第16話 俺の彼女?

「すみません、坂口さん。ちょっとここ離れます」


「なっ! 僕を頼るというわけだな⁉ よろしい、では役目を果たしてみせよう!」


 とりあえずこの場は坂口さんが受け持ってくれるらしい。

 雪河が何かトラブルに見舞われているのではないかと踏んだ俺は、彼女を取り囲む人垣をかき分けて、中心へと急ぐ。


「あの……こういうの困るんですけど」


「そう言わずに! 君のような美しい女の子に出会ったのは初めてだ! ぜひ! 我が芸能プロダクションにスカウトさせてほしい!」


「……そう言われても」


 坂口さんの話を聞いた上で、俺の中には嫌な予感が芽生えていた。

 そしてそれは、目の前で現実となっている。

 何度も言うが、雪河月乃という女は誰もが目を逸らせなくなるほどの抜群のビジュアルを持っている。

 コスプレをせずとも、たとえスタッフの着るシンプルなシャツ姿であっても、人目を惹くに決まっているのだ。

 そんな彼女が、芸能事務所にスカウトされないはずがない。


「君の美貌は唯一無二だ! 活かさないのは勿体ないよ!」


 そんな風に雪河を口説く帽子の男性は、手招きで人垣に埋もれていた人を呼び寄せる。

 スーツを着た真面目そうなその男は、手にアタッシュケースを持っていた。


「これは契約のための前払い金。よければ受け取ってくれ」


 男がアタッシュケースを開くと、そこには札束が入っていた。

 それを見ていた者たちから、歓声が上がる。


「あの人、ハヤシバラ芸能の社長だろ? さすが、金持ってんなぁ」


「でも確かにあの子めっちゃ可愛くね? デビューしたら絶対売れるって」


 そんな声が聞こえてくる。

 芸能人にあまり興味がない俺でも、ハヤシバラ芸能は知っていた。

 多くの人気俳優やタレントを抱え、芸能界にはなくてはならない長大企業、それがハヤシバラ芸能。

 その社長自らが、雪河をスカウトしようとしている。

 これはとんでもない事件なのではなかろうか。


「俺たちが君の才能を輝かせてみせる! だからどうか! うちの事務所に来てくれないか!」


「……」


 雪河だって、ハヤシバラ芸能を知らないとは思えない。

 それでも彼女は、心の底から困った顔をしていた。

 そして何かを探すかのように、視線を泳がせる。


「あ……」


 行く末を見守っていた俺と、雪河の目が合う。

 すると彼女は、ホッとした様子を見せた。

 それを見た時、俺の体は自然と動き出す。


「――――あの、すみません、俺の彼女にそういうスカウトしないでもらっていいですか?」


 気づいた時には、すでに俺は雪河を守るように立っていた。

 何故ここまで体が動いたのか、自分でもよく分からない。

 ただ、雪河はスカウトに興味がないせいで、一人困り果てていた。

 それだけは間違いない。

 

「この子が……君の、彼女?」


「……ええ、まあ」


 社長の顔は明らかにぽかんとしている。

 そりゃ信じられませんよね、こんな冴えないガキが後ろにいる美少女の彼氏だなんて。

 それにもし本物の彼氏だったとしても、スカウトを妨害するために出しゃばってくる義理なんてない。

 傍から見れば、俺は雪河月乃という人間の将来にすら干渉しようとする束縛彼氏だ。

 デビューするかしないかを決めるのは、あくまで雪河の意思で決めるべきことなのだから。

 しかしそれは、あくまで周りの視点。

 俺は雪河に助けを求められた。

 彼女と友達でいたいと思う俺が、それに応えないわけにはいかない。


「……まあいいや。君がこの子の彼氏君だとして、これは君にとってもいい話だと思うけどね」


「……?」


「考えてもみなよ。ここで俺のスカウトに乗るだけで、この子は一世を風靡するタレントになる。そしたら君の彼女は、どこに出しても自慢できる最高のスターだ! 君の為にも、彼女の為にも、ここで俺の誘いに乗った方が得だと思わないか?」


 確かに、恋人が国民スターなんてことになったら、それは誇りたくなるかもしれない。

 だけど、雪河が嫌がっている時点で、そんな結果はいらないのだ。


「……どうか他の方に声をかけてあげてください。彼女は特に興味ないようなので」


「どうして君が答える? 俺は君の後ろにいる銀髪の彼女に聞いているんだ」


「そんなに威圧的にならないでくださいよ。彼女が怯えるんで」


「はぁ? 俺が威圧的? 君さ、あんまり人聞きの悪いこと――――」


 ヒートアップしてきた社長の肩を、とっさにスーツの男性が掴んで止める。

 それで冷静になったのか、社長は咳ばらいをして、シャツの襟を正した。


「ふぅ……見たところ君たちは高校生みたいだ。俺としたことが大人げないところを見せるところだったよ。仕方がない、この場でのスカウトは諦めよう。その代わり少しでも興味があったら、すぐに俺のところに電話するんだよ」


 そう言って、社長は俺に名刺を押し付けてきた。

 

「はぁ……ま、他の原石も探しに行こうか。ついでにね」


「はい、社長」


 社長たちが去っていく。

 その背中を見送りながらも警戒態勢を解かないでいると、俺の服の袖を雪河が引っ張ってきた。


「ごめん、永井……私」


「いいから、雪河は何も気にするな。それより、俺も出しゃばって悪かったよ。……大丈夫か?」


「うん……平気。詰め寄られてちょっとびっくりしただけだから」


 あまり顔色が悪くない雪河を支える。

 残念だけど、これはもう仕事にならないかもしれない。

 仕方ないとはいえ、これではおそらく日給の全額はもらえないだろう。

 となると、今一度イベントスタッフとしてどこかの現場に入る必要が出てくるかもしれない。


「……あの、そこ二人さ」


 雪河をどこかで休ませようとしていると、チーフが声をかけてきた。


「ちょっといいかな、二人ともこっちに来て欲しいんだけど」


「……分かりました」


 俺は雪河に手を貸したまま、チーフについてテントの周辺を後にする。

 移動中、一部の気合の入ったコスプレイヤーの視線が、雪河に突き刺さっているのを感じた。

 きっと彼女たちは、自分を差し置いてスカウトされた雪河が許せないのだろう。

 そんなの、もちろん俺たちが知ったことではないのだが。


◇◆◇


「ふぅ……まあ、大事にならなくてよかったな」


 イベント会場を離れ、ファミレスで少し休憩を取ることにした。 

 ドリンクバーから取ってきた炭酸飲料を飲み干し、対面に座る雪河の方へ視線を向ける。

 会場にいた頃よりも、いくらか顔色はよくなっただろうか。


「うん……ほんとにごめんね、巻き込んじゃって」


「俺のことはいいよ。あの社長との会話は不快だったけど……別に実害があったわけじゃないし。それに結局給料はもらえたしな」


 あの後チーフについていった俺たちは、その場で一日分の給料を渡された。

 いや、あれは押し付けられたといってもいいだろう。

 なんでもあの社長の会社はコスプレイベントのスポンサー企業だったようで、その社長といざこざを起こした俺たちを働かせておくわけにはいかなくなったようだ。

 つまりこの金は、手切れ金のようなものに近い。


「……でも、雪河はああいう勧誘を払いのけるのなんて慣れてると思ってたよ。今までも声かけられたことくらいあるだろ?」


「まあ、ね。だけど……」


「……?」


「……ここじゃ話しにくいから、やっぱり永井の家行ってもいい? 二人しかいないところで話したい」


 そう言われた俺は、ただ一つ頷くことしかできなかった。

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