?」


 自分の中で話が完結したところで、俺は鬼島へ問いかける。

 人に聞いてきたのだ。

 自分も聞かれるくらいの覚悟はあるのだろう。


「残念だが、俺の嫁は二次元にしかいない。三次元の女にはまったく興味がないんだ」


「お前のファンが泣くぞ、それ聞いたら」


 俺の嫁なんて言葉久しぶりに聞いたぞ。

 言わずもがな、鬼島はモテる。

 他のクラスから顔を見にわざわざ教室までやってくる女子たちがいるくらいだ。

 彼女たちは夢にも思わないのだろう。

 まさかあの鬼島浩一が生粋のオタクであり、プロボクサーではなくプロの漫画家を目指しているなんて。


「ハルとかどうなんだよ。お前と結構仲良さそうだったじゃん」


「桃木? あり得ないな。仮に俺が現実で付き合うとしたら、黒髪パッツンつるぺた低身長の清楚系和風女子と決めている。少なくともギャルは論外だな」


「……キモイな、好みの語り方が」


「何⁉」


 今時こんな典型的なオタク男子がいるとは思わなかった。

 しかし、そのギャップがどうにも面白い。

 俺は二人が戻ってくるまで、この残念イケメンとオタクトークに花を咲かせることにした。

 

 

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