第22話 オタ友の呼び方

 雪河と桃木が寝室に引っ込んでからしばらく経った。

 ライトノベルを読んでいた俺は、寝室の方から聞こえてくる話声に気づく。


『月乃の胸でっか……マジで何食べたらこうなるの?』


『別に普通だよ……あ、ちょっと! そんな入念に測らなくても――――』


『駄目だよ! メリーやるなら胸元も大事なんだから! えっと、九十と……』


『な、なんで黙るの?』


『いや、なんか……急に敗北感に襲われて』


『……まあ仕方ないよ。ハルは』


『どーゆう意味⁉』


 ……何やら楽しそうだ。

 健全な男子としては気になる会話でしかなかったが、幸い覗く勇気すらなく。

 俺は再び小説を読むべく視線を下げた。


『え⁉ お尻もでっか……』


『お尻はやめてよ! 気にしてるんだから』


『いいじゃん! 腰はこんなに細いんだから! 砂時計体型め!』


『腰掴まないで! 最近ちょっとぷにって来てるのに……!』


 会話を気にしてはいけない。

 心頭滅却。純粋な気持ちで目の前のライトノベルを読むのだ。

 

『何この理想体型……太ももも細いくせにムニムニだし』


『ハル、怒るよ』


『怒りたいのはこっちだよ⁉ こんなに細いのに柔らかいってことは、もう骨が細かったりとか体型の問題になってくるじゃん! ずるいずるいずるい!』


『え、ええ……?』


 駄目だ。絶対集中できない。

 俺はもう考えることをやめて、目を閉じて天を仰いだ。



「測り終わったよ~」


 しばらく瞑想していたら、寝室の扉が開いた。

 そこから出てきた二人は、両方ともなんだか疲れた様子を見せている。


「ハルがちょっかいばかりかけるから、時間かかっちゃったじゃん」


「月乃のわがままボディが悪い! そんなのあったら触りたくなるじゃん!」


「駄目、触るの禁止」


「ケチ!」


 裸の付き合いなのかなんなのか。

 寝室に行く前と今では二人の距離感が違う気がする。

 

「ねぇ聞いてよ永井! 月乃ってばマジでスタイルいいの!」


「まあ……そりゃ見れば分かりますけども」


「なんで敬語? ウケる」


「ウケてねぇよこっちは……」


 二人の悩ましい会話のせいで、こっちはだいぶ神経をすり減らした。

 何故俺は自分の部屋で変にそわそわしなければならないのだ。


「はぁ……ひとまず、明日は池袋向かうってことでいいんだな?」


「うん、そうしよう」


 これでようやく衣装の素材が買えそうだ。

 バイトで資金を調達していた時から数えて、二週間以上。

 驚くべきことに、まだ俺たちは衣装づくりのスタート地点にすら立っていない。

 この先俺に手伝えることがあるのかどうか分からないが、ここまで来たらどこまで付き合うのみだ。


「あ、そうだ。永井、今日も泊まってっていい? 帰るの面倒くさい」


「ああ、分かった――――あ」


 雪河の要望をノータイムで受け入れたところで、俺はハッとする。

 

「泊まっ……え?」


 目を丸くした桃木の顔を見て、雪河も自分が失言したことに気づいたらしい。

 雪河は俺と絡むようになった経緯についての話を桃木に共有したが、それ以降、つまり俺と雪河がこの部屋でどう過ごしているのかは、あまり話していなかった。

 もちろん、泊まる泊まらないなんて話もしていない。

 俺も雪河も、なんとなくそこには後ろめたさのようなものを感じていたのだ。


「えっと、あのさ、二人は付き合ってるわけじゃないんだよね?」


 桃木にそう問われた俺は、首を縦に振る。

 

「ははっ、俺と雪河が付き合ってるわけないだろ? オタ友だよ、オタ友」


「……」


「あれ、雪か――――ぐほっ」


 脇腹を肘で突かれ、口から変な声が漏れる。

 どうして怒られたんだ、俺。


「……はっは~ん、なるほどなるほど、そういうことね」


 何故か納得したように頷いた桃木は、俺の肩を叩く。


「頑張りなよ、永井。いや、ながっち」


「ながっち……?」


「あたしだってもうながっちのオタ友でしょ? だから親しみを込めて、ながっち」


「……ああ、そう」


「ながっちもあたしのことハルって呼んでいいよ! オタ友だからね!」


 そう言いながら、桃木はサムズアップしてみせる。

 女子をあだ名で呼ぶなんて、なんとハードルの高いことか。

 簡単には切り替えられそうにない。


「……ずるい。ハルばっかり」


 そんな声を漏らしたのは、雪河だった。

 ずいぶんと不機嫌そうな顔をしている。

 雪河の場合、不機嫌になると頬が膨らむためすぐに分かるのだ。


「私も月乃って呼んでよ。苗字じゃなくてさ」


「け、けどそれは……」


「いや?」


「うっ……」


 相変わらずズルい聞き方をする。

 もちろん嫌というわけではない。照れてしまうだけだ。

 しかし、こんな切なそうな目を突っぱねられるだけの度胸こそ、やはり俺は持ち合わせていなかった。


「……分かったよ、月乃――――と、ハル」


「あたしはついで⁉」


 大げさなリアクションの桃木を見て、思わず吹き出す。

 照れながら言った分、その反動で余計面白く感じた。


「……健太郎、今度からずっと下の名前で呼んでね」


「ああ、分かったよ……って」


「ちょっと私お手洗いに行ってくる」


 雪河改め、月乃は、俺に背を向けてリビングを出ていってしまった。

 女子に下の名前で呼ばれたのなんて、幼稚園以来だろうか?

 自覚した途端、顔がどんどん熱くなる。

 

「ん~青春ですなぁ。マジうらやま」


「からかうなよ……こっちは一杯いっぱいなんだぞ」


「あれ、もしかしてながっちって童貞?」


「どっ……べ、別に関係ないだろ」


「関係ないけど、多分月乃は童貞の方が好きな女子と見たね、あたしは。絶対あの子、経験豊富な男には嫌悪感出ちゃうタイプだよ」


 そうなのか……。

 って、なんで安心してるんだ、俺。


「ま、あたしも男子と付き合った経験なんてないし、分かんないけどね」


「なんだよ……」


「これ以上お邪魔したくないし、あたしは帰ろうかな。ながっち、あんまり月乃とえっちなことしちゃダメだよ?」


「してねぇし、これからもしねぇよ」


「ふーん? いつまで我慢できるか見物だね」


 桃木は鞄を持って、玄関の方へ向かう。

 俺はため息をついた後、それを見送るために後を追った。


「じゃあ明日また学校でね。放課後はちゃんと空けとくんだぞ? こう見えてあたし、オタ友ができてめちゃくちゃテンション上がってんだからさ。約束ブッチされたらめっちゃキレるからね」


「分かったよ……」


「よろしい。あ、月乃ー? あたし帰るから!」


 桃木がそう叫ぶと、お手洗いの方から月乃が顔を出す。

 

「……さっさと帰って」


「はいはい、お邪魔虫は帰りますよーっと」


「ハルっ!」


「あ、月乃が怒った!」


 キャッキャと騒ぎながら、桃木が部屋を出ていく。

 静けさだけが残った我が家で、俺は月乃と顔を見合わせる。


 今日一日、なんとなく二人とも気まずい思いをしながら過ごしたのは、言うまでもない。

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