第23話 とんでも情報

「ごめん、今日はハルと行かなきゃいけないところがあるから」


 一軍メンバーに向けて、月乃がそう告げる。

 それが聞こえてきた途端、俺は頭を抱えそうになった。

 

「桃木と……? おいおい、俺たちは行っちゃダメなのか?」


 山中が問いかける。

 その声はまるで茶化しているようだったが、動揺は隠しきれていなかった。

 教室内に妙な空気が漂う。

 一軍という、クラスの中でもっとも存在感を放つ集団が、どういうわけだか瓦解しそうになっている。

 もちろん雪河にそんなつもりはないはずだ。

 別に彼らとの関係を切りたいわけではないと本人が言っている。

 しかし、今のセリフはかなりアウトに近い。

 現に桃木も笑みを浮かべているものの、よく見ると眉間が強張っている。

 この事態をよろしく思っていない証拠だ。


(今のはまずかったな……)


 これまでは疑惑だった二人のメンバー離れが、ここに来て確信に変わったような気がした。

 何度も言うようだが、周りからすれば、中心人物である月乃とハルに抜けられるのはかなり困る。

 周りの目がある手前、一軍メンバーたちは動揺しないよう取り繕っているようだが、明らかに不安だったり、憤りを抱えていた。


「うん。だから今日も付き合えない」


「……おい、雪河」


 そこで、初めて鬼島が口を開く。

 彼の声色からは、動揺や憤りを感じない。

 ていうか、そもそもこいつは何を考えているのか分かりづらい。

 一体雪河たちに対してどんな感情を抱いているのだろうか。

 いざとなったら、俺も――――。


「お前ってさ、英語ペラペラなんだっけ」


「……ごめん、なんの話?」


 思わずずっこけそうになる。

 今の話の流れに必要な情報だったか? それ。


「いや、後で聞こうと思ってたんだけど、帰っちまうなら今聞いとかないとなーって」


「よ、よく分からないけど……一応英語は喋れるよ」


「ふーん……やっぱり帰国子女は英語喋れるのか」


 あまりにもマイペースな鬼島の言動のせいで、教室は気まずい空気からさらに混沌とした空気へと移行した。

 本当に何がしたしたかったんだ、こいつ。


「……ま、まあ! 今日はたまたま月乃と約束してただけだから、みんなは気にしないで! また時間作るからさ!」


 妙な空気を利用して、桃木が場を収めようとする。

 皆納得できない様子ではあるが、結局弱い立場にいる彼らは、何も言うことができない。

 ここで強気に出れば、間違いなく一軍の座を失う。

 自ら恵まれた地位を捨てられるほど、彼らには俺と同じように度胸がない。

 一体いつまでこんな関係を繰り返すのだろう。

 正直、もう彼らのことを純粋に羨んでいる者はこのクラスにはいない気がする。

 すでに誰もが一軍の崩壊がすぐそこまで迫っていることを察して、近づかないようにしている感じだ。


「……月乃、ちょっと化粧直したいから付き合って」


「え? あ、分かった」


 昼休みも終わりかけ。

 そんなギリギリの時間だというのに、二人は教室を出ていった。

 化粧直しというのは、まあ、おそらくこの場を離れるためのただの口実だろう。

 桃木の判断は、とても賢明だと思う。


「チッ……なんなんだよ」


 二人がいなくなった教室に、誰かの舌打ちと悪態が響いた。

 誰の声だったのか。あまりにも小さい声量だったため、それは分からない。

 俺はすぐにイヤホンを耳にはめる。

 彼らの会話は、あまり聞きたくない。

 月乃とハルが彼らと絡まなくなった原因は、少なからず俺にある。

 彼らのうちの誰かの悪態が、まるで俺に向けられているような気がして、思わず耳を閉じてしまったのだ。


◇◆◇


 放課後、俺は一人で池袋へ向かっていた。

 さすがに三人で移動しているところを見られれば、山中たちが黙っていないだろうという桃木の意見を尊重した結果である。

 こういう事態でなければ気にする必要なんてないが、今日は別れて移動した方がいいというのは大いに賛成であった。


(久しぶりだな、一人での移動……)


 最近はずっと近くに月乃がいた。

 カップルでもこんなに一緒にいることはないんじゃないかって思うくらい、俺たちは一緒にいた気がする。

 山中たちには悪いが、今後も月乃の時間をみすみす譲るような真似は、絶対にしたくなかった。


「――――おい、永井」


「え?」


 突然電車の中で名前を呼ばれ、顔を上げる。

 するとそこには、何故か鬼島の姿があった。

 座席に座る俺の前にあったつり革を掴んだ鬼島は、それに体重を預けながら俺を見下ろす。


「お前にちょっと聞きたいことがあって、ちょっと追いかけてきたんだ」


「お、追いかけてきた……?」


 こいつの獰猛な目。

 まるで肉食の獣と対面してしまったかのように、体が委縮する。

 傍から見れば絡まれているようにしか見えないだろう。

 現に周囲は俺たちの様子を気にしている。

 

(わざわざ追いかけてまで聞きたいこと……? なんなんだ、こいつ)


 冷や汗が湧き出る。

 もしや月乃たちとの関係に気づかれた?

 だとしたら俺を絞めに来たとか……いや、まさか今時そんな真似をする奴はいないだろう。

 頼む、いないでくれ。

 俺はそう願いながら、話の先を促した。


「聞きたいことって……何?」


「ああ。あのさ、お前雪河と付き合ってんの?」


「……へ?」


「仲いいんだろ? 他の奴が話してたぜ」


 少々突拍子もない質問に、俺は首を傾げてしまう。

 付き合ってるかどうか、そんなの言うまでもない。

 しかしまずは、誰が俺と月乃の関係に気づいたのか知らなければならない気がした。


「他の奴って、誰のことだ?」


「山中とか、渡辺。この前あいつらが、『永井と雪河が一緒に歩いてるところを見たって噂がある』って話してて」


「……」


「なんか誰も信じてなかったけど、一応気になったから聞いてみたくてさ」


 ひとまず、噂が確定しているわけではなさそうだ。

 多分俺という存在がそもそもあまり認知されていないおかげだろう。

 最初から選択肢に入っていないが故に、追及を逃れることができているようだ。


(どうする……誤魔化すか?)


 まだ誤魔化せる範囲にいるということは分かった。

 これは逆にチャンスかもしれない。

 上手く言いくるめることができれば、一軍メンバーのマークを外すことができる。

 他の奴らがいくら噂しようが、一軍が否定してくれればそれが真実になるのだから。


「……まさか。俺とつ――――雪河が仲いいと思うか?」


「別にあり得なくなくね?」


「そうだよな、ありえなくな……え?」


「別にクラスメイトなんだし、誰と誰が仲良くしてるかなんて関係ねぇだろ?」


 あっけらかんと言ってのける鬼島。

 ……何かがおかしい。

 俺は鬼島について何か重要な勘違いをしている気がする。


「なあ、鬼島。仮に俺が雪河と恋人だったら、どう思う?」


「リア充でいいなぁ、って思う」


「……?」


「ん? なんか変なこと言ったか?」


 もう少し質問を続けてみよう。


「じゃあさ、どうして俺に噂の真相を確かめるようなことしたんだ?」


「付き合ってるのかどうか気になったんだよ。そんでもし付き合ってるなら、ちょっと話を聞かせてほいことがあってさ」


「……それは?」


「俺、今男女の恋愛について調べてんだよ」


 鬼島の口からそんな言葉が飛び出すとは思っておらず、耳を疑わざるを得なかった。

 男女の恋愛について調べている? ビジュアルもよくて、ボクシングで有名になろうとしているあの鬼島浩一が?


「冗談だろ、それ。俺をからかってるのか?」


「別にからかう要素どこにもなかっただろ。俺さ、漫画家になりたいんだよ。少年漫画を描きたいんだ。そんで少年漫画を描くためには、やっぱりラブコメ要素は必要だろ? だから勉強したくて――――」


「とんでもない情報をまるで既出みたいな感じで淡々と語るな!」


 ほぼパニック状態になった俺は、思わず鬼島に向かってツッコミを入れてしまった。

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