第17話 心情

 少し時間をかけて、俺たちはマンションに帰ってきた。

 俺しか住んでいなかったはずの部屋には、あれから点々と彼女の物が増えている。

 なんとなくだけど、これが俺と雪河の関係が近づいていっている証拠のように思えていた。


「あったかいコーヒーでも飲むか。少しはまた落ち着くだろ」


「うん、ありがとう」


 キッチンでいつものようにインスタントコーヒーを淹れてから、二人でソファーに腰掛ける。

 そしてしばしの間を置いて、雪河は口を開いた。


「日本に来てからの話なんだけど……私、何度か男の子に告白されたの」


「……そんな噂は聞いたな。確かサッカー部の先輩だったとか」


「相手が学校じゃ結構有名な人だったから、やっぱり伝わるのも早いよね。そう、その人。他にも二人くらいいたけど」


「すごいな、まだ入学してから一か月くらいなのに」


「まあ、私見た目だけはいいから」


「そこは自覚あるんだな……」


 ここまで清々しく言われたら、『この野郎!』ともならん。


「海外だとちょっと浮いてたし、そうやって正面から好意をぶつけられたのは初めてだった。でも……なんかみんな目が気持ち悪くて」


「目?」


「私を見る目だよ」


 そう言いながら、雪河は自身の体を抱き込むようにして縮こまる。

 その行動を見て、俺はある程度話の内容を察してしまった。


「先輩にね、言われたんだ。『恋人が無理ならセフレでもいい。そんな風に胸元とか足を見せびらかしてるなら、どうせその辺も緩いんだろ』……って」


「……!」


「私が制服を着崩してるのは、日本に来る前に見たアニメの影響。強い自我を持って真っ直ぐ生きる女の子に憧れて、そのキャラと同じ格好でいたいと思っただけ。露出が多いことくらい分かってたけど……まさかそこまで強い言葉をぶつけられるとは思ってなくて」


 雪河の表情が歪む。

 一つとはいえ、年上の男からそんな風に言われて恐ろしく感じないわけがない。

 おそらく、すでにとてつもないトラウマになっていることだろう。


「それ以来、男の人に正面から迫られると、少しパニックになるようになっちゃった……性的な視線を向けられることに対しても、敏感になってる気がする。……情けないよね」


「っ! 情けなくはないだろ……俺は男だから、その気持ちは分かってやれないけど……」


 そう言いつつも、俺はふと疑問を抱く。

 じゃあ、今ここにいる俺はなんだ?

 俺だって男なのに、どうして雪河は俺と一緒にいてくれるのだろう――――。


「ふふっ……顔に書いてるよ、永井」


「え?」


「『俺と一緒にいて大丈夫なのか?』って、ばっちり書いてある」


 思わず顔が赤くなる。

 大体同じニュアンスのことを考えていたことがバレて、羞恥心が込み上げてきた。


「永井はなんか……大丈夫なんだよね。ここにいると落ち着くし」


「……そうなのか?」


「あんたが私を守ってくれているような……ここにいていいって言われてる気がするんだ」


 雪河が俺に向かって微笑む。

 その姿を見て、俺は自分の心臓の高鳴りを感じた。 


「言い忘れてたから、今言うね。さっきは助けに来てくれてありがとう。来てくれなかったら、人前であの人のこと突き飛ばしてたかもしれない」


「ははっ……それはそれで見てみたかったかも」


「嫌だよ。そんなことしたら、あの人にスカウトされたがってた人たちに嫌がらせされちゃいそうだもん」


「気づいてたのか……」


「まあね。意外と女の子って周りの視線に敏感なんだよ? 胸とか太ももとか、見られてるとすぐ気付くんだから」


 ギクッとしてしまった。

 女性は視線に敏感とは聞いたことがあったが、まさか本当だったとは。

 頼むからそんなニヤニヤとした表情でこっちを見ないでくれ。


「その……悪い」


「あはは! 別に怒ってないよ。永井なら別に嫌じゃないし」


「……」


 その言葉にどういう意味があるのか、俺は問うことができなかった。

 

「はぁ……でもどうしよう。やっぱり格好が悪いのかな」


 自分の格好を見下ろしながら、雪河は言う。

 今は特に露出が多い格好というわけではないが、それは普段と比べての話。

 部屋着姿の雪河は、緩めのショートパンツからシミ一つない生足を晒している。

 長袖の上半身はともかく、傍から見れば、十分露出度は高い。


「変に苦しむくらいなら、こだわりとか捨ててちゃんとした服を着た方がいいよね」


「……いや、お前が我慢する必要なんてないんじゃないか?」


「え?」


「好きな格好をしたいなら、すればいいと思う。大事なことは、何を言われても揺るがないくらい自分の格好に自身を持つことなんじゃないか?」


「……」


 言葉の暴力が人を苦しめることくらい分かっている。

 だけど開き直ってしまいさえすれば、そんなの存在しないのと同じだ。


「今日みたいに実際に声をかけられて雪河が嫌な思いをすることがあったら、その時はまた俺が助けるよ。頼りないかもしれないけど、手を引っ張って逃げることくらいはできるから」

 

 俺が真っ直ぐそう告げると、雪河は噴き出すように笑いだした。


「……ぷっ、なにそれ。そこはもっとカッコつけてくれてもよかったんじゃない?」


「できないことは言わない主義なんだよ」


「うそうそ。冗談。その場から連れ出してくれるだけで、私にとっては十分すぎるよ」


 そう言いながら、雪河は肩と肩をぶつけてきた。

 俺と彼女の間に、隙間はほとんどない。

 そんな距離感に対し、俺は高揚ではなく、心が安らかに落ち着いていくのを感じた。


「――――でも実際、芸能界入りのチャンスをふいにしたのはよかったのか? 今更言うことじゃないけど、雪河なら絶対に成功してたと思うぞ」


「いいっていいって。興味ないもん、そんな話」


「ふーん……?」


「だって考えてもみなよ。確かにデビューすればいろんな人にチヤホヤされて、お金だってもらえるかもしれないけど、もうこうやって永井の部屋に入り浸って漫画読んだりアニメ見たりできなくなるんだよ? 冗談じゃないよね」


「そこってそんなに重要なのかよ……」

 

「当り前じゃん。永井の部屋に来れなくなったらなんの意味も――――って、まあそれは置いといて」


 急に誤魔化されたな。

 その先の言葉も聞いてみたかったのだが。


「……そういえば、あの社長から助けてくれた時、私のこと彼女って言ったよね」


「ぶっ!?」


 思わず吹き出しそうになる。

 確かに言った。勢いで。


「あれはなんというかその……助けに入るための口実が欲しかったっていうか……咄嗟だったっていうか……」


「ふーん? 永井は私に芸能界デビューしてほしくなかったんだ」


「ま、まあ……そうなるのか?」


「どうして?」


「どうしてって……」


 どうしてだろう。

 雪河が困っていたから、助けに入った。

 そこまでは間違いない。

 でも、多分それだけじゃなかった。

 俺はもしや、彼女が遠くに行ってしまうような気がして、怖くなったのか?


(だとしたら……俺は……)


 困り果てた俺を見て、雪河がニヤニヤしている。

 からかわれていることに気づいた俺は、眉間に皺を寄せた。


「あれ、不貞腐れちゃった……まあいいや。それよりも、貯まったね、お金」


「……ああ、頑張ってよかったな」


「永井が付き合ってくれたおかげだよ。私だけだったらここまでの行動力は発揮できなかった気がする」


 話が変な方向にこじれたが、これで雪河は目標金額の四万円を手に入れた。

 次にやるべきことは、『マリハレ』のメリーに扮するための衣装づくり。

 ここまではまだまだ前準備でしかないわけだ。


「やっぱりミシンとか必要なのかな?」


「手縫いは厳しそうなイメージがあるが……一旦動画サイトに載せてる人がいないか検索してみるか」


「名案だね」


 俺たちは文明の利器を用いて、コスプレ衣装、手作りで調べてみることにした。

 

 

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